橋本直 / 第111話

第106話 僕の機体が来た日

 珍しいランの気まぐれで定時30分前に地獄のトレーニングから解放された誠はシャワーを浴びて勤務服に着替えて機動部隊の詰め所の椅子に腰かけようとした時だった。 「神前!ボーっとしてるんじゃねえぞ!来たぞ!待っていたブツが!待ってたんだろ?見たかったんだろ?来たんだよ!ブツが!早く来い!オメエが待っていたブツだ!ようやく来たんだ!もっと嬉しそうな顔をしろ!」  背後からの女性の大声に驚いたように誠は振り返った。    機動部隊の詰め所の何の飾り気も無い掛け時計は17時過ぎの針を指していた。夕方の西日がブラインドの隙間から線になって机を横切り、書類の端を橙に染めている。詰め所の空調は相変わらずの弱音、蛍光灯は明滅の癖が抜けない。 「そんなに興奮して……西園寺さん……何がですか?僕は今日もクバルカ中佐に走らされて疲れてるんで……もう少し落ち着いてくださいよ。それで一体、何が来たんですか?ブツなんて……僕は島田先輩みたいに変な犯罪に関係するようなものを密輸したりはしませんよ。この前話してた税関と揉めたってクバルカ中佐に聞いたら相当な額の商品を遼帝国の米軍基地経由で地球圏に輸出してその時の関税を島田先輩が踏み倒そうとしたらしいじゃないですか。あの人なら麻薬や銃の密輸ぐらい平気でやりかねませんよね。僕をそんな人と一緒にしないでください。どうせ島田先輩がなんだか面倒なものをハンガーに持って来たんでしょ?僕はそんなものは待っていませんし、これからも待つつもりもありません」  そこはいつもの司法局実働部隊・機動部隊の詰め所である。古いスチール棚の列、端に積まれた防炎ジャケット、壁には『安全第一』『火気厳禁』の黄色い標識と、誰が描いたのか『05式』の落書きが目立つ。    夕方の厳しい西日が差し込む時間帯に、誠に声をかけたのはかなめだった。黒髪ボブを耳にかけ、拳銃整備用の布をポケットに突っ込み、いつもの勝ち気な笑顔だ。 「なんだよ、反応薄いじゃねえか!それに島田の犯罪とは関係ねえ!それに島田の保護者のランの姐御は薬と人を食い物にするシノギは認めてねえからオメエが麻薬系の法律で逮捕される確率はゼロだ!そんな島田と関係は……あるな、あれを弄るのは確かに島田の兵隊だから島田絡みと言えば島田絡みの話しだとはいえる……それより島田の馬鹿はどうでもいいんだ!オメエの専用機だよ!待ちに待った専用機だ!確かにこれからちゃんと出動しても動かせるように出荷後の微調整をやるのは島田と奴の兵隊だが、一番に喜ぶのはそれを与えられたオメエのはずだろ?もっと嬉しそうな顔しろよ!そうじゃなきゃこうして射場から顔を出してちょくちょくハンガー前の駐車場を覗きながら今頃に着くらしいオメエの専用機を乗せたトレーラーが来るのを待ってたアタシが馬鹿だったことになる!そういうわけだ!とっとと嬉しそうなツラ作って専用機を迎えに行くぞ!」  かなめは、まるで自分の待っていた機体がやってきたかのように上機嫌で叫んだ。机の隅の『差し入れプリン(要冷蔵)』のメモをわざと誠の前に滑らせて、いたずらっぽくウィンクした。 「そうか。ついに来たか。私も『乙型』には興味がある。私の時もそうだったが、05式は微調整が他のシュツルム・パンツァーよりも必要な機体だと島田が言っていたからすぐに使えるようなものではないが、それは機体の個性であってパイロットである貴様には関係のない話だ。ただ、貴様ももう少し自分の担当する機体が到着したことに対する覚悟と言うものを持つべきだと私も思うぞ。それでは行くぞ、神前」  端末に何かを入力していたカウラは、指を止めると滑らかな動きで立ち上がった。軍用マグの湯気がふっと揺れ、緑髪が肩先で光る。椅子が床を擦る硬い音も、どこか弾んでいる。 「僕の機体が来た……嬉しいかどうかと聞かれると、嬉しいのは確かなんですけどね。それにしても僕の機体か……しかも『乙型』は僕しかその本来の性能を引き出せない『専用機』……戦場にも出たこと無いのに、まるでエースにでもなった気分だな……いや、まだ実感は薄いけど」  誠は戦場にも出たことが無い自分が『専用機』に乗ることに子供のような喜びを覚えながらそんなことを口にしていた。 「専用機があるってことはそれこそアニメだとエースの証だからな。普通はエースになってから、普通の機体がパイロットの能力に追いつけなくなって専用機を開発するのがお約束なんだけど、僕の場合は逆なんだな……というかそもそもその『本来の性能』がどんなものかは僕には秘密って……なんだか順番が違うような気がしないでもないんだけどなあ。やっぱり順番が逆だ。それにみんなで僕の能力をそんなに隠して一体何がしたいかよくわからないんですけど」  誠もワクワクといつものことながら自分だけ除け者にされているような感覚に囚われながら立ち上がり、肩に掛けた作業用のストラップを直して、かなめとカウラの後に続いて詰め所を出た。廊下のワックスがけの反射に、三人の影が伸びた。    廊下の全隊員への告知用の壁の掲示板には『本日:搬入あり(関係者以外立入禁止)』と赤マジックで書き足されていた。  そんな中、まるで自分の機体が来たというように上機嫌のかなめといつものマイペースな無表情なカウラの後ろを誠は遠慮がちについていった。 「嬉しいだろ?神前。なんと言っても自分の専用機だぞ?専用機なんてまさにエースの特権なんだけど、オメーは出撃を一度もしたことが無いのに既に専用機があるという恵まれた環境にあるんだ!もっとしゃきっとして嬉しそうな顔をしろ!しかもオメエが乗らねえと意味がない『専用機』だ。オメエの好きなアニメの設定みたいで燃えるだろ?でもあれか?もう機体に描くノーズアートとか決めてんのか?オメエこの前聞いたら絵が描けるとか言ってアメリアの趣味で作ってるエロゲのエロいヒロインキャラを描くことを約束させられてたじゃねえか……ノーズアートはエロいのがお約束だからな!自慢の絵を描いていい!アタシが許可する!」  振り向いたかなめは、悪戯でもしたかのような笑みを浮かべて誠に尋ねる。廊下の踊り場で軽くステップまで踏んで見せるサービス精神。 「ああ、僕は男のキャラが暑苦しいアニメは嫌いなんでロボットアニメは見ないんです。島田先輩と昔のアニメの話をした時も島田先輩はロボットモノや漫画原作のヒーローものやスポーツものばかり見てたみたいですけど、僕は地球の古いアニメの人間模様が中心の作品とか最近の作品では魔法少女が活躍するアニメしか見てないから随分アニメって色々あるんだなあって感じたくらいですから。それとノーズアートですか?あれですよね、機体に絵を描く奴……それって普通、エースしかやっちゃいけないものじゃないですか?それに僕の描くキャラは色っぽいというより『萌え』系なんで……敵が見たら大笑いしますよ……それでも西園寺さんは許可します?」  遠慮がちに言う誠の肩を、かなめはぽんぽんと2回叩きながら話を続ける。叩くリズムが妙に軽快で、からかわれているのを自覚する。 「そんなのはったりだよ……オメエは操縦が下手だから、少しでも強そうな絵でも描いときゃ相手もビビるだろ?その分生存確率が上がる。それにオメエの機体はオメエしかその性能を引き出せねえ特別カスタムだからな。『これは遼州人の特別な人間が乗る機体なんだ!』というノリで敵をビビらせるためにノーズアートの1つや2つ有っても罰は当たんねえよ……あと『萌え』系か……今のアメリアの作ってるエロゲのキャラはサラが描いてるけどアレも『萌え』だって言うからな……アレよりさらにプロっぽい、オタクが喜びそうなデザイン……やっぱさっきの許可は取り消し!」  かなめはまるで自分の専用機が納入されてきたかのようにハイテンションでそうまくしたてた。 「その操縦が下手な神前に格闘戦オンリーだったとして負けたのはどこの誰かな?それに私としては神前に機体の性能頼みの戦いはしてほしくない。ノーズアートなど無用だ。西園寺の気分次第で付けたり消したりするような絵など不要だ。機体の塗装で勝負が決まるならそもそも戦闘兵器には武器など必要が無い。ただの塗料の無駄遣いだ。05式の表面加工は大気圏突入にも耐える。塗装ひとつにも金がかかる。貴様のように気分で機体の色を変えて喜んで何が楽しいのか理解に苦しむ」  珍しく、いつもの無表情を皮肉めいた笑みに変えてカウラがかなめを見やる。言葉の棘が柔らかく、しかし刺さる。 「カウラ!テメエ!あれはまぐれだ!次は必ず勝つ!それとオメエもパチンコの時は色々縁起を担ぐと聞いてるぞ。だったら命を賭けた戦場で乗る機体の色に拘るのが何がおかしいんだよ!パチンコ依存症は黙ってろ!昨日もそれっぽいところからオメエ宛に電話があったぞ。あれ、闇金だな。また借りたな……懲りねえ奴だ。ランの姐御には話しといたから何とかなるだろうけど」  誠に向けていた笑顔が急変し、かなめは眉を吊り上げてにらみつけた。階段の踊り場でほんの一瞬、火花が散る気配が張り詰めた。 「お二人とも……落ち着いて……」  誠が慌てて間に入り、手のひらを見せて宥める。ふたりは鼻を鳴らしただけで、それ以上はやり合わなかった……いつもの呼吸だった。 「それじゃあハンガーに行くぞ」  まるで専用機が来たのは自分であるかのようなご機嫌なかなめが先頭に立つ。隊舎のシャッターを抜けると、金属と油の匂いが濃くなる。風に混じる切削液の甘い匂い、遠くで鳴るエアツールの断続音、フォークリフトの警告ブザー……『現場の音』が一度に押し寄せた。  かなめは祭りの前の子供みたいに歩幅を大きくしていた。  カウラは納入書類の不備を確認するような目で先を見ていた。  そして誠だけが、自分のものが来たという実感を、まだうまく持てずにいた。  三人がたどり着いたハンガーには、大型のトレーラーが待機していた。誠は、ツンとくる油と鉄の匂いに、なぜか少しだけ落ち着く自分に気づいた。    荷台の側面には菱川重工のロゴがまぶしく誠の目に映った。タイヤは白いチョークでマーキングされ、荷締めベルトが夕陽を鈍く跳ね返している。床の黄色黒の斜線、フォークリフト通路、消火器の位置を示す緑のピクト、全てが『今日の主役』のために準備されていた。  トレーラーの運転席の脇では、隣接する菱川重工豊川工場の制服を着た技術者と、技術部整備班長の島田正人曹長が言葉を交わしていた。 「島田!専用機の専属パイロットが来たぞ!ちゃんと気を使えよ!」  かなめが嬉しそうに叫ぶ。  仕事中に割り込まれた島田は、不快そうに振り向いた。そのまま軽く手を上げて再びメーカーの技術者との打ち合わせを再開した。    島田は茶髪の白いつなぎに袖をまくり、首にタオル、耳にはいつものピアス……どう見てもヤンキーだが、レンチの回し方だけは一流の所作に見える。足元の安全靴は油で黒く鈍い。
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