橋本直 / 第109話

第104話 島田正人、また捕まる

 そこはいつもの司法局実働部隊機動部隊詰め所。今日は嵯峨の助言で『休養日』ということで部屋で事務仕事をしていた誠の目の前で普段は滅多に鳴ることのない電話が鳴った。    蛍光灯がかすかに唸り、古い空調が低い風を吐く。壁際の配線ダクトの上には『持ち出し厳禁』と赤マジックで書かれた予備バッテリーが雑に積まれている。コーヒーと潤滑油の匂い、消毒用アルコールの匂いが層になって漂っていた。  下っ端である自覚のある誠が、黄ばみの残る子機の受話器をすぐに取る。カールコードが腕時計に絡まり、あわてて解きながら肩で受け直した。 「はい!司法局実働部隊!」  とりあえず最低でも元気だけは周りの女性陣に見せつけようと、誠は受話器に向けて元気よく叫んだ。    奥の長机では、ペーパーカップの山と整備マニュアルの紙束。その隙間で将棋盤が据えられ、角が香袋の上に置きっぱなしになっている。 『あのー、こちら千要県警豊川警察署刑事課なんですけどね……』  誠のカラ元気満点の叫びにうんざりしたような調子で、中年男性の声が鼓膜をくすぐる。背後で書類をめくる音、どこかの署内放送のチャイムが遠くかすれていた。 「豊川署?……警察ですか?」  突然の千要県警からの電話にうろたえながら誠は答え、受話器を少し遠ざけて息を整える。指先が汗で滑った。 『そちらにクバルカ・ランさんと言う方が居られると思うのですが……いつもの件だと話していただければ分かると思うんですが……お話しできます?』  遠慮がちな声に、誠はハッとして視線を上げる。    機動部隊長の机……文鎮代わりのレンチで端を押さえられた覚書の前で、ちっちゃい中佐殿が将棋盤をにらんでいた。半袖の肘をぼりぼり掻きながら足先は椅子の支柱に乗せてぶらぶらしている。 「神前。……ああ、また豊川署か?代われ。どーせまたいつもの件だ……あの馬鹿、またやりやがった……あの癖はいつになったら治るんだよ……まったく……あっちも仕事があるんだ。とっとと話をつけるから転送ボタンを押せ」  まるで相手が分かっているかのようなランの態度に誠は不思議に思って首をひねった。誠は内線転送のボタンを押し、受話器に手を添えたまま後ずさった。『あの馬鹿』……ランの面倒くさそうな口ぶりからすると、どうやら例の整備班長のヤンキー島田が何かしでかしたらしい。    壁のホワイトボードには『今週の反省:勝手にサーバー室でカップ麺を食べない(※前科2)』と誰かの筆致で書かれ、端に『責任者:島田』と落書きされていた。 「また……島田だよ……いい加減ランの姐御に迷惑かけるのやめてくんねえかな……あとで当たり散らされるアタシ等の身にもなってみろってんだ。あの馬鹿を迎えに行った後の姐御の機嫌はいつも最悪だからな。それで迷惑をこうむるのは姐御の席のあるこの部屋の住人のアタシ等だぞ。アイツは車の中で散々絞られても馬の耳に念仏でそのままハンガーに戻って部下連中を怒鳴りつけてストレス解消をしてから誰にも邪魔されずに好きなバイクを弄る……まったく不公平じゃねえか」  かなめは当然のように報告書作成を放り出し、膝に布を広げて銃を磨きながら、ため息の代わりに乾いた笑いを零した。スライドの金属音が小気味よく、詰め所の空気を区切る。 「確かにな。それにしても、アイツには学習能力と言うものが無いのか?今度は何をしたんだ?どうせろくでもないことをしたんだろ。いつもの事ながら呆れ果てるしかないな。島田は部下の連中に『豊川署に出入りしている蕎麦屋のメニューは完全に制覇した』なんて自慢しているが……そんなことは自慢にはならないな。ただ自分は犯罪者予備軍というより、常習的な要注意人物だと証明しているだけの話だ。むしろアイツはタダで食事をする為に犯罪を犯して豊川署に連行されているんじゃないかと疑いたくなってくる」  カウラは端末の画面から目を離さず、キーを軽く叩きながら呟く。緑髪の先が肩で揺れ、軍用マグの湯気が彼女の頬を曇らせる。 「島田先輩……警察に知り合いでもいるんですか?それとろくでもないことって……あの人何をしてるんです?いくらヤンキーだからってそんな毎度毎度、警察のお世話になったりはしないでしょ。それに蕎麦屋のメニューを制覇するほど取調室と隊を往復してたら仕事になんないじゃないですか。そんな『犯罪者』を飼っておいて司法局の本局は何も言ってこないんですか?うちの看板は一応『武装警察』ですし。一般企業なら最初に警察のお世話になった段階で懲戒免職だと思うんですけど」  誠の間抜けな問いに、二人はほぼ同時に大きくため息をついた。ため息のエコーが、蛍光灯の唸りに溶ける。 「まあ、知り合いがいるというか……島田の野郎には『私有財産』という概念がねえんだ。これまで何回も『逮捕』されてるが一度も起訴されていねえから『犯罪者』じゃねえらしいや。弁護士の叔父貴がそう言ってるんだからそうなんだろ?それにアイツを失業者として世の中に放り出してみろ。それこそ何をするか分かんねえだろ?うちと言うしっかりとした檻に入れておいて何かあってもランの姐御や叔父貴が揉み消してくれる環境じゃなきゃアイツは本当に何をしでかすか分かんねえぞ?」  かなめはスライドを抜き、照星の向こうを覗く。手元の整備マットには綿棒とオイルの染み。言葉は投げやりだが、手つきはやたら丁寧だ。 「『私有財産』と言う概念が無い?それってどういう意味なんですか?それに何をしでかすか分からないって……あの人何者なんですか?」  誠は、言葉の意味を咀嚼しきれずにオウム返しする。    受話器のフックを押す指がまだ落ち着かない。 「アイツには『人の物は勝手に使ってはいけない』と言う概念が無い上に『必要なものは必要な人が使って当然』という考え方しかできないんだ。だからアイツにとっては『窃盗』は犯罪という認識はない。アイツは自分がしたことが悪いことだという自覚は少なくともないとはっきり断言できる。まあ私から見ても島田の手癖の悪さは一級品だからな……『窃盗』が犯罪でないという法律がある国の存在を私は知らないがそう言う国にアイツが住む以外にアイツがいつの日か本当に『犯罪者』にならない方法は無いな」  カウラは端末のスクロールを止めず、いつもの速度で事務を進める。机の端には『島田貸出中』と書かれたドライバーセット……もちろん無断借用の証拠札だ。 「それって万引きでもしたんですか?まあ、ヤンキーですからね。でもあの人ももう大人でしょ?中学生や高校生の不良でもあるまいしそんな事ばかりしてるわけないですよね?でも本当にそんなに年がら年中逮捕されてたら仕事にならないでしょ?ああ、確かに僕がここに来てから整備班は仕事らしい仕事をしているところを見ていませんからね。でも、もし出動が有って、その準備とか機体の整備とかで人員が必要な時に島田先輩が居なかったらそうするつもりなんですか?班長代理の人とか……居るんですか?僕は聞いたことが無いですよ」  誠の声が一段上ずる。    詰め所の隅、乾いた観葉植物の鉢に差さったネームプレートには『水/金曜』と手書き。水やり役の欄には『島田』の名が四角で囲って何度も塗りつぶされている。 「確かに島田が月に一度は窃盗容疑で連行されていたのは事実だ。だが、隊が出来た頃は週に一度だった。だから頻度としてはかなり改善している。今回など二か月ぶりだ。私としては、よく我慢した方だと感心していた。なんでも本人が言うには万引きは止めたから逮捕される回数が激減したらしいが……バイクとか自動車とかをだな……必要があると自分で使ってしまうんだ」  とんでもない文言を、カウラは淡々と整備記録の読み上げみたいな調子で言う。    コーヒーメーカーが『ぽちゃん』と一滴を落とした。 「バイク?自動車?そんなものを必要だからって盗んだって言うんですか?完全に犯罪ですよ!それ!うちは一応武装『警察』ですよね?警察官がそんなことして許されるんですか?いくら起訴されなかったからと言ってもそんないつ犯罪者になってもおかしくない人がなんで隊にいるんですか?ここもお役所だからほっといたら何をするか分からない人は何か理由をつけて解雇するんじゃないんですか?あの人まだ懲戒免職になって無いですよね?今朝も寮でサラさんと一緒にプリン食ってましたよ?」  誠の語尾は上がりっぱなし。机の端の『割れたマグ(島田)』が視界に入り、余計に頭が痛くなる。 「アイツはバイクや自動車に関する盗みは『正義感』からやっているそうなんだと。『違法駐車は犯罪だ。だからそれを盗むのは犯罪じゃねえ』ってのが島田の理屈らしいや。だから違法駐車のバイクや自動車なんか世の中のためにならねえから『移動してやった』と言って……」  かなめが言葉を置く間。    誠は呆然とした。天井のパネルの継ぎ目を見上げ、現実逃避の角度で首を傾ける。 「……え、つまり『持ち主が困っているバイクを助けてあげた』くらいのノリなんですか?でもそれは『移動』とは普通言わないですよね?普通は警察官がちゃんと写真を撮ってレッカー車で決まった保管場所に運んで取り締まる行為を『移動』って呼ぶんですよね?違います?」  あまりに誠の常識とはかけ離れた島田の正義感に誠の口から出てくる言葉はそれしかなかった。 「島田の馬鹿にそんな当たり前の理屈を理解する能力があるはずがない。しかも、島田はご丁寧にその場所に警察がレッカー移動した時よろしくメモ書きで寮の電話番号を残してそこまで連絡しろとその場所に張り付けて寮まで乗って行ってしまうんだ。まあ、盗んだ相手も最初は警察にレッカー移動されたと思うが、電話をかけると島田が出るから当然問題になって盗んだ盗まないで揉めてそれがいつものことだと分かっている警察が電話中の島田を逮捕する。島田も慣れてるから抵抗もせずにそれについて行ってさっき言ったように取調室で何が食べたいかを注文する。そしていつものことだからすでに半分島田が起こす自動車窃盗事件専門担当となっている定年間近の刑事課の巡査部長の同じ人物がすぐこうして豊川署から電話が入る仕組みになってる。いつも通りの手順と言って良い」  平然と言うカウラ。誠は天を仰ぎ、心の中で誰かに『ここは普通の世界じゃない』と通報した。 「そしてその度にクバルカ中佐が身元引受人として出向くことになる。島田のピッキング技術とアナログ式量子コンピュータ内蔵ポケコンを駆使したロック解除はプロ級だからな……どんな車だろうが簡単に盗むことが出来る。島田なら軍の施設に置いてある飛行戦車やシュツルム・パンツァーでも盗めるだろうな」  カウラは島田の『技能』を、まるで人事評価コメントのように並べる。机の引き出しから『施設鍵一覧(閲覧注意)』のラミネートが少し顔をのぞかせ、誠はそっと閉めた。 「そんなわけないじゃないですか……軍の施設でしょ?まず侵入ができないんじゃない……ああ、司法局の身分証とかを使えば入れますね。でも、さすがに実機を盗むなんて……」  誠は途中まで反論しかけてやめた。  ここでは『そんなわけない』と言ったことが、数分後には大抵覆される。 「ああ、実際に一回盗んだぞ。霞が海の東和陸軍基地からな。理由は『05式にコンペで勝った07式の性能を見てやる』だった。で、本当に乗って帰ってきた。島田はパイロット教育も受けてるから、起動さえできれば動かせるんだ……まあ、アタシも気になってアイツに実際に05式に勝ったという07式を操縦した感想を聞いたが、今でも05式に勝った理由が分からねえということだ。アタシも一度アイツに07式の起動方法を教わって盗んでみようかとも思うが、また降格を食らうと面倒だから止めてる」  さらっとかなめにより追加される『実話』に誠は愕然とした。    誠の理解は天井のパネルよりもさらに外側へ飛び出した。  かなめは本気で悩んだ顔をした。 「あのー、操縦が出来るとかそう言う問題じゃないと思うんですけど……それと西園寺さんも島田先輩の真似はしないでくださいね?まあ、あれだけ島田先輩を馬鹿扱いしている西園寺さんがそんな事をするとは思えませんけど」  論点がすべて吹き飛ぶ。 「そう言えば島田先輩、前に『盗んだ07式はちゃんと返したから問題ねえ』って言ってましたよ……あれって冗談だと思ったんですけど……本当だったんですね?でもうちの事をあんまりよく思ってない東和陸軍からですか?問題になりませんでした?」  もはや島田は『盗人』であると諦めた誠はそういうしかなかった。 「問題?アイツが対消滅エンジンは燃料の補充が出来ないなら整備して返すって言ってフルメンテをしたら感謝の電話があったとかランの姐御が言ってたな。東和陸軍はうちより予算が厳しいから演習の直前までメンテなんてしねえんだってさ」  かなめもまた機体をフルメンテして見せた整備班を誇るようにそう言って見せた。 「だから何なんですかその律儀さ!意味が分かりませんよ!」  壊れて良く常識。それに耐える日々が続くと考えると誠の頭は痛くなる。 「島田にとって世の中の物はな、『誰の物か』じゃねえんだよ。『今、誰が一番うまく使えるか』なんだ」  そんなかなめのまとめの言葉に誠はもうすでにツッコむ気持ちも無くなっていた。     詰め所の壁の端、A4用紙『無断運転・無断起動・無断離陸:厳禁!※前科あり』の『無断』の字だけがマジックで太く書き直されているのが目に入る。
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