橋本直 / 第105話

第100話 標準は凡庸のためにある

「ところで、君は敵に対する敬意を持っているかね?それがその報告書の冒頭を見たときから私に浮かんだ最初の疑問なんだ……実際どうなのかね?」  声色は穏やか、カーンにとっては言葉こそが信じるに足る刃だった。 「あの報告書の『体裁』は良い。だが、冒頭から踊る先入観による敵に対する思い込みに塗れた文章はもし敬意の一滴でも君にあったなら、あの身勝手な推測で塗った紙束を、私の目に触れさせはしなかった。現在でも地球圏と遼州圏の公然の秘密である『法術師』の存在を、少し見くびりすぎだ……君の能力を私は冒頭を読んだ時点から過大評価していた自分を恥じることになった。そんな気分に私をする為にあの報告書とやらを作成したのかね?」  氷片が落ちるように、近藤の胸中に音がした。   「……しかし閣下。わが国には『法術師』のデータが不足しています!甲武国にも、数少ない遼州移民のなかに稀に『法術師』がいるのは確かです!しかし我が軍の上層部もその何たるかを調査・研究しておりますが、現政府内の……」  冷たいカーンの言葉に近藤は必死の言い訳をした。 「君の調査の障害には身分制度が立ちはだかっている?これは実に奇妙な論法だね。君は身分制度こそ守るべき伝統だと言うじゃないか。その守るべき制度が君の障害になっているとは……そこにまず矛盾がある。これは外部から甲武と言う国を見る人間ならば私で無くても指摘できる簡単な事実だ。事実は事実。認めたまえ。君はそれをどうしても認めたくなかったから地球の日本の『高貴な血筋』が統治すべしという国是が君を縛っている現実を無視した結果あのような形の報告書になったと?確かに……それが甲武の『法術師』研究を進めるにあたり悪く働いているのは事実だ。私が知る限り君が言う甲武への遼帝国の移民の『法術師』には遼帝国でも高位の身分のあった人物が多い。血筋を重視する甲武では彼等を人体実験の材料に使うなどと言うことは自らの身分制度と言う『伝統』に泥を塗るような行為だからね……まあ、その事で君を責めても仕方のないことなのかもしれないが」  カーンは指を一本立て、講義の口調に移る。 「そして偶然で、経済的に大差のない遼帝国の遼州人が甲武に移民することなどありえない話だ。ましてや同じ遼州人の国であの我々にとっては屈辱でしかない『第二次遼州大戦』と呼ばれる戦争で肥え太った東和共和国は甲武に観光収入を落とすだけで『法術師』について教える必要性すら考えていない。地球人は遼州人より優れていなければ、遼州出の平民を支配できない。だから『不可思議』は制度の外へ追いやられる。たまたま甲武の国民となった遼州人の血を引く人間が起こす『人体発火事故』は統計上『事故』として処理され、パイロキネシストの存在は『無かったこと』になる……そうすることでしか甲武の秩序は守れないとは……君達の尊重する『甲武の伝統』の底が知れるという物だ……私の指摘に訂正するべきところが君にはあるのなら聞こうか?」  ブランデーが、舌の背を滑る。   「その点、身分よりも宗教という固定概念にとらわれている西モスレムの工作班の方が、まだ理解している。彼らは『法術師』を信仰の道具として、残酷なほど実用的に扱っている。君たちは正規軍でありながら、その理解でさえゲリラ以下だ」  近藤は唇を結ぶ。詰襟のボタンがかすかに鳴った。    カーンは続ける。 「報告書というのは事実を書くから報告書なのだよ。推論で塗るなら、それは大衆向けのタブロイドと同じ。私は街を歩く新聞売りの少年から新聞を買うような気軽さで君に報告書を作ってくれと頼んだつもりではないのだがね。……君の情報網がその程度なら分かる。だが、私の網が拾い上げ、拷問室でCIAの工作員が吐いた『法術師』の素質の多様性……あれすら説明できない紙束を、なぜ私に? 私が欲しいのは、アメリカや東和が握っているであろう全体像の影に少しでも近づく報告だ。それ以外は、無意味だよ。私はそんなものを見せてくれと君に頼んだわけではないのだがね。それ相応の資金は用意した割に……正直失望しか無かったよ」  近藤の額の汗が眉から落ち、軍靴に点を作る。    近藤は息を荒げ、語気を強めた。 「ですがカーン閣下!現状、我々が情報統制に優れた東和共和国の内側で、同志とともに動ける範囲は極めて限られております!その中で、我々はできる限りの調査を……。それに『法術師』など、多少脳波に異常のある遼州人にすぎません!軍人は銃と剣で戦うから軍人です!発火能力など、テロリストが独占していればよろしい!あのような能力が戦争の帰趨を占めるなら我々の足を引っ張り続けた遼帝国軍の弱さをどう説明すればいいのですか?」  机に両掌をつく音が、組子を震わせる。    カーンは顔色を変えない。むしろ、ほんの少し楽しんでいるように見える。 『……だからお前たち『サムライ』は、いつも『知らないもの』に背中を刺される……我々が君達と同盟を結んだのは間違いなのかもしれないね……そのような不意打ちを『卑怯』の一言で解決すると考える軍人はただ無能なだけだよ……戦争では使い物にならない時代遅れの骨董品……なるほど、明治維新で『サムライ』が排除されたのはもっともな話だ』  そんな近藤への皮肉がカーンの脳裏に浮かんでは消えた。 「そんな負け犬の言い訳は生産的ではないな。正直、今の言葉で私の祖国は甲武と同盟して戦争を始めたから敗戦国となったと確信したよ。情報統制なら、東和共和国には公安調査庁と言う独立組織があり、遼州同盟司法局には公安機動部隊という切り札がある。公安調査庁は東和の、そして公安機動隊は同盟の看板だ。君のような金集めだけが得意な軍人は見過ごすのだろうが……彼等にできないことを君の資本力なら出来る……そう豪語したのは嘘だったということで良いのかな?」  『金集めだけ』。刃が骨に当たった感触。    近藤は表情を制御できない。    カーンは言葉を継ぐ。 「戦争に資金は要る。だが、それ以上に情報だ。……理解してほしい。『ビッグブラザー』。その名前くらいは君も知っているだろう?東和の公安調査庁。それを動かしているのは『彼』だ。そして、司法局の公安機動隊……こちらは『ビッグブラザー』の為ではなく遼州同盟加盟国の利益の為と称して我々の前に立っている……前に立っているなら少し避ければ横をすり抜けることができる。そんな日常的に君が行っている動作をこの報告書の作成の際に思いつかないとは残念だね」  近藤はうなずきも否定もできず、まぶただけが瞬いた。   「『ビッグブラザー』の存在は知っていますが。あの存在は遼州圏ではアンタッチャブルな存在です。閣下の国も大戦末期にあの存在に触れたことで敗戦時期を早めたことはご存じのはず。そして遼州同盟司法局配下の公安機動部隊……同盟機構の帳簿にも名前はあります。しかし、全員が軍用義体のサイボーグで構成された部隊を、同盟の乏しい予算で維持?噂では彼らはあの『ビッグブラザー』の手ごまである公安調査庁と並び遼州すべての情報を握り、国家をも動かす存在だと。……馬鹿げています」  近藤にはどこまでも『サムライ』としてのプライドがあった。それが、下級士族と言う食うに事欠く環境に生まれた自分だとしても名字すら持たない平民達とは違うという意識がそんな言葉を口にさせていた。 「そうか。君がそう思うなら、君の中ではそれが真実なんだろうね。私もそう言うことにしておこう」  柔らかな相槌ほど、人を冷やすものはない。    カーンは窓越しに漂う残骸の線を追い、さらりと針を刺す。 「では、なぜ甲武国の諜報部は東和での活動に制限を加える?……理由を、私が納得できる形で説明してくれたまえ?どうしてなんだね?そもそもその理由を君は知っているのかね?」  近藤の喉が鳴る。    大本営勤務のころ、上官たちが東和への諜報に、言いようのない恐れを滲ませていたのを思い出す。説明の言葉が出ない。    沈黙が、答えの形をとる。 「話を戻そう。『ビッグブラザー』の存在は君も知っている。だが、あれは東和の一国平和主義の道具にすぎない?ふむ。嵯峨という男が『公安機動隊』を味方につけているというのも噂に過ぎないと?あの男が時に『時代を読み切った』手を打つのは偶然だと言いたいわけかね?……それは嵯峨の作った虚像である、と。君はそう判断したと私は判断すればいいのかね?」  近藤は、胸を張る代わりに、視線だけを上げた。    カーンの口元に、笑いにも溜息にも見える皺が刻まれる。 「そうか。なら、そうしておこう。それが虚像なら、この報告書には矛盾はない。……読むまでもなく、結論ありきで書いた紙に矛盾がないのは当然だがね」  カーンはグラスをテーブルへ。指先を離す無音が、近藤には爆音に聞こえる。    窓外の残骸が、航法灯の微光を受けてゆるく回る。    古戦場は今日も静かだ。死者は、よく聴く。生者の嘘も、臆病も、驕りも。  近藤は、言葉を選び直すために、唇の内側を噛んだ。    口腔に血の味がわずかに広がる。    呼吸を一拍、整える。 「……閣下。わたくしどもは例の神前と呼ばれる青年の能力を我々の出来得る限り詳細に検査しました。結論として、件の『法術師』としての力の発現は認められない。報告は、その事実に基づいております」  声が、途中でわずかに上ずる。    カーンは、すぐには返さない。    代わりに、机の上の紙巻に火を点ける。灰皿はない。代用品として、古いスチール製のペン立てが置かれている。    紫煙が、古い革とブランデーの香りに重なる。 「『事実』ね……敗者が言い訳としてよく使う言葉だ。そんなものは後方から見ている私にでも見れば分かることだ。そんな報告を求めた覚えは一度たりともないのだがね」  カーンは煙を細く吐き、灰を静かに落とす。 「では問おう。君は何を見た?どこまで見た?君の『検査』は、どの枠の中で、何を除外して組み立てられている?」  近藤は、用意してきた語を捲ろうとして、握った拳の中に汗を感じた。   「脳波、筋反射、視覚聴覚の閾値、反応時間、各種ホルモンの分泌パターン……標準化した軍の検査科目はすべて……」  近藤は検査項目を並べる。  近藤の精神はその一言一言を聞くたびに石うすでひきつぶされていくように感じられた。 「標準は凡庸のためにある……この私の言葉の意味は分かるかね?分からないだろうね……だからあんな紙屑が出来上がる」  老人の声は冷たいが、怒りではない。教育だ。ただ、近藤には、その言葉の重さが半分も届いていなかった。   「『法術師』という、地球科学の外側にある現象を、君は地球科学の物差しだけで測った。未知を測ったのではない。未知を、自分の知っている形に切り詰めただけだ。……だから言った。敬意がないと!君は目に見える事実しか見えていない!君は胃が痛くなった時、自分の目で自分の腹を見てその症状を判断するのかね?違うだろ?ちゃんと医者に行ってレントゲンを撮る。甲武海軍には最新鋭の医療施設があるからあらゆる検査が君に行われる。私の求めていた報告書にはそういう検査が行われたという証拠が見える報告書なんだよ!君はまるで分かっていない!」  急に激しくなったカーンの口調に近藤は、言葉を失う。 「ですが……閣下……」  それでもここで沈黙を通せば『サムライ』としての自分は終わると感じて近藤は言葉を口にしようとした。 「もう、君には言葉は残されてはいないんだろ?無理をする必要はないよ。君を見ていれば既に君に出来ることは私を不快にすることしかできないことくらい分かる。黙り給え」    カーンは、窓に背を向けるように椅子を少し回した。  近藤は敬礼の姿勢を保ったまま、喉の奥で言葉を探した。  だが、出てくるものは忠誠でも反論でもなく、自分がどれほど浅く測られていたかという屈辱だけだった。    漂う廃艦の骨が、光の筋に切り分けられた。
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