橋本直 / 第108話

第103話 猟犬の役目

「また自分に都合の悪い事実は否定して見せるんだね。話を戻そう。君は認めたくないだろうが、私の知っていることを話そう。あの男には『運』がある。そして、別の名前で同じ顔をした男が、崩壊寸前の遼大陸戦線で指揮した貧弱な装備の大隊が遼北人民解放軍の千倍の戦力相手に『負けなかった』と私は聞いている。……私はそんな『不敗の男』に興味があるね。君は自分に都合の悪い事実をフィクションと見る癖のある人間のようだから興味は無いだろうが、現実を現実として見ることができなければいつでも死が待っている境遇に身を置いて来た私には『興味』がある……実に『興味』深い話だよ」  敵を褒め、事実を指先で転がし、結論を急がずに相手の内側を剥き出しにしていく老人……その手つきに、彼はようやく悟る。自分の報告書に最も欠けていたのは、測定項目でも統計処理でもない。未知に対する敬意だった。 『この老人は色々理屈を立てて私を挑発しているようだが……要するに我々『官派』を利用したいらしい。嵯峨惟基も同じ盤上の駒にしている……ならば、こちらも利用されるふりをして動いて、出方を見よう……『死中に活がある』今の私にはふさわしい言葉だ。言葉はあくまで言葉だ。確かに言葉で戦争を始めることができるのは事実だが、戦争を勝利させられるのは常に『力』だ。我々『サムライ』は『力』を持っている。その『力』が今失われようとしている……その『力』が私の手の内にあるうちに行動を起こす……それだけが勝利への道筋だ』  近藤はそんな覚悟を決めながら姿勢を正し、闘士に敬礼する。カーンは満足げにうなずき、追撃を置く。 「敵であれ尊敬すべき人物だよ、嵯峨君は。地球圏や他のどの確認された軍事勢力にも彼ほどの人材はいない。敵として盤を挟む相手として、彼ほど愉快な人物を私は知らないね。そんな彼が選んだ人材なんだ。敵に値する嵯峨君が選んだ人材なんだ。彼が選んだ青年が私達を失望させるような『語るに足りない凡人』では無いと考えるのが当然の帰結だろ?」  口元に刻まれた笑みは、踏み越えてきた死体の数と比例して冷たく、確信に満ちている。 「恐らく君には分かるまい、近藤君。尊敬に値する敵と対峙することが、どれほど『愉快な気持ち』を戦士たちに味わわせるものか……前の大戦では開戦から終戦まで『参謀本部』勤務か……それでは仕方がないね。最前線の興奮!敵の捕虜を尋問する時の愉悦!そして敵のスパイを処刑する時の爽快さ!君はそのどれも知らないのか。それは軍人としては不幸だと言えるよ」  笑い声は小さい。だが、室内ではよく響く。死を娯楽にした者の笑いではない。死と秩序を同じ尺度で測る者の乾いた愉悦だ。 「『愉快な気持ち』……ですか……」  近藤は口をつぐむ。参謀部の数字の海。その向こう側にある悲鳴を、彼は知っている。だが、現場の泥の匂いと血の温度は知らない。知らぬことの負い目が、舌の裏に鉄の味を滲ませる。 「それならばこの件も含めて少しは前線の地獄と言うものを味わった方がいいのかもしれないな……君は。戦場を遠く離れた首都の安全地帯にある、司令部の立派な建物の中に蔓延しがちな『楽観主義的』な空気は、人間の闘争本能をすり減らすものだ。そしてその闘争本能無しには、あってはならないこの今の宇宙秩序を変えることは難しい。一方、君は認めたくないようだが、嵯峨君はもし私の情報が確かなら、戦争の『裏側』で常に最前線に身を置いていた人物だ……彼なら私の高揚する気分を説明できるだろう。彼なら私のこの高揚する気分にきっと同意してくれるはずだ」  近藤には、理解してはいけない呪いの言葉に聞こえる。戦争に表も裏もない。強いものが勝つ——彼の硬い信仰が、カーンの眼差しで静かに解体される。 「戦争はね、政治なんだよ。中でも嵯峨君は特に『見えない敵』と常に渡り合う必要のある困難な仕事をしていたようだ。君にはそれを知る機会は十分にあったんだ。君は前の大戦でも、そして今でも知ろうとしなかった。……それだけだ。所詮君はそこまでの人物……と私に言ってもらえば満足するのかな?それが屈辱的なことであるということは自覚した方が良いことなのかもしれないがね」  からかうようなカーンの口調に近藤の耳は紅潮した。 「自分達、『戦争指導者』は決して『楽観主義者』などではありません!常に勝利のために全体を見て行動する人間が戦争には無用だと閣下はおっしゃりたいのですか!」  ようやく絞り出した声に、カーンは首を緩やかに横へ振る。 「全体を見ることができることがそんなに自慢かね?見るだけだったら別にその目は人間の物である必要すらないかもしれないね。それに君が楽観主義者ではなかったと言いたいらしいが……本当にそうなのかな?私から見れば君達はあまりに『楽観的』だ。全体を見ること自体は、その地位に座りさえすればどんな無能にでもできる。その地位にあることだけを自慢して歩くような無能が戦争を指導するから戦争は負ける。その最大の理由が特権意識がもたらす『楽観主義』だ。その『楽観主義』が前の大戦の敗戦を我々に味わわせた。私はそう思っているよ。嵯峨君も、きっと同じことを言うだろう。間違いなく」  嵯峨の名が出るたび、カーンの瞳孔がわずかに開き、楽しげに細まる。外のデブリ帯で、一枚の装甲板が光を返す。  近藤は沈黙を選ぶ。意思と経験と洞察……三拍子で自分が劣ることが、数分で痛いほど分かった。 「それでは例の計画を早める必要があるのでは?表面的にはわからないことでもこちらから動いて見せれば馬脚を現すこともありますから。少なくとも読書ばかりで頭の回転の良くない『小さな中佐殿』あたりが暴走してくれれば……いくらでも手は打てますが?それでおとぎ話に言う『法術師』とやらの実力の程がわかれば……」  カーンは視線を窓外へ滑らせ、短く息を吐いた。落胆の息だ。 「いや、それについて君が口を挟む必要は無い。正直君にはその資格が無いことはよく理解できた。下がりたまえ」  声色が一段冷える。命令だ。近藤は踵を返し、扉へ向かう。ドアのシールが低く鳴り、開き、カーンは近藤に退出するように指示した。 「ですが……」  振り返る彼に、カーンは抑揚を戻して釘を一本。 「だが……君の提案は一考に値する。失敗すれば君達は終わるだろうしね。君が勝手にそう判断し、勝手に動くなら、止める理由もないというだけだ。私達の組織とこの艦隊の行動は無関係であると言うことを証明できるのであれば、君達は独自に君がおとぎ話だという『法術師』の実力調査に動いてくれてもかまわない……すでにこちらは『下準備』ができているんだ。あとは君の決断次第……まあ自由にしたまえ」  近藤の顔に、子どもが新しい玩具を与えられた時のような光が宿る。 「わかりました!それでは我々は独自に行動を開始します!」  軽快な敬礼。はじかれたように退室する背中。自動ドアが静かな音で閉まる。  沈黙が戻る。カーンはグラスの底を覗き込み、満足げにうなずいた。  扉が閉じた瞬間、カーンの顔から近藤への関心は消えた。  彼にとって、近藤貴久という男は、すでに未来形ではなく過去形の駒だった。 「君は君にしてはよくやったよ、近藤君。あくまで『君にしては』だがね。昔の中国のことわざに『|狡兎《こうと》死して|走狗《そうく》煮らる』と言うものがある。兎を狩って使い終わった『猟犬』は煮て食われる運命なんだよ、どこでもね。……さて、君達『猟犬』の『肉』にありつくのは私かな?『嵯峨君』かな?……いやいや、第三勢力の『ビッグブラザー』の線もあるな……所詮、『サムライ』は『サムライ』。私も『サムライ』のバイブルともいえる『葉隠』くらいは読んでいるよ。『武士道とは死ぬことに見つけたり』。君達にふさわしい言葉だ。ならば望み通り、役に立つ死に方をしてもらいたいものだね……ただその私のような『サムライ』ではない人間をその自殺に巻き込まないでいてくれれば君の役割は終了だ……その結果『法術師』の情報が遼州人とシオニズムに汚染されたアメリカの独占物で無くなれば……私にとってこの上もない僥倖だ」  微笑とともに、グラスの底の光が揺れる。楽章が変わり、低弦が新しい床を敷く。近藤は、自分がすでに誰かの狩猟計画の一部になっていることには、まだ気づいていない。そんな『何も知らない馬鹿なサムライ』の自分が何も知らなかったことを悔いた瞬間に迎えるであろうあまりに哀れで無力に過ぎる絶望に満ちた最期を想像すると自然とカーンの口元に穏やかな笑みが浮かんできた。  卓上のボタンが押され、窓は反射を増してモニタへ切り替わる。古戦域の景色が消え、画面には冴えない表情の新兵……神前誠の身分証写真。機械的な光源が彼の頬の未熟さを強調し、横には無機質なプロフィールが並ぶ。 「『神前誠』……君は一体何者なんだね?私は君がすでに四人の『覚醒した法術師』を抱える、あの『特殊な部隊』の五人目の『覚醒した法術師』であるという結論にはたどり着きたくない。『秩序の守護者』を自任する私にも望まない結論くらいあるものだ。私から見て嵯峨君が『無秩序を望む』人間なのは明らかなんだ。そんな嵯峨君のこれまでの行動をつぶさに現実として見るにつけて君の存在を私は許すことができないんだ。君の理想を実現する組織である『特殊な部隊』の存在を私は認めることができない……決して許すことはできない……」  写真の若者は、どこにでもいるように冴えない。だが、目の奥に曇りきらない光点がひとつ、確かにある。カーンはその点を逃さない。 「だが、彼の目に浮かぶものは何だ?かつて、私が目にしたことのある者たちと、同じ『光』を宿しているような気がする。……君は、嵯峨君が仕掛ける最後の『切り札』なのか?その結果君は何をなそうとしている?そのヒントをあの哀れな『サムライ』の『ハラキリショー』の間に私に見せてくれないかね?」  指先がボタンを叩く。誠の日常のスナップが数枚、連続で映る。食堂、廊下、訓練、視線の泳ぎ、手の癖……どれも凡庸だが、凡庸さはよく嘘をつく。  本当に危険なものほど、最初は退屈な顔をしている。 「まあいい。近藤君も新たな『法術師』かもしれない神前誠と言う新兵を『英雄』にする戦いの『噛ませ犬』を志願してくれたことだ。じっくりと見させてもらおう。ちゃんと『法術師対策』の糸口を見つけるための『|囮《おとり》』ぐらいは勤め上げてくれよ。近藤君」  視線は閉じたドアへ。青い瞳に、愉悦が細い線で走る。 「嵯峨君とのこのゲーム……私は心の底から楽しんでいるよ。近藤君たち『猟犬』がどんな結末を迎えるのか、じっくりと見させてもらおう。そうして……その結末によっては私との協力を申し出てきている『廃帝ハド』との関係についても考えてみる必要があるかも知れない……楽しみが増えた。敗戦国の亡霊にも、それくらいの愉悦は許されるだろう」  それは、敗戦国の亡霊に残された数少ない『贅沢』でもあった。グラスの残りを喉に落とす。|琥珀《こはく》の香りが肺の奥に満ち、やがて薄くなる。室内は再び、音楽と機関の呼吸だけになる。古戦域の亡霊は画面の外で回り続け、旗艦『那珂』はびくともしない。    ……死者は、今日もよく聴いている。
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