橋本直 / 第63話

第58話 『フルメタル魔法少女軍曹』、始動

 朝の空気はすでに夏らしい熱気を帯び始め、寮の周囲からはそれぞれに隊での勤務に備えて柔軟体操をする隊員たちの低い声がこだましている。下士官寮から本部へ向かう小道に、朝露を跳ね上げる靴音が規則正しく続いた。  誠はパーラの車のドアから身を乗り出すと、深呼吸を一つして背筋を伸ばした。 「おはようございます!」  返ってきたのは、やや騒がしくも気の良い声。詰め所の入り口から、やや騒がしくも気の良い返事が飛んできた。  誠は笑顔をつくり、朝の空気に自分を溶かすように返答した。  部隊の本部までパーラに送ってもらった誠は、せめてこの『特殊な部隊』に飲み込まれないためには『元気』だけが必要だと悟りきって元気よくそうあいさつした。  本部の廊下は古い照明が淡くともり、机の上には昨日の書類がまだ散らばっている。今日も一日、無駄に焦らず、しかし流されずにやってみよう……そう自分に言い聞かせると、胸の内の緊張が少しほどけた。  そんな誠の机の上になぜか大きめの箱が置いてあった。  箱はダンボールで、端に宛名もない。湿った紙の匂いがかすかにし、誠は首をかしげた。箱は大きめだが軽く、開ける前の期待と不安が程よく混ざる。ここでは『なぜ?』がいつも多い。 「なんです?これ……こんなもの頼んだ覚えは無いんですけど……支給品ですか?この『特殊な部隊』の」  周囲の目を気にしつつも誠は箱を軽く抱え上げ、肩越しにカウラを見る。カウラは端末の光に目を向けながら、いつもの冷静さで静かに首を横に振った。 「それは隊の支給品ではない。なんでも終業後、クバルカ中佐が昨日の夜に貴様の家に挨拶に行ったときにその箱を受け取ったそうだ。クバルカ中佐が言うには今後日常的に神前には必要になるものらしい。母親に感謝するんだな。まあ、肉親と言うものは私には関係ないが」  カウラの言葉に、誠の胸の針が少しだけ動いた。母のこと。  誠の父は全寮制の私立高校で武道教師をしており、家を空けることが多い。  そのため、実家の道場を守っているのは剣道師範である母だった。  そんな母の腕と気遣い……そうした個人的な記憶が箱の重みを増す。  カウラの無粋な付け足しはいつもの皮肉だが、誠はその裏にある親切を見逃さない。  カウラは興味なさそうにそれだけ言うとそのまま端末のキーボードをたたき続けた。 「クバルカ中佐……義理堅いって言っても限度がありますよ。ここから都内まで一日二往復なんてまるでトラック運転手並じゃないですか。母さんからか……何だろう?それとクバルカ中佐が隊で必要なものって……ちょっと思いつかないな……」  箱のテープを剥がす指の所作は、朝の儀式のようだ。誠は手元のガムテープをゆっくりと裂き、箱を開けた。包みの布地からは使い慣れた匂いが漂い、瞬間的に高校時代の夏の記憶が口の端に戻ってきた。  母が縫った生地の縫い目を見た瞬間、  誠は実家の道場の匂いを思い出していた。  母が縫った生地の縫い目を思い出し、誠は思わず笑った。    誠はそのまま上のガムテープをはがして中をのぞき見た。中には古びた包みが入っていた。  布をほどくと、時間の匂いがぷうんと立ち上がった。高校ジャージの色褪せ、スパイクのかかとの摩耗。どれもが、高校時代の匂いを携えている。 「ジャージ……とスパイク。にしか見えないよな……クバルカ中佐に急に渡すぐらいだからすぐに必要になるものなのかな?何に使うんだろう?」  誠は首をかしげつつも、どこかほっとする気分だった。古いジャージは重ね着すれば通勤にも使えるし、スパイクはグラウンドでの足取りを思い出させる。  スパイクの感触を見ていると、高校時代のグラウンドの土の匂いまで蘇ってくる気がした。  懐かしさと当惑が混じった顔で誠は箱を抱え、そのとき背後から小さな気配がした。振り向くと、ランが小さく胸を張って立っている。彼女の眼はいつもの鋭さで、しかし朝陽のせいかどこか嬉しそうだ。 「クバルカ中佐。あれからうちの実家まで行ったんですか?結構遠いのに……それになんでこれをわざわざ?母が用意してたんですか?それだったら宅急便か何かで事前に送ってもらえばよかったじゃないですか?何か部隊でジャージとスパイクが必要になることがあるんですか?走ることと部隊の運用になんか関係が有るんですか?」  誠の自然な疑問に、ランは満面の笑みを崩さず、むしろちっちゃな胸の前で腕を組んで誠を見つめて笑っている。彼女のかわいらしい口から発せられる言葉には時に狂気じみた熱意が混じっているが、どこか純粋で羨ましい部分もある。誠はその熱気に圧倒される。  誠は懐かしいジャージを見て困惑しながら笑顔のランにそう尋ねた。 「ああ、別にオメーが気にすることじゃねーんだ。これから息子さんの命を預かる人間として当然のあいさつに行ったまでの話だ。オメーを東和宇宙軍の本部に迎えに行くのより距離は近いし都心の渋滞に遭わないんだから大した話じゃねー。そん時、オメーについてオメーの母ちゃんと色々話してな。その時、母ちゃんにも聞いたが、オメーは体力だけが自慢だろ?なんと言ってもその筋では知られるほどの野球部のエースだったんだ。当然だよな」  ランの目は真剣そのもので、ところどころ子供じみた誇張が混ざる。誠は突拍子もない命令の前に笑うしかなかったが、その笑顔はわずかに引きつっている。母の縫った縫い目と、ランの言葉が、妙なところで一本の線につながった気がして……誠は少しだけ背筋を伸ばした。 「僕……体力だけって……確かにパイロットとしては三流以下ですし、文系知識も無いから事務仕事とかはできそうに無いですが……体力だけなんてひどい言い方は無いんじゃないんですか?」  誠が自嘲気味に弁明すると、ランは満面の鬼教官スマイルをさらに大きくした。彼女の幼女のそれとは思えない鋭い視線には『体育会系』染みた情熱の炎が燃えていた。それに巻き込まれると抗えない。 「いーじゃねーか。体力が自慢……事実ならばそれこそ誇るべきことだ。それにこいつがあれば今日一日走っていても大丈夫だろ?だからオメーの母ちゃんにこれからのアタシのオメーの教育方針を説明して動きやすい服装を用意してもらったんだ。うちは予算が無いからそんなもんを支給するような金はねーからな。そんな金があればうちの廊下の切れてる蛍光灯の一つでも交換してえくらいだ」  ランの説明は実務的で合理的に聞こえるが、その論理の飛躍は明白だ。『オメーは体力自慢だから走れ!』という筋道がまっすぐ過ぎる。 「オメーはまだ人間として未完成だ。安心しろ。アタシが今日から材料に戻して、使える部品に鍛え直してやる」  誠はランが付け加えて言った言葉に困惑するが、母の用意したものが誰かの目的に使われるのは、どこか誇らしくもある。 「へ?一日中走る?それがここでの僕の仕事なんですか?」  誠の問いにランの顔が歓喜で輝いた。小柄な体からは想像できないエネルギー量だ。曇り空でも彼女の目は晴れ渡り、まるでこれから行われる『儀式』を心待ちにしているかのようだ。 「そーだ!新入りのオメーの仕事は一日中走る事!それ以外の仕事なんざ何もねー!まず、パイロットは体力勝負!当然、その基本は下半身にあり!とりあえず走れ!何があっても走れ!テメーは今日一日走り続けろ!なんならうちのグラウンドは照明があるから夜通し走ってもいいぞ!意識がある限り走れ!良いから走れ!ともかく走れ!オメーにはそれしかねーんだからそれを信じて走れ!」  ランの口調は軍神の檄のようだ。機動部隊の詰め所に居る他の女子二人、カウラはただ目の前の端末に何かを入力する作業に集中しており、かなめはと言えば相変わらず銃の分解整備をしているだけだった。 「クバルカ中佐……なんで僕だけが一日中走らないと……それって不公平なんじゃないですか?」  誠は同じパイロットでありながら全く動く様子の無い二人の女上司を盗み見ながらそう言おうとした。 「おい、神前。新入りのくせに生意気だな。アタシ等にも付き合って走れとか言うのか?なんでそんな面倒なことをアタシ等がしなきゃなんねえんだ?カウラは『ラスト・バタリオン』だ。体力的に遺伝子操作を受けていないテメエとは素材が違う。鍛えるまでも無くオメーより早く走れる。そして、アタシはサイボーグだ。アタシの身体の生体部品は無理をさせればそれだけ消耗する……それとも何か?オメエがその部品代を私費で立て替えてくれるのか?」  銃のバレルをのぞきこみながらかなめは突き放すようにそう言い放った。  誠は一瞬逃げ出したくなったが、母を思うと二の足を踏む。 「走る……そんな前近代的な訓練なんて……トレーニングルームとか無いん……でしょうね、ここにはそんな予算は無さそうですし……でもそんなに走ったらいくら僕でも気絶しちゃいますよ」  誠の心配はもっともだ。だがランはそれをあざ笑うかのように目を細める。彼女にとって『気絶』は鍛錬の一過程に過ぎず、起こした後のリカバリまでも含めて計算に入っている気配がある。  いきなりの命令に困惑し、二人の女上司から見放されて呆然としている誠の顔をランは厳しい目つきでにらみつけた。 「新兵に必要なのは人格じゃねえ!反射と体力と根性だ!考える頭なんざ後からついてくる!アタシがうちの隊長をしている『駄目人間』の捕虜だった時代に『駄目人間』に観せられた映画があってな。ベトナム戦争でアメリカ海兵隊の新兵をしごき倒す、あの『帽子がトレードマーク』の『ハートマン』とか言う名の軍曹が出てくるやつだ。そいつの新人教育の方針には、アタシも感銘を受けたんだよ!そいつはそいつの善意を逆恨みしたデブの落ちこぼれに射殺されたが、オメーの体力があればその心配もねーし、そもそも『魔法少女』であるアタシにオメーがアタシをいくら逆恨みしてもアタシに勝てるわけがねー!だからアタシはあの軍曹の教育方針でオメーを鍛えると決めた!さっさと着替えてこい!アタシがぶっ叩いて鍛えてやる!根性見せろ!ガッツだ!ガッツ!社会人に必要なのはまず体力!それをアタシが叩き込んでやる!気絶だ?そんなもん水でもぶっかけて起こせばいい!とにかく走れ!」  ランの声は機動部隊の詰め所に反響した。  見た目だけなら、  ランドセルでも背負わせた方が似合いそうな幼女だった。  だが中身は完全に海兵隊の鬼軍曹だった。 「世間じゃあの映画を『軍隊教育の狂気』とか言うらしいが、アタシに言わせりゃ逆だ。あれは教育者の鑑だ。あの軍曹は最後まで新兵を見捨てなかった。だから撃たれた。つまり、優しすぎたんだ。アタシの魂も同じだ。そしてアタシの教育方針もあの軍曹の言葉とまったく一致している。あれこそが教育のあるべき姿だ」  誠はその場で戸惑いながらも、母の用意した着古したジャージと古いスパイクを手に部屋を出て男子更衣室を目指した。  誠はそこで理解した。  これは訓練ではない。  教育ですらない。  ランの中では、すでに自分は『新兵』で、彼女は完全に『軍曹』なのだ。  ならば、彼女が課す訓練は日常的にこんな感じで、結果としてあの5人でなくとも誰もが一週間で出ていくだろうと。  しかし、昨日の月島屋での飲み会でランが誠が知らないその見た目から『魔法少女』と呼びたくなる存在である『法術師』と呼ばれる超人的能力の持ち主であり、とてつもない力があると知ってしまった誠は怖くて言い出せずに、そのまま誰もいない男子更衣室でジャージに着替えると本部棟を出て整備班長の島田と出会った駐車場の反対側にあるグラウンドに飛び出した。  少なくとも、 『魔法少女軍曹』に逆らう体力は今の誠には必要だった。

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