橋本直 / 第32話

第27話 油とロックンロールのハンガー

 あの毒舌幼女のランをして『特殊な部隊の四大馬鹿』と言わしめたほど、誠には理解不能な感覚で生きているアメリアに振り回されてその言葉に従って廊下へ出ると、空気が一変した。  建物内の蛍光灯の冷たさと、外に続く大きな格納扉から差し込む陽光の熱がせめぎ合う。誠は入口の反対側へ向かうつもりで、足取りを確かめるように廊下を進む。ところどころの壁に貼られた注意札、床に残る古いワックスの光……軍施設独特の無骨さが、どこか懐かしさを呼び覚ます。  行き止まりに差し掛かると、そこに天井にまで届くような大きな鉄扉があった。ものものしく、ハンドルも分厚く、見るからに『秘密基地』の匂いを漂わせている。 「なんか、秘密基地っぽいな。ようやくここに来てシュツルム・パンツァーのパイロットである僕が呼ばれた理由が分かるような場所に来られたような気分だな。これまでのはどちらかと言うとお役所と言うか警察署と言うか……僕みたいな理系の人間がいるとどうにも居心地の悪そうなところばかりだったけど、ここは良い雰囲気……まるでアニメの世界みたいだ。でもさっきまで見たどう考えてもお役所の建物の隣にあるということはここはどう考えても現実世界なんだよな。まあ、あの髪の色が変な女の人達はかなりアニメの世界に近い存在だったけど……でもあの髪の色の理由は何なんだ?あの僕の小隊の小隊長だとか言ったベルガー大尉にしろ、ちょっと普通には見られないような髪の色だったぞ……全員で染めたの?ああ、遺伝子レベルで染める技術があるとか医者の卵の友達があるとか言ってたけど、それは保険がきかなくってテレビに出て来るレベルの露出度のコスプレイヤーでもないと無理だって言ってたけど……ここってそんなにお給料が良いのかな?でも全員で染める?初対面の人の頭にタライを落とすような馬鹿ならそれくらいのことをやるかも知れないけど」  誠は思わず笑いを漏らすが、瞬間的に見つけたのは左右に並ぶ大きな押しボタンだった。ひとつは緑で出っ張り、もうひとつは赤でへこんでいる。どこかマンガ的な配置だが、誠は無意識に『出っ張ってる方を押す』理屈に従い、勢いよく緑を叩いた。緑がへこみ、赤が出っ張る。鉄がうなりを上げ、扉がゆっくりと開いていくその機械音が、誠の鼓動と共鳴するようだった。  扉が開く音を聞いた瞬間、誠の胸の奥で、子供の頃の何かが跳ねた。  特撮番組で秘密基地の格納庫が開く時の音。  アニメで主役機が初めて姿を見せる直前の間。  プラモデルの箱を開ける前の、あの馬鹿みたいに真剣な期待。  理屈では、ただの整備施設だと分かっている。  それでも誠は、少しだけ息を止めてしまった。 「なんだかすごく『秘密兵器』が隠されている場所みたいで……整備班ってことはそれこそ最新式の秘密のシュツルム・パンツァーとかを扱ってるんでしょ?東和陸軍がこの前、07式と言う最新鋭のシュツルム・パンツァーの配備を始めたとか言ってたから、それを超えるような超兵器が隠されているからこんなに立派な扉があるのかな?それにしてはしっかり錆が浮いていたような気が……いや、忘れようその事は!そんな事よりもこういうドラマティックな雰囲気の時はドライアイスで煙が出るとよりそれらしくなるんだけどな……その方が強そうだし。でもそんな期待はしない方が良いな。これまで見てきたところはどう見ても田舎の市役所みたいな建物だったからそんな豪華なものがあるなんて考える方がどうかしている。普通に油臭い技術兵たちが行ったり来たりしているだけの世界なんだろうけど」  ドライアイスの煙の代わりに扉の向こうから、ロックンロールが流れてきた。  うんこ座りのヤンキーがタバコを吸いながら車座になって、隣のスピーカーから周りの迷惑を考えずに平気で流れているあれである。  スピーカーの低音が床に反響し、埃っぽい空気が踊る。  期待していた巨大ロボットはなかった。  けれど、古い車のボンネットの隙間から見える配管や、磨かれたエンジンの金属光沢を見た瞬間、誠の失望は少しだけ薄れた。  これはこれで、十分に格好いい。  ただそれ以上に明らかに整備班員の趣味だと分かる大音量で流れる誠の知らないバンドのロックンロールが気になっていた。 「まさに不良のたまり場って感じ……なんだか僕には似合わない世界だな……どうせあの島田とか言う整備の責任者の趣味なのかもしれないけど。なんかその典型みたいな整備班長だったりしたら嫌だなあ……いきなりカツアゲされたり、パンツを下ろされたりしたらそれこそ悪夢の中学生時代に逆戻りだ。別に音楽に罪があるわけじゃないけど、考えてみればこういう曲が好きな人と僕の相性が良かったことって、これまで一度も無いからな」  壁にインクで落書きされたFワードを見て誠はそんなことを考えていた。漂う匂いは、油とガソリン、古いゴムと汗が混ざり合った濃厚なものだ。誠の鼻腔は瞬時に吸い込まれた情報を処理に追われた。大学の自動車部の新歓の匂いが、遠い思い出とともに蘇る。だが、ここはそれよりもずっと『場』が濃い。時間が油と鉄に染み込んでいる。  中に入ると、空間は思ったより広かった。三十メートルほど奥行きがあり、所狭しと誠が見たことも無いようないわゆる旧車と呼ばれる地球の20世紀末に作られた自動車やバイクが並べられている。床にはオイルのシミが点々と広がり、その濡れた艶が陽光を受けてかすかにきらめく。天井から下がる工業用ライトは、一つだけ切れていて、暗い影を作っていた。工具箱、エアホース、油まみれのウエスが無造作に積まれ、壁には旧いレースのポスターが黄ばんで張られている。空間そのものが『ここで生きてきた者たちの履歴書』のように見えた。 「すいませーん!誰かいませんかー!返事をしてくださいよ!!」  まったく人影が見えないので誠は叫んだ。反応はなかった。 「誰かいますかー!隠れてないで出てきてくれても良いんじゃないですかー!後輩が来たんですよー!」  反応の無さに誠は少し大きめの声でそう叫んでいた。しばらくすると、床の奥からガサゴソと金属が擦れる音。ジャッキアップされた白と黒のツートン旧車の下から、油まみれの顔がにゅっと現れた。長身の誠よりさらに体格のいい男。つなぎは水色、胸には『実働部隊』の刺繍。顔中に残る油と、額の汗が、酷暑の昼下がりを雄弁に語る。 「あのー島田さんですか?僕が今度配属になった神前誠です……島田さん……ですよね?」  誠は、やたら眼光の鋭い大柄の男に向かってそう尋ねた。 「ちげーよ。うるせーな、いい曲聞いてんだよ。雑音混ぜんな」  不機嫌そうに誠より長身で恰幅の良い男は誠を見つめた。 「島田じゃねえよ。大野だ。何度言えば分かるんだよ……オメエ馬鹿か?班長は駐車場。見りゃ分かるだろ」  男は油まみれの手で外を指した。 「パイロットってのは、どいつもこいつも同じだな。整備の人間は暇だと思ってやがる。俺が今、車の下で何してるように見える? 昼寝か?……なんであんな馬鹿と一緒にされなきゃいけねえんだよ。気分が悪くなってくる。班長は駐車場だろ?またバイクでもいじってんじゃねえの?こんなところで地味な作業をしている俺を班長と決めて考えて自己紹介を始めるなんてオメエも少しは気を利かせろよ。オメエが今度来るって言うパイロットだろ?これまでの連中も全員そうだ。パイロットは整備の人間を見下してくるみたいだな。いきなり笑顔で話しかければ俺達が機体をきっちり整備してくれると考えているんだろ?オメエもそのたぐいだな。今、俺が仕事をしていることは見れば分かるよな?それを中断させて自分の案内に利用しようと考える。所詮パイロットなんて言う人種はそんなもんだ」  男はぶつぶつと呟きながら車の下に戻ろうとする。声には粗野さと、どこか居心地の良さを感じさせる自信がある。誠は躊躇しながらも尋ねる。  車の下から顔を出した男は一瞬だけ誠を見下ろし、そのまま車の下に潜り込むように身体を滑らせた。男の手は油で黒光りし、その動きは熟練の手つきだ。誠は戸惑いながらも、右手で革のカバンの肩紐をぎゅっと握りなおした。 「あのー駐車場は……」  仰向けになって車の下に入ろうとする大男に声を掛けた。男は物わかりの悪い誠にうんざりしたような顔をすると大きな扉の向こうを指さした。 「あっち。見りゃわかるだろ?そんなことも分かんねえのか?オメエ馬鹿だろ?まったく、邪魔しやがって。班長が『こいつはこれまでの|青瓢箪《あおびょうたん》と違って、見どころがある』って言ってたけど、身長だけじゃねーか。他よりましなところは……駐車場とグラウンドの区別もつかねえのか?オメエは馬鹿か?まあ、パイロットなんかみんな馬鹿だとあのクバルカ中佐も言ってるからな。まあ、そのクバルカ中佐本人が馬鹿なのはこれまでさんざん詐欺に引っかかってその度に闇金に手を出して隊長に泣きを入れているのを見れば分かるけどな」  右手の方を指さすと男はそのまま車の下に潜り込む。 「こういう時、何を言っても無駄ですよね……失礼しました」  誠は男の大きな態度に少しおびえを感じながら遠慮がちにそう言った。 「わかってんなら自分で勝手に行けよ。ガソリン車の旧車のバイクの前で座ってタバコ吸ってるような馬鹿は他にいねーから。そんなことしてたらそのうち爆発するっていくら俺達が言っても聞かねえんだ。格納庫の入り口からすぐわかる。さっさと行け!俺は忙しいんだ!そんなの見りゃわかるだろ!気が利かねえ奴だな!そのくらいの気は使え!オメエがもしうちに居付くことになったら俺達のちょっとした細工一つで命が無くなるんだぞ!そのくらいの配慮があるのが当たり前だ!馬鹿じゃねえんならその気遣いくらい見せてみろ!」  声は低く、しかし命令口調でそう言った。 「なんだかなあ……そこまで言われる筋合いはないと思うんだけど……」  とりあえず上半身裸の馬鹿そうな男を見つけたら声を掛けようと決めて、誠は歩き出した。誠は高さ二十メートルを超える大きな扉の隙間から外を眺めた。そこにはこれまでの話を総合した結果、あるべき場所にあるべき駐車場がそこにあった。  広い駐車場に車の数はまばらで、その中央に明らかに場違いなランの黒い最新型の高級自動車があった。多くは明らかに違法改造を施された車高の低いスポーツカーが占めており、そして残りは税金が安くなる『軽自動車』の可愛らしい車が並んでいた。  誠は車の見本市と化している駐車場に足を踏み入れた。 「スポーツカーは技術部の人達のかな?技術系の人は男が多いからこういうスポーツカーは車に金を惜しまない人多そうだな。運航部の女子は基本的に軽かな。ポップな色は女の子っぽいもんな。それと……どう見ても型落ちの軽。これも技術部の男衆だな。金が無くて廃車置き場にある鉄くずを再生した……そういう先輩いたな……大学時代も」  そんな独り言を口にしながら、誠は学生時代を思い出していた。  誠が車の陰を回ると、そこに見えたのは半裸でうんこ座りの男。日焼けした背中に、筋肉が躍動している。彼の背後には古いバイクが一台、丁寧に磨かれて置かれていた。エンジン周りは光を放ち、整備の行き届いた匂いが油の匂いに混じる。 「あそこか……それにしても……敷地内に森?」  誠は目の前に広がる駐車場に上がる蜃気楼の向こうに広がる森に目をやりながらそうつぶやいた。

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