橋本直 / 第33話

第28話 機体を殺すな

 何故かその半裸の男の向こうには森があった。  東和陸軍の敷地の中には、こうした森があることがあるのが一般的だと聞いていたので、誠はどうせ神社でもあるのだろうと割り切って、深く考えないことにした。  近づくとその日焼けした背中を見せる男の向こうにバイクが停まっていた。その隣の青い箱がクーラーボックスだとわかった。誠は汗をぬぐいながらそのチンピラ風の茶髪の男の方に向かった。 『いくら暑いからって上半身脱いで……あんな馬鹿そうなのが僕の機体を整備する整備班の班長なの?部下からも馬鹿扱いされてたし……』  空は先ほどの曇り空から、カンカン照りの快晴に変わっていた。日差しが容赦なく誠に照り付ける。もうすでに汗を拭く用をなさなくなっていたハンカチを手に東和共和国宇宙軍の夏服がいかに東和の夏に向かないものか、誠は身をもって体験していた。  誠が近づくと、古い型落ちの軽自動車が一台、勢いよく入ってきた。明らかに技術部の所属であることは誠にも一目で分かるそれは半裸の男とバイクの前で停まった。若い声の主の運転席から降りてきたのは小柄なつなぎを着た整備員だった。 「遅れました!班長は午前の酒がもう終わるころだと思ったんですけど……もうそれが最後ですか?間に合ってよかったです!」  明らかに自分より年下の小柄な白いつなぎの整備班員はそう叫びながらクーラーボックスを抱えて駆け寄る。若者の慌てぶりに、島田は苦笑いを浮かべつつ誠を一瞥した。 「西!早くしろよ……後輩が見てんぜ……先輩として仕事はしっかりしているところは見せてやれ。それが社会のルールって奴だ」  半裸の島田はややからかうように西と呼ばれた若い整備班に向けて声を上げた。整備場の空気には上下関係と連帯感が渦巻いている。  西がおんぼろ軽自動車から取り出したクーラーボックスが交換されると、若い整備員は誠と目を合わせて小さく敬礼した。若者の目には好奇心と少しの緊張が共存している。島田はその一部始終を見て、ぐっと肩をすくめて笑う。 「そいつは新米。お前は先輩だ。年齢が上だ?そんなこと俺が指摘したことが一度だってあったか?気をつかうことはねえんだ。オメエが生まれた階級と生まれた身分がすべての『甲武国』ではそうかもしんねえが、ここは『東和共和国』だ。同じ遼州同盟加盟国とは言え俺の兵隊は俺流で育てる……敬礼なんぞ止めて、そこにある空き缶の箱。とっとと積んで帰れや。オメエの仕事はそこまでだ。とっととやれ」  その言葉を受けても、二十歳に届くかどうかの若い整備員は誠と整備班長の間で困っていた。 「さっさと片付けろ!俺の言うことが聞けねえのか!整備班じゃ俺がルールだ!何度言ったらオメエはそれが理解できるんだ!」  整備班長に怒鳴られ、その若い整備員は弾かれるように段ボール箱に飛びつき、それを軽自動車の後ろに押し込んでそのまま車を走らせて消えていった。 「あのー」  誠は先程の指示があまりに乱暴なので注意しようとした。  誠が半裸の男の真後ろに立った時、その男はクーラーボックスを開けた。  島田はゆっくりとバイクの前でうんこ座りしていた腰を上げると誠の前に立ち、誠の頭の先からつま先までまるで値踏みでもするように見つめていた。  その右耳のピアスと短い茶色く脱色された髪。  そして何よりヤンキーらしい凄みのある眼光に誠は怯みそうになりながらじっと立ち続けた。  島田は人を見る時、履歴書も経歴も信用しない。  最初に何を見るか。  声の出し方。  目の泳ぎ方。  工具や機械を見る時の顔。  そして、整備の人間に対して頭を下げられるかどうか。  その数秒で、男の中では相手の値段が決まる。  そしてそのすべてが男の合格基準を上回っていることを確認するとそれまでの敵意むき出しの島田の誠に向けて来る視線が身内を見つけた時のような穏やかなものに変わった。  「遠いところようこそ。喉乾いてんだろ?冷えたビールを持ってこさせたわ。飲むだろ?うちは組織は軍隊に準拠してるらしいねえ……そんなことは俺には関係ねえけど。俺はいつだって人に迷惑が掛からないと俺が思えば俺の好きなようにやる。クバルカ中佐からそうやっていいって許可のもと、俺はここに居るんだ。そこんとこ忘れんなよ?ここは俺の支配地域だ。あの意地悪ばかりのアメリアのおばさんは何かと口を出すがその事実は変えるわけにはいかねえんだ。それにあのアメリアのおばさんも自分の趣味で運航部の女の子に無茶苦茶な命令を出してるじゃねえか。俺が同じことをして何が悪いんだ。俺は部長じゃねえが、技術部長代理というそれに匹敵する地位にある。その事実はあのおばさんがどうこう言おうが消せねえんだ」  言葉は乱暴だが、どこか恩着せがましい温かみが滲んでいる。  プルタブを引くと、氷のように冷たい金属の感触が掌に伝わる。  栓を開けた音が小さく弾け、最初の泡が喉元で弾ける。誠は一口で流し込んだ。  冷えた苦味が内側から染み渡り、汗で火照った身体が少しだけ軽くなる。  先程の空き缶の数からして、相当飲んでいるはずだった。男の前にはバイクがあった。実に見事な整備されたバイクだった。エンジン回りは磨き上げられて光を放っていた。 「バイク……好きなんですね」  半裸の男の隣に立って、誠はそう言った。  男は誠を無視するように新しいビール缶に手を付けた。  受け取っていいものなのか。  軍隊に準じる組織で、昼間からビール。  普通に考えれば完全に駄目だ。  だが、男の目は『飲め』と言っていた。  断れば、それだけで何かを見限られる。  誠はそう感じた。 「いきなり飲酒だなんて……今は勤務中ですよ」  拒む誠を見て男はニヤリと笑う。笑顔の似合う二枚目。醤油顔の典型的な顔。見える上半身は鍛え上げられていて、筋肉質だった。 「島田……島田正人」  男は自己紹介をする。その名が告げられた瞬間、誠はこの人が単なる不良ではないと感じた。粗暴さの裏にある『面倒を見る気質』が、そこに確かにある。顔立ちは醤油顔で、笑うと目尻に寄る皺が粗野な優しさを語る。彼の手は無骨だが、工具を扱う指先は繊細だ。古いバイクのキャブレターをいじるその所作には職人の誇りが匂う。 「僕は……」  誠が話し出そうとすると、島田は一気にビールを口から流し込んだ。    その声を遮るように島田は口を開いた。   「俺は細けえ経歴なんざ見ねえ。最初に立った時の腰と目つきでだいたい分かる。嘘つく奴は、機械の前でも嘘をつく。それが実際の戦場に出る機体を弄った人間である俺の答えだ」  その島田の核心を込めた言葉に押されながらも誠は自己紹介だけは仕様と口をパクパクさせる。  誠の無様な様に島田は安心させるような気の利いた笑みを浮かべていた。   「挨拶なんて同じ機体を扱う人間の間でするもんじゃねえよ。そんなもんはうちに出入りしている営業マンが俺に対してすることだ。知ってるよ。神前誠少尉候補生。俺には一応、代理とは言え部長権限があるからな。そんぐらいわかる。オメエは平の隊員だから部長代理でもある俺の事は知らねえと思って言っただけだ。ランの姐御に言われたが俺の人を見る目には間違いがねえんだそうだ。俺は最初の印象で決める。間違ったと思ったら、あとで直す。だが最初に逃げ腰の奴は、機械にも逃げ腰になる。そういう奴に、俺は機体を預けねえ」  冗談とも本気ともいえない口調で島田はそうつぶやいた。 「ランの姐御から聞いた話じゃ……相当操縦ヘタなんだって? お前みたいなデカイのは逆に操縦で損することがある。手足の長さとかリーチ感覚が違うからな。でも、安心しろ。教えりゃ伸びるタイプだ。問題は性格だ。変な生き方してなきゃ、乗れるようになる」  島田の言葉は粗いが実直だ。誠は自分が『下手』と断じられるたびに感じていた内なる劣等感を思い出す。大学時代の挫折、就職活動の空虚さ、そして母の剣道場で鍛えられた礼節。島田はそれを見抜くような口ぶりで、しかし責めるのではなく、励ます。 「でも面倒くさいねえ……演習にでも行ってエンコかましたら、こっちが徹夜で回収だ。お前が壊した機体を直す俺らにとっちゃ、笑えねえ冗談だ。シュツルム・パンツァーはスーパーロボットじゃねえ。無理させりゃ壊れる。壊れたら直すのは俺達だ。だから機体を殺すな。無茶したくなったら、まず整備班の顔を思い出せ。そしてオメエの機体に責任を持つ俺にここで無茶な操縦はしねえって、ここで約束しろ。機体を殺したら、まず俺らの顔を思い出せ。いいな?」  そんなかなめとカウラへの愚痴をつぶやくと島田はビールを口にした。そして口元を流れる泡を拭うと誠に向き直った。 「そんなの真似すんじゃねえぞ。真似をするならクバルカ中佐の操縦を真似しろ。オメエが下手なのは分かってるけど、クバルカ中佐の指導で多少はマシになってくれや。姐御の機体はどんなに激しい機動をしようが関係なく本当に綺麗だ。ビスの一本のゆるみもねえ。機体のすべてを把握して操縦してるからできる操縦だ。あんな操縦は普通の人間には無理だな。ああいうのが『エース』って呼ばれるやつだ。嫉妬すんなっても無理だが、尊敬はしろ。技術ってもんは、敬意から始まる。『遼南内戦』での500機越えの撃墜数も納得の見事な操縦だよ。その力に嫉妬した連中が『粛清者』とか『虐殺者』とか言ってんだ。あの人にそんなひでえことが出来るわけはねえ!機体を整備している俺達にもあれだけ気を使えるんだ。あそこまでなれとはいわねえが、オメエなりに頑張ってくれや」  島田の語り口は勢いがある。彼の話には無駄な着飾りがなく、直接的だ。誠は缶を握る手に力が入る。暑さでほてった顔が微かに引き締まる。誠は島田のペースに合わせるように缶ビールを飲み干した。 『あのちびで毒舌な『人外』の『魔法少女』が、誰かからここまで信じられている……僕はそんなちっちゃくてかわいい『魔法少女』と呼んでいいような立派な人の部下になるんだ……気合いを入れないとな』  目の前のヤンキーのランへの敬意の言葉に誠は思いを新たにした。  「オメエ、飲み足りねえ顔をしてるな……まだビール飲めるか?」  島田が笑う。誠はもう一つ飲むことをためらわず手を伸ばした。 「いいんですか?じゃあ、いただきます」  ここは治外法権なんだと自分に言い聞かせて誠はそれだけ返して島田からさも当然のようにビールを受け取ると缶を空ける。ビールの苦みが、口内の余分な緊張を洗い流していく。  島田は背中に浮かぶ汗をぬぐい、腕を組んで誠を見下ろした。その目は厳しいが、決して冷たくはない。整備場の喧騒の中、彼の一言一言が誠にとっては船の羅針盤のように響く。 「まあ、これまで来たすかした連中は俺の話なんざろくに聞かずに自分に配備される機体がどんな機体かという話ばっかしてきやがった。そんなパイロットもどきと違うお前がここに来るってんなら、俺が面倒見てやる。厳しいぞ、手間と小言は多い。だが、ここで腐るのが一番勿体ない。俺が見てやるから、甘えるな。わかったらまず挨拶だ。若ぇのに礼儀が無いのは論外だ。分かったか?オメエはパイロットだ。さっき俺が言ってたこととは矛盾するけどその気概……忘れんじゃねえぞ」  その口調はヤンキーそのものだが肝心な約束は揺るがない。誠の胸に、少しずつだが何かがほどけていくのを感じた。青空の光がトタン屋根に当たって眩しく反射し、工具の金属が小さく光る。ここは荒れているが、生きている場所だ。島田の手の中で育つものは、粗野でも確かな技術と連帯感だ。  誠は缶をもう一度口に運んだ。  この人は怖い。  だが、たぶん自分の為の嘘はつかない。  それだけは、ビールの苦味と一緒に腹へ落ちた。

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