橋本直 / 第113話
第108話 四十メートルの初陣
「そう言うわけだ。神前!こいつをカウラの機体の隣に立てろ!あっち見ろ……空いてんだろ?シュツルム・パンツァーを立てる場所が、あそこに!あそこがオメエの三番機の固定位置だ!ちゃんと覚えとけよ!忘れてアタシの場所に停めたりしたらどーなっても知らねーかんな!ちゃんとマニュアルでやれ!いつも操縦補助装置が正常に働くなんて考えるのは甘ちゃんの考えだ!特に受領直後で島田の部下の情報士官のシステムチェックを受けてねー今のコイツの補助システムがバグってない保証はどこにもねー!マニュアルだったら勝手に暴走して他の機体を傷つけることもねー!いーな!」
ランは小さな指で、カウラの電子戦専用機の隣にある、エレベーター付きのデッキを指した。黄色い安全チェーンが外され、青い導光ラインが点灯している。
誠はトレーラーに寝ている自分の専用機を見つめた後、ランが指さしたデッキまでの距離を目で測った。
距離としては40メートルほど。普通のパイロットなら別に気にするほどのことではなかったが、操縦については誰からも褒められたことの無い誠には格納庫の端から端までより遠く感じられた。
「へ?いきなり僕がやるんですか?しかもマニュアルで?中佐、僕の操縦の腕、知ってますよね?シミュレータが終わるたびに『なんでこんなこともできねえんだ』って竹刀で頭を叩いてるの、中佐ですよね?その僕にこんな微妙な力加減が必要になる固定位置への移動なんてことをさせようって言うんですか?」
誠は一瞬固まり、思わず聞き返した。喉がからからだ。
「神前、オメエの機体がこうしてここに来ちまった以上はオメエがどうにかするしかねえんだよ。そのくらいのことは自分で何とかしろよ。オメエは一応パイロットだろ?それに、このトレーラーは|菱川重工豊川《となりのこうじょう》の備品なんだよ。いつまでもここでテメエの機体を載せたまま待機させとく訳にはいかねえんだ。その間の延長のレンタル料……うちの予算で出せって言うのか?オメエが下手でもただ、トレーラーから降ろして歩かせて固定位置に移動させるくらいのことは出来るだろ?出来なきゃパイロット失格以前の問題だぞ」
島田に指摘され、誠は『はい』とも『いいえ』とも言えず、観念してトレーラー前部の梯子を上り始めた。鉄梯子は油で滑る。手袋をきゅっと締めなおす。
「姐御はそう言うが菱川の技術者にも意地があるだろうから暴走しないだろうってことでオートでやってもいいぞ……05式の自動操縦システムでこのハンガーの状況を瞬時に読ませて自動的に思った位置まで勝手に動かすように指示を出すくらいのことは理系の大学出てれば当然できるよな。まあ、それならパイロットの教育なんて受ける必要もなくってむしろ情報処理系の専門学校に半年通えばだれでもできることだ。まあ自信が無ければの話だけどな!ただ、そうするとオメエに負けたアタシの顔に泥を塗ることになるわけだ……額でタバコを吸う方法を知ることになるがそれでも良いか?」
明らかに挑発気味にかなめが言う。ヘルメットを片手で回しながら、ニヤニヤ笑いを隠そうともしない。
「いや、自信とかそういう問題じゃなくて……普通、こんな大事なことはちゃんと訓練を受けてからやるものでは……?普通、機種転換訓練って半年くらいかけてじっくりやるもんじゃないですか?」
誠は半ば泣き言のように言い、コックピットハッチに手をかける。
サイボーグで脳に直接操縦が流し込まれるのが常識のかなめは、肩をすくめてごまかす。
「オメエ、もう乗るしかねえんだよ。腹くくれ」
かなめはいつものかなめらしく、きっぱりと言い放つ。
「僕の命の扱いが軽すぎるんですけど……まあ、ここに来た時から僕の扱いがひどいのはいつものことで慣れましたけど」
小さな愚痴が、金属の箱の中でやけに大きく響く。
誠はそのまま緑色の自分の05式特戦のコックピットのハッチを開けた。油圧の小さな唸り、シール材の甘い匂いが鼻をついた。
「へー……やっぱりシミュレーターとおんなじ作りなんだな……僕には狭いかな……そこら辺は島田先輩がこれから調整してくれるんだろうな……まっさらな工場出荷状態の機体か……悪くないかも……」
そう言いながら乗り込む。
バケットシートの硬さ、身体計測に合わせた肩の受け、ペダル位置の調整ノブ。耳の内側で微かな高周波——起動系の準備音が鳴り始める。
ちょうど天井を見上げる形で身を預けた瞬間、誠の身体に異変が起こった。
臓腑の底を撫でられるような脱力感。視界の端に、シミュレータで見た『法術ゲージ』がふわりと現れては、大きく振れた。骨伝導スピーカのノイズが細く混じる。
吸い取られているのは命なのか、それともただのスタミナなのか、誠には判別がつかなかった。ただ、一度味わったら二度と忘れられない類の感覚だとは分かる。
これが何を意味するのか確認しようとしたときにはその感覚は急に消え去り、パイロット養成課程で練習機に乗っていた時と同じ感覚しか残っていなかった。
『なんだ……この機体……命を吸い取られるような感覚がする……これが『法術増幅システム』の効果なのか?』
疑問は次の瞬間、現実の作業音にかき消された。外でクランプが外れ、荷台がわずかに軋む。
『立てんぞ!』
島田の声がコクピットに響いた。通信表示に『島田/主/技術部』の文字。
誠に与えられた任務は自分の機体を40mほどただ歩かせるだけ。
それなのに、誠の中では発進シークエンスの一つ一つが、処刑台へ上がる階段みたいに重かった。
「大丈夫です!行けますよ!」
誠は息を整え、主電源を入れる。スイッチガードを上げ、トグルを倒す……『主電源/オン』。
モニタに立ち上がる自己診断の羅列が全天周囲モニターの画面を走る。
「なるほど……エンジンは89式の核融合エンジンでは無くて、今流行の07式に採用されたという位相転移式か……なるほど、だから始動時の熱雑音が少ないのか……まあ歩かせる程度なら蓄電池とモーターでなんとかなりそうだな……ちゃんとバッテリーも満タンだ。歩かせる程度なら平気だろ」
理系卒の意地で、流れる文字列から構成を拾う。駆動温度、バス電圧、サーボ音……一つひとつが『生き物』の脈に聞こえる。
機体の角度がゆっくり変わり始めた。
荷台の油圧が唸り、足回りが重力の方向を掴み直す。振動が背骨に、微細な震えが両踝に集まってくる。
「おう……これが……」
雰囲気に浸る余裕は薄いが、それでも胸が熱い。自分の『背丈』が、ゆっくり人間を超えていく感覚。
『カウラさんのオリーブドラブの機体の隣のデッキが見えるだろ?そこに立たせろ!』
島田の声音は実務一色でそう言った。
誠は操縦桿を握る手に汗を感じた。グリップのゴムが掌に吸い付き、心拍が一つ跳ねる。
「焦るな……冷静に……どうせ補助システムでうまい事動かしてくれるんだから。これでヘタッピ卒業だ」
自分に言い聞かせ、左足を前へ……アクチュエータの遅れ、慣性、床面の段差。
「しかし、思ったより電池の減りが……やっぱりこの機体重すぎ。こんなに重装甲にしたら300mも歩かせたらメインバッテリーが空になるぞ」
ちらりと見た蓄電池の残量が明らかに減っている表示を見て誠は肝を冷やした。
モニタ下辺には整備班員が豆粒のように見え、ヘルメット越しに手を振っている者もいる。
「よーし……できるじゃないか……」
右足を台から抜き、荷台を静かに離脱。支柱の影が足元を流れ、姿勢制御が追従する。衝突警告は出ない……呼吸をひとつ落とした。
整備班員の何人かは、まるで台車を押して片付けた程度の顔で工具箱を開けていた。誠だけが、ひと仕事どころか一戦終えたように汗をかいていた。
そのまま、カウラの機体の前を抜けて、反転。デッキの係止位置に『カチン』と小さな金属音、固定ピンが噛み込んだ。
『オメエ……できるんだな……やれば』
何かアクシデントを期待していたような島田の言葉が聞こえる。誠は返す気力も惜しい。肩から力が抜け、全身が一拍遅れて現実に追いつく。
その時デッキのコックピットハッチ周りに長身の女性士官が立っていたのは見えたが、今の誠にはそんなことはどうでもよかった。
「やりましたよ……」
わずか数分の出来事だというのに、汗は背にまで滲んでいた。
ハッチを開けると、そこにはアメリアが当然のように立っていた。蛍光灯と夕陽が混じる光の中、紺髪をひとつ払ってこちらを見る。
「大したものね……まあ、私は誠ちゃんならやれると思ってたけど」
「本当ですか……」
「嘘だけどね」
いつもの台詞で、いつもの笑顔。誠は苦笑しながら、差し出された手に引かれて機体から降り立つ。着地の振動が膝に心地よい。
「よーし!ばらすぞ!総員、上腕の関節部から外して第一装甲を引っぺがせ!装甲の間に入ってる『訳の分からない板』は触るなよ! 材質も分からねえんだ!何が起こるか俺にも分からん!」
島田の号令で、野次馬を気取っていた整備班員が一斉に動き出す。インパクトレンチの乾いた連射、トルクレンチの『カチッ』、マーキングチョークの白が増えていく。
足元の油受けパンが列をなし、タグの付いたボルトが順にトレーに収まる。手際は良い、無駄が無い。現場の美しさだ。
「やるじゃねえか……」
かなめとカウラ、そしてランが、地上に降りた誠とアメリアに歩み寄る。
ランは胸ポケットから小さな紙片を出し、何かメモを取ってから満足げにうなずいた。
「オメーの機体は正式名称では『05式特戦乙型』って言うんだ……さっき言ったように『法術増幅触媒』を生かした『法術増幅システム』搭載の初の実戦型シュツルム・パンツァーなんだぜ」
ランは得意げに言い、親指で装甲を示す。夕陽の反射がその親指の爪に小さな白点をつくる。
「あのー……だからその『法術増幅システム』ってなんなんです?説明してもらわないと使いようがありませんよ」
誠は困惑を隠さず言う。命を預ける機体が“得体の知れない何か”を抱えているのだ。慎重にならない方がどうかしている。
「今は教えねー!でもさっきオメーはこいつを動かしたじゃないか。動くからいいんだよ!シュツルム・パンツァーなんざ要は動けばいいの!『法術増幅システム』は邪魔にはならねえし、オメエの身体にも害はねえから安心しろ!どんな優秀な兵器も動かなければ何の役にも立たねーし、逆にどんな最悪の性能でも動けば勝機はあるもんだ!歴戦の勇士のアタシがそう言うんだ!その言葉を信じろ!」
ランはひらりと背を向ける。背丈は小さいのに、その言葉の『責任の重さ』は巨大だ。整備帯の風がシャツの裾をふわりと持ち上げ、また落とす。
『要は動けばいいか……』
誠は胸の内で反芻し、自分の命を預けることになる機体を見上げた。
巨大な装甲は西日に濡れ、継ぎ目の影が機体の曲面を強調する。各部の警告ラベル、『足元注意』『高圧注意』『挟まれ注意』がやけに生々しい。
これが、自分の機体……。
「こうしてみるとでかいなあ……教習で乗った02式より1回りデカい。そして重そう。でもアクチュエーターのトルクが凄かったわりに動きが鈍いのは……やっぱり重過ぎるんじゃないのかな……この機体。そんなに重装甲にして何をしたいのやら……本当に、こんなのを動かせるのか……?」
誠は小さく息を呑む。横でフォークリフトが走り過ぎ、風圧がシャツを震わせる。
「まあ、いろいろ言いたいことは有るけど。これは僕の機体……僕専用の機体なんだ……」
言葉にしてみても、足元がまだ地に付かない。
整備班の笑い声、レンチの音、コールサインのやり取り……その全部の向こうで、巨大な影は確かに『ここにいる』と主張している。
ここに、とりあえず居る理由にはなるかもしれない。
誠はそんな後ろ向きな考え方をする青年だった。だが、その後ろ向きは、動き出した『重量』の前で、ほんの少しだけ角度を変えた。
夕陽はゆっくり傾き、ハンガーの天井クレーンが赤く染まる。
『要は動けばいい』……その乱暴な言葉が、意外にも今日いちばん『優しい』言葉だった気がした。