橋本直 / 第116話

第111話 空気と呼ばれた女

 その日の終業を告げる鐘が、隊舎の金属廊下を震わせて消えた。整備庫からは、油の甘い臭いとソケットレンチの乾いた音。詰め所の壁時計は17:59で止まりかけ、誰かが指で軽く弾いて進める。 「おい、神前。飲みに行くぞ……今日はアメリアはもちろん島田とサラとパーラも一緒だ。あの島田の馬鹿が最初の飲み会に来られなかったことで不満たらたらでなんで自分を呼ばないんだってうるさく言って来るんだ」  いかにも面倒くさそうにかなめはそう言った。 「……島田さん、本当に来るんですか?」  誠はこの隊に来て以来一緒に飲んでいない島田の事を思い出しそうつぶやいた。 「来る。しかもオメエの保護者面してな。この前の飲み会では、後からの乱入は自由参加のはずだったのをバイクの部品がどーたら言って拒否ったのはオメエじゃねえかと言ったら、神前は自分の舎弟だから面倒を見る責任があるんだとか訳の分からねえことを言って来るんだ。それがアイツの理解不能なヤンキーの『絆』とか言うモノらしいや、面倒かもしれねえがあの二人の馬鹿と……」  そこで一度息をつき、かなめは口角だけ上げた。 「島田のおまけのサラとオメエに妙に粘着しているらしいパーラとかいう、居ても居なくても誰も困らねえような女が席に座るがそいつは空気だと思って無視しろ」  かなめは無情にそう言い切ると左わきのホルスターを軽くたたいた。  この二週間でかなめの銃に慣れてきている自分の無神経さに呆れたが、誠には意外な情報に微笑んでいた。 「……パーラさんも来るんですか?」  嬉しそうにそう言う誠にかなめの殺意は現実的な色を帯びて誠の目に飛び込んできた。 「そうだ……アイツだけ追い出したらどう見ても不自然だろ?パーラの奴はああ見えて時々オメエに近づこうと色々理由を付けてこの部屋に来る理由をアメリアに言ってるらしいがアメリアが全力で阻止しているらしい。あんなに面白みのねえ女に近づかれたらオメエも災難だろ?でもまあ、パーラの存在はうちでは『空気』以上でも以下でもないんだ……飲み会の間もパーラとは口をきくなよ……アイツと喋ってるのを見かけたら射殺するからな」  立ち上がったかなめの声は、いつもの命令調より半音明るい。机上では、ランが将棋盤の駒を小箱に落とし込むコトリという音だけがやけに清潔に響いた。  そこで誠は、以前アメリアが言っていた『誠と結ばれる可能性がある女』の一人がパーラなのだと理解した。  確かに『特殊な部隊』の女子で誠とまともに話す機会のあった女性でまともに日常会話が成立しそうなのはパーラぐらいだった。彼女は誠を一目見た瞬間からこの異常空間でしかない『特殊な部隊』から誠を救おうとしていた。誠も何度か遠くから転職情報誌を手に誠に笑顔で駆け寄ろうとするパーラをアメリアがわざとらしく呼び寄せて何か面倒くさそうな用事を頼む場面や、弁当を持って誠と一緒に弁当を食べようとするパーラの前でいきなり銃を抜いてわざとらしく構えて見せるかなめを目撃したことは一度や二度ではなく、その度にパーラは誠に同情の視線を投げて立ち去って行った。  微笑みよりもどこか諦めとため息が似合うネガティブ女子のパーラだが、いくらアメリアの『全力で誠との接触を阻止する』宣言を受けても自分に近づこうとしているというかなめの言葉を聞いて『モテない宇宙人』としての自覚のある誠はパーラに強く惹かれている自分に気付いていた。しかし、目の前でホルスターの中の銃を叩きながら上機嫌で自分を見つめて来るかなめを見て誠は誠は、かなめもまた本気でパーラを遠ざける側なのだと理解した。 「分かりましたよ……パーラさんとはあまり会話をしなきゃ西園寺さんは満足なんでしょ?そうします。僕も死にたくはないので。でも……こんなにすること無くていいんですかね。僕達がこれまでやった警察らしい仕事って、僕が拉致されたときにマフィアのボスを捕まえたくらいじゃないですか……だからうちには予算が出ないんですよ。何もすることが無いからって、一日中走ってるだけの組織なんて世の中の役に立ってるとは思えないですよ。別に僕は『特殊な部隊』の広告塔としてニューイヤー駅伝に出るわけじゃないんですよ?まったく無意味に走ってるだけ……というか西園寺さんはその時間はそれを見ながら木陰でアイスを食べてるだけでお給料が出るなんていい身分ですね。そんな無駄飯食いにお金を出すほど同盟機構の予算も無尽蔵ってわけにはいかないでしょうから」  配属二週間。紙コップの底に輪染みを作り続けるだけの日が、思ったより多い。たまにやる『白兵戦模擬』は、結局仮想。肌は汗をかくのに、銃声はスピーカーを通って骨に届く。現実と虚構の境目が、喉に引っかかっている。 「一日中貴様だけが走るという環境が不満なのか?一緒にパーラも走っているのだから問題ないじゃないか。それに同盟機構の予算も無尽蔵では無いのだからその中ではあまり重視されていない我々に予算が無いんだ仕方がない。それだけ今の遼州は平和だということだ。我々に同盟機構が期待していない事や予算が出ないことは遼州圏は戦争ばかりの地球圏とは違って平和だという証であって感謝こそすれ恨む話では無いな。それと、私も先ほど西園寺が言っていた貴様に近づこうとするパーラの不埒な行動は見逃すことができないから詰め所の前で見かけたら追い返すようにしている。あの女は貴様を『特殊な部隊』の色に染めるのに邪魔な存在だ……気を付けろ」  カウラは端末を落とし、立ち上がりざまに椅子を机に入れる。所作が静かだと、言葉の持つ意味が異常でも落ち着いて聞こえるから不思議だ。そしてアメリアやかなめばかりではなくカウラもまたパーラを『特殊な部隊から誠を奪おうとする敵』として認識していてパーラから誠を引きはがす活動を行っていることを知って誠は自分とパーラが『特殊な部隊』に馴染めない者同士として仲良くなることは許されない事なのだとあきらめの境地に近い心境にあった。 「お二人とも……そんなに僕とパーラさんを引き離して楽しいんですか?パーラさんが年中転職情報誌を読む理由は何となくわかりました。僕もそのうち似たような境遇になりそうな雰囲気を感じますね。と言うか……うちって何のための部隊なんです?この前、僕が誘拐された時だって東都警察や県警の特殊部隊だってできる制圧作戦だったらしいじゃないですか。それをわざわざシュツルム・パンツァーやそれを運用する運用艦まで用意しているなんて。平和な割には物騒すぎる話じゃ無いですか?やたらと金のかかる武器を用意してそれに乗るために一日中走り続けるなんて……正直僕には辛過ぎるんでこれじゃあ平和な意味なんて何もないじゃないですか?」  今日、納入されたばかりの端末を閉じる音が、やけに軽い。 「うちは『軍事警察』って組織なの!……東和警察の管轄は東都だけ!県警はその県だけ!各国には同じような警察組織があるが国を超えての活動やその国の地方自治体を超えての活動は出来ないように出来てるのが世の中なんだ!」  かなめは強い調子で誠を指さしながらそう言った。 「うちの管轄するのは遼州同盟の加盟国の領域すべてって訳!そこで活動する犯罪組織やテロ組織の中には飛行戦車を所有してシュツルム・パンツァーのような機動兵器で対処する必要があることくらいいい加減理解しろ!」  勢いに任せてかなめに拳を掲げるかなめに誠は怯みながら聞いていた。 「それに同盟機構の構成国家間で軍隊が動くとまずいような軍事衝突が起きたらすぐに対応するのがうちのお仕事なんだ!まったく神前には理解力と言うものがねえな!」  かなめは人差し指をビシッと立てる。詰め所のホワイトボードにはマジックで『出動=政治』と大書き(たぶんランの字)。その横に誰かが小さく『※予算は出ない』と落書きしてある。 「でもそれならなおのこと『遼州圏の平和を守る』と言うことでやたらと飛行禁止区域や停戦区域を得意の電子戦専用兵器で設定できる東和宇宙軍が動けばいいじゃないですか……あの人達は戦争が大規模になりそうなときには飛行禁止区域を指定して違反した軍隊の機動兵器を無力化するのがお仕事でしょ?軍隊の正面衝突を避けるなんてまさに西園寺さんの言う『軍事衝突を避ける』という行動そのものじゃないですか。それのプロが居るのに何でほぼ同じ役割の癖にその切り札の電子戦専用機がカウラさんの機体一機しかないうちが同じことを目的に活動する必要があるんですか?それこそ電子戦で機動兵器を無力化するのが売りのそちらの領分のお話じゃないですか。彼等が出てきたら僕達に出番なんて無いでしょ?うち」  誠の『常識』を口にすると、かなめとカウラは同時にため息をついた。息のハモり具合が、ちょっと面白い。 「何度も同じことを言わせるな……第二次遼州大戦や遼南内戦で、東和宇宙軍が飛行禁止区域の絶対的効果を使って戦火の拡大を防いだ時は、遼大陸に東和が持っている鉱山の利権が絡んでいたからだ。それを口実に東和宇宙軍が動いたわけで、それは遼州圏の平和を守ったわけじゃなくて東和共和国の一国の国益を守るという目的があったからだ。東和共和国の利益につながらないような紛争に東和宇宙軍が出動することは絶対にありえない。だから同盟加盟国全体の内部で起きる東和共和国の利益にならない軍事衝突を阻止するための部隊が必要になるわけだ。まず、軍が動くってことはいわゆる政治問題に発展するんだ。うちの組織は軍組織で装備も軍に準じているがあくまで『警察』なんだ。東和共和国ではなじみが薄いが大昔の『ソビエト連邦』に似た政治体制の外惑星連邦には『軍事警察特殊部隊』が存在する。まあ、同じようなものだと考えれば……ああ、貴様にそう言う社会知識を期待するのは無駄だったな」  言い切るカウラの横で、ランは将棋箱を胸に抱え、ぷいっと目を逸らす。『説明は部下の役目じゃない』みたいな顔をしている。 「まあいいです。とりあえず、東和宇宙軍は東和に関係ない場所には無関心だからそれ以外の第三国の軍が派遣されると政治問題になりそうな軍事衝突が起きそうな現場に出動する『特殊部隊』なんですね」  社会常識に疎い誠はカウラの話を半分ぐらいしか理解していなかったがとりあえず自分なりの理解の具合を言ってみた。 「そうだ、軍が動けないような事態に対応する正義の味方。『特殊』な『特殊部隊』って訳だ……なんだかかっこいいだろ?燃える展開じゃねえか」 「……まあ、今は暇だが、いずれ本当の仕事が回ってくる。そうなれば、お前も今の『平和』がどれだけ貴重か分かるだろう」  いかにも物騒なことが大好きなかなめの言葉を背に、ロッカーへ向かった。背中で聞いたカウラの低い声が、妙に長く残った。男子更衣室はからっぽだった。整備班はハンガーに張り付き、誠の専用機から外装を剥がしている最中だ。床に落ちたアルミ粉が、蛍光灯で細かく光る。  Tシャツに着替えて扉を開くと、廊下の向こうでアメリアがにこにこ手を振る。糸目がいつもより楽しそうだ。 「誠ちゃん!」  アメリアは今日も珍妙なTシャツを着て誠を待ち構えていた。確かにこんなTシャツで婚活パーティーに出れば、いくら美女に見えるアメリアでも誰も声をかける人間はいないだろうということはすぐに理解できた。 「アメリアさん、運航部も暇なんですか……と言うか運用艦はここに無いんでしょ?なんで勤務地がここなんですか?いつもエロゲの企画会議をしたり、深夜アニメや深夜ラジオについてしゃべっているだけでお給料がもらえるなんて良い職業ですね?それとアメリアさんが『愛が生まれそうな二人の女子』の一人はパーラさんですね?鈍い僕でもあそこまであからさまに邪魔されれば嫌でも分かりますよ。僕を死ぬまで童貞で過ごさせるのがそんなに面白いんですか?まあ、アメリアさんの事だから『面白いの!』って即答しそうですけど」  言った瞬間、糸目が細いまま吊り上がる。怒るときも笑う形なの、ずるいのはアメリアらしいと誠は思った。 「ひどいこと言うわね、誠ちゃん。まあ、愛が生まれそうな女子がパーラなのは事実だけど……絶対に愛が生まれない様に私は頑張るから!そしてかなめちゃんやカウラちゃんも排除して私だけ幸せになるの!それよりなんで都会派の私があんなド田舎勤務なんてしなきゃなんないのよ!あそこはねえ……あそこはねえ……」  拳をぎゅっと握る。ほんの少し潤んだ。どうやら本当に嫌らしい。 「あそこの田舎ぶりについては東都からほとんど出たことが無い誠ちゃんには分からないから説明するけど……まあ遠いと言えば遠いわね……でも、ここ豊川からなら都心の渋滞地獄を通らなくて済むから、それほど時間はかからないけど、運用艦の係留されている場所の周りに何にもないのよ。あの『特殊な趣味』の人達でもない限り住みたくないわよ。私はあんなとこに勤めるなんて絶対嫌!都会派で趣味人の私が言うんだから間違いないわ!私は連中の趣味には年に二、三回付き合えば十分なの。それをほぼ仕事代わりに毎日やってるあの連中に付き合うなんてまっぴらだわ!それとパーラと誠ちゃんの接触を私が全力で阻止している事実に気付いたんだ……じゃあ、パーラにはその『運用艦の管理』を名目にあっちに異動してもらおうかしら?そうすれば出動のとき以外は誠ちゃんとパーラが接触する可能性は絶対になくなるわけだし、運用艦での出動の際は私は艦長だから副長のパーラのシフトを完全管理して誠ちゃんと絶対遭遇しないようにするのは簡単だし」  『趣味人の私』と胸を張る。この人、胸を張るときは大抵、嘘を混ぜない。だが、それ以上に自分の婚活が上手くいかない腹いせに誠とパーラに生まれるかもしれない『モテない宇宙人』である遼州人の誠のあこがれる『愛』を絶対に叩き潰すというアメリアの力強い宣言が誠の心に重くのしかかった。  玄関を出ると、夕暮れの熱気がまとわりついた。アスファルトの匂い、遠くの草むらの水の匂い。そこへ『スカイラインGTR』の低い排気音が近づく。 「なにもたもたしてんだ!行くぞ!いつもの月島屋だ」  助手席から身を乗り出すかなめ。運転席のカウラは、片手でハンドル、片手でウインカー。すべてが教本通りの角度で美しい。  この時の誠はまだ知らなかった。  パーラという名の女性が、この部隊で最も静かに、最も長く不幸を引き受けることになるなどとは。  その時、廊下の向こうでパーラが小さくくしゃみをした。誰にも聞こえなかった。
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