橋本直 / 第115話
第110話 右利きの兵器、左利きの才能
「今回は完全に西園寺のいつものこらえ性の無さが貴様の敗因だ。貴様の機体の有効射程はクバルカ中佐や神前のそれの倍はあるんだぞ。その領域まで神前を捉えたままで距離を確保できれば、貴様からは丸見えのクバルカ中佐が有効射程まで接近する間は貴様は一方的にクバルカ中佐を攻撃出来て勝機は十分にあった。だが、私が先に落ちたのは事実だからな。敗者には何も言う資格は無いのだが……神前。神前は確かに……射撃が『アレ』なのはともかく……回避も格闘戦も『使えない』というわけではないな。その自覚をもって私に格闘戦だけに専念してひたすら間合いに入る事だけを考えての機動。そして機動は不安定だが、状況を分析する能力は新人とは思えないのは事実だ。……自分の短所と長所を分かったパイロット。敵に回すのは怖いものだ。西園寺。神前のシミュレーションデータのログは確認したか?」
すでにシミュレータから降りてスポーツ飲料を飲んでいたカウラの言葉にかなめは脳内のデータリンクを行った。
自販機の冷缶は汗で曇り、床に小さな輪。かなめの瞳孔が一瞬狭まり、視界に誠の戦闘ログが重なる。
「……おかしいな……神前の動き、確かに無駄が多いと片付けちまえばそれまでなんだが……あれ……データに反映されてる動きと実際の反応速度が一致しねえ。こんなことランの姐御以外で見たことのねえデータだぞ。あんな動きが出来るパイロットなんて姐御と叔父貴以外に見たことがねえ。確かにあの二人は百戦錬磨でそんな経験を積んでるってことで説明がつくが……戦場を見たこともねえ新人がこんな動きをするなんて考えらんねえよ……ただ、入力の癖が妙なんだよな。切り返しの初動が左に寄ってる。ああ、そうか。神前、オメエ左利きだったな。道理で叔父貴と似てるわけだ」
かなめは納得がいかないというように首をひねった。
誠のスーツの胸元では心拍がまだ高い。現実の汗は仮想よりも重い。
誠は二人の言葉で自分がランと比較される存在であることに照れながらシミュレータから降りようとするちっちゃな上官であるランに手を貸した。
ヘッドセットを外すランは髪先を指で整え、小さく息を吐く。視線は既に次の訓練計画に向いている。
「そんなの決まってんだろ?神前の売りは『格闘戦』にある。そのことを自覚している時点でアタシとしては今の時点では合格点だ。元々適性の高いどんな戦況でもなんでもできるように教育されるように命じられたパイロット候補しか教育したことのねー東和宇宙軍の教官にはこいつの良さを見る目がねーんだ。それに戦場を知らねー演習にだけ慣れた兵隊が戦場で何の役に立つ?ただの的だ。隊長が言ってたが地球圏の政府が与える端末でのゲームしか経験したことのねえ新兵と甲武の演習場で鍛え上げられた兵士の差なんて大したもんじゃなかったという話だぞ。人には長所と短所がある。短所に目をつぶり、長所を人が羨むレベルまで伸ばす。東和陸軍の教導隊長としてアタシが目指してたシュツルム・パンツァーパイロットの教育方針はそれだ。そんなどんな軍でも理想とするような万能でいくらでも伸びしろがあるパイロットなんて実戦に放り込めば勝手に成長するもんだ。そんな奴にモノを教えて、言われた通り出来るのを見て何が楽しいんだ?その長所を理解しなければ全く使えねーパイロットを戦場に放り込んでも平気なように教育する……本来教導隊の教官の仕事はそう言うものであるべきなんだ」
誠の手を借りながらシミュレータから降りたランはそう言って笑った。
その笑いは明るいが、責任の影が薄く差す。教える者の笑顔は、いつも少しだけ固い。
「確かにこいつは運動神経はそれなりにあるし、動体視力も人一倍だからな……あの戦闘用人造人間であるカウラの正確な射撃を避け続けたのは大したものだとしか言えねえわな。まあ、左利きなのが欠点か……」
悔しがっていたかなめの言葉に誠には1つの疑問が生まれた。
訓練室の隅には左用グローブの箱が半分だけ減っている……誰も気に留めない景色が、不意に意味を持つ。
「西園寺さん。左利きだと何か問題があるんですか?確かに僕は左利きですけど……左利きってそんなに不遇なんですか?僕の230mmカービンも左利き用って聞いてますけど……それがうちの予算を食いつぶしているとか……」
歩み寄ってくるかなめの姿を間近で見ながら誠はそう尋ねた。
かなめは腰のホルスターに触れ、癖でセーフティを確認する。
「まあ、兵器ってのはほとんどが右利き用に設計されてるんだ。銃だって基本的に薬莢は右側に飛ぶようにできてるだろ?」
かなめはそう言っていつも手にしている愛銃スプリングフィールドXDM40を取り出してその弾の薬莢が飛び出す部分を指さした。
金属の窓が光り、射撃場の匂いが脳裏に蘇る。
確かにその排莢口は右を向いていた。
右手に銃を持つのなら薬莢は射手の右側へ飛んでいくことは銃に詳しくない誠にも理解できた。
「確かにそうですね、左手で構えると薬莢がこう飛んできて……飛び方によっては顔に当たりますね」
誠はXDM40の排莢口を眺めてそのカートリッジが排莢される様を手でシミュレーションした。
「そうだ。ただ、普通は排莢時にはより射手から離れて排莢されてそんな事故はほとんど起きねえんだ。でも工場装弾の弾だって同じ軌道で排莢されるわけじゃねえ。銃は右利きの人間ならばどんな不良品の弾でも事故が起きねえように作るもんだが、こと左利きとなるとそこまで考えて作るなんて余裕はどこのメーカーにもかつても今もねえんだ。排莢される薬莢に少しでも傷があって最悪の軌道を取った場合はオメエの顔面にガツンだ。右利きでは右手に銃を持つからどんなに射手の近くを薬莢が飛ぶことになってもそんなことはあり得ねえ。もしそんな銃があればそんな銃は絶対にどんな軍も警察も採用しねえし、民生用だとしても売れねえからな」
かなめは容赦なくそう言って誠の額に軽くデコピンをした。
乾いた音に、近くの整備兵が吹き出す。
「特に軍用の銃には普通の左利きの人間が使うことを考えていない銃があるから、左手で構えると最悪だ。撃った後で薬莢が顔面に直撃……なんてことがあり得るんだわ。オメエの言う通り武器業界では左利きは不遇なの。特にブルバップライフルは左利きが構えると顔面にフルオート射撃で焼けた薬莢が直撃して大変なことになる。顔面に灼熱の薬莢が数十発連続して命中することになる。オメエの場合敵が死ぬ前にオメエが死ぬな」
かなめのあざけるような口調を浴びながら誠は自分の左手をまじまじと見た。
指先のタコ、ペンだこ、今さら変えようのない習慣。ため息が少し長い。
そしてそのまま顔を上げていつものように銃について熱く語るかなめの顔を見つめた。
「……あのーいいですか?」
「なんだよ?」
ぶっきらぼうにかなめが誠をたれ目でにらんでくる。
「ブルバップライフルってなんです?」
軍に入りたくて入ったわけでは無い誠の質問に一同はただあきれ果てていた。
空調の音だけが妙に大きい。
「貴様は本当に戦車にはあれだけ詳しくてこちらが一つ質問すると一時間は説明を続けられるのに銃にはまるで興味が無いんだな。銃の機関部が、トリガーより後ろに配置されている銃のことだ。機関部が銃のストックを兼ねる形状になるからコンパクトなのが売りだな。遼北人民解放軍が使っている69式|自動歩槍《じどうほそう》なんかがそうだ」
呆れながらカウラが説明する。
説明は淡々、でも語彙の選びがやさしい。教育者の口調だ。
誠は『戦車砲の閉鎖機構』なら何時間でも語れる自信があったが、小火器の分類になると途端に頭が止まる。
誠にはあまりよくわからなかったが自分が遼北に生まれなくて正解だったことと遼北人民軍の左利きの人はどうしているのか聞きたくなった。
「アタシの使っているFNーP90みたいに下に薬莢が落ちるタイプの右利き左利きに関係ねー銃ってあんまりねーかんな。だが、アレは開発当初はそのとんでもねー値段を聞いた軍関係者が『誰がこんなもん使うんだ!』って大騒ぎになった代物だしな。戦争は数なんだ。製造コストを考えたらどうやったって右利き用に開発した方が安いもんな。兵士が右利きってことを前提に同じ規格の銃を大量生産するラインで銃を生産することを前提に開発した方がコストが安く済むとーぜんの話だろ?」
ランはそう言って左利きの誠にとっては過酷すぎる戦場の残酷な現実を語って見せた。誠は左手を見下ろしながら、さっきまで自分を褒めた教官たちの背中が、急に遠く感じられた。
誠は押し黙り、さっき飲みかけの水が妙にぬるく感じた。
「戦争は数ですか……どこもかしこも数合わせの予算次第なんですね……」
誠は世知辛い世の中をマイノリティーの左利きとして生き抜く難しさを感じていた。
壁の『節電中』のステッカーが、今日は余計に目につく。
「ともかくだ。今の時点で自分の短所と長所を知ってるってことはオメーは大したもんだ。オメーは伸びる!東和宇宙軍の経験さえあればどんな馬鹿が教えても何でもできるエリートしか教えたことのねー教官達は教え方が下手だったんだ。そんなの教官と呼べるか?アタシは東和陸軍で教導隊長をしていたがそんな教官は全員配置転換するように上層部に連絡して異動させたぞ。この『特殊な部隊』では『人類最強』の指導教官であるアタシが付いてる!頑張れ!それにオメーはいずれあの専用機を使って自分が戦場でどれほど敵に無視できねー存在だったか思い知らせるような『力』を発動することになる!今はそれについては言えねえがいずれそれが分かる時が来る!今言えねえのはそれの発動要件にオメーがそれを知らねーことが前提になってることと、その『力』を知ればオメーが慢心して努力を止めることになるから言えねーんだ。そんくらいは察しろ!」
そう言ってちっちゃなランは長身の誠を見上げた。
瞳は冗談を言っていない。守る者の目だった。
「ありがとうございます……でも、射撃は下手ですよ。それと、なんですか……その『力』の発現条件、無茶苦茶じゃないですか?」
誠はランに褒められていることは嬉しかったが、ランが言った『力』の発動条件の残酷さが気になった。
どんな環境でどんな『力』が使えるかを『知らないこと』が条件だなんて、世界の方が理不尽すぎるように誠には感じた。
「まー今のオメーは自分が操縦が下手ってことを分かってるんならそれでいーんだ。そもそもアタシはアタシはオメーに、どの教官も欲しがるような万能型エースなんて期待してねー。まず、初心者は自分が何もできねー素人だと知るところから始めるべきなんだ。その事実を理解して生かせるパイロットが伸びなかった例をアタシは知らねー。アタシは最初っからオメーにはオールラウンドに活躍するエースになることなんて期待してねーんだ。それと『力』の発動条件が無茶苦茶なのは世の中みんなそんなもんだってこと。別にこれは軍隊や警察に限ったことじゃねえ。どこの会社に行っても特殊能力でも無きゃ達成できない無茶なノルマを課せられるもんだ。オメーの『力』の発現条件もそんなもんだと思え」
元気よくそう言うランだがはっきりと『期待してない』と言われるのはさすがに誠もカチンときた。
胸の奥で小さな火が点く。誰にも見えない、誠だけの熱だ。
「それなら、『伸びしろがある』とか言ってくださいよ……確かに僕の学生時代の知り合いも無茶なノルマを押し付けられて愚痴をこぼして来るのは事実ですけど……」
何とか反論する誠だったが、ランの笑顔はそんな誠の言葉を無視していた。
彼女は背を向ける……動き出す人間の背中は、たいてい優しい。
「まず言っとくが、オメーには射撃の才能はねー!それ以前に必要ねー!オメーの『力』には射撃なんか必要ねー!オメーには射撃は護身の為のお守り程度の物だとしか思ってねー!」
ランはそれだけ言うとシミュレータルームを出て行った。
かなめが一瞬だけ眉をひそめ、カウラは何も言わなかった。
扉が閉まる重い音。残るのは空調と、各自の息だけ。
「でも、僕だって現場に出るんですよ。いつも西園寺さんやカウラさんがいるとは限らないし……」
そう言いながら誠はかなめとカウラを見つめた。
二人とも何かを隠しているような気まずい雰囲気が流れているのを誠は感じながら、それを確かめることができない自分の気の弱さに少しがっかりしていた。
かなめは視線を外し、カウラは缶のプルタブを一度だけ弄んだ。
「ともかくオメーに射撃の腕は必要ねーんだわ……うん、うん。オメーはその格闘センスだけをひたすら磨けばそれで良ーんだ。今アタシが言えることはそれだけだ。それさえ知ればオメエはどんなエースすらビビらせる存在になれる!」
上機嫌でシミュレーションルームを去るランの言葉の意味が分からずに誠はただ茫然と立ち尽くしていた。
壁の時計は十七時五十五分。詰め所に戻れば、誰かの私物マグからインスタント味噌汁の匂いがする時間だ。
「射撃の腕……あった方がいいと思うんだけどな……僕の射撃下手は自分で言うのもなんですけど下手ってレベルじゃないですよ?僕の射撃の腕は。自分でもその点では軍人失格だって言う自覚は有りますし……」
誠は独り言を言いながらシミュレータールームを去るランの背中を見送った。その背中は、自分を見捨てているようにも、誰よりも信じているようにも見えた。
仮想で汗をかき、現実で喉が渇く。ドアの向こうにある日常は、今日もちゃんと騒がしい。