橋本直 / 第88話

第83話 人斬り包丁を提げて

 東和共和国を代表する都心の昼下がりは、どこか他所向きでせわしない雰囲気が漂っていた。  高層ビルの窓面が陽光を跳ね返し、ブランド服の裾の人波が銀座の歩道を埋める。  広告バナーのデジタル表示は色鮮やかで、遠くには高速のスリップストリームに乗る車の影がちらつく。  そんな雑踏の真ん中で、嵯峨は一服の煙をくゆらせていた。彼の腰に下げられた朱鞘の日本刀なら警官が一般的に銃ではなく帯剣しているのが普通である甲武国ならいざ知らず、二十世紀末日本を再現した国である東和のこの文化の中心とも呼べる街では異物のように見えたが、本人にとってはいつもの『仕事道具』であり、違和感は微塵もない。  嵯峨の視線は、群衆の輪郭の中に沈むように落ちていく。  その異物感こそが、嵯峨にとっては心地よかった。  このような場所での人に言ったら軽蔑されることが間違いないような非道な任務は20年前に終わった第二次遼州大戦ではうんざりするほどこなしてきた嵯峨だった。  嵯峨にとって仕事の場所を選ぶなどと言うことはそもそも軍人失格の馬鹿のたわごとでどんな場所でも命令された内容を確実に遂行するのが当たり前の軍人としての在り方だというのが嵯峨の主義だった。  そしていまここに嵯峨が居るのは誰の命令でもなく自分の部隊長としての責務から生まれたことだと考えてみれば、かつての好きでも無い似たような任務をこなす時よりもはるかに気楽で気分のいい仕事に嵯峨には感じられた。    明らかに嫌な顔をして通り過ぎていく、ブランド衣装に身を包んだ銀座の通行人たち。  絶え間なく響く車道を走る高級車の大排気量エンジンのアイドリング音と、街を歩く上流階級の女性達のハイヒールがゴミ一つない街の路上に突き当たる音がこの町の空気を染め上げていていた。  そんな視線をまるで気にせず、嵯峨は都内の街中を歩いていた。  嵯峨の目から見れば着飾って愛想よく笑う女やその隣で笑う上品な紳士の姿のすべてが虚像で虚しく、この街は亡霊の車と亡霊の女の街にしか見えなかった。  ここは路上喫煙禁止区域だというのに嵯峨はそれを無視していつものようにタバコをくゆらせていた。  警察官に似た司法局の制服に身を包んだ人間が帯剣してタバコを吸いながら歩いている姿は注目を集めるには十分すぎる光景で、誰もが嫌な顔をして嵯峨から距離を取ってそれぞれの目的地を目指して歩いている。 「神前に俺たちの『特殊部隊』的なところを見せるには……まだ早かったかな?うちは『お馬鹿さん養成機関』じゃなくて、その本質はむしろかつての地球の『ゲシュタポ』や『KGB』の方が近いって……まあ、今の神前に言っても分からねえだろうな。『軍事警察』。国民の命より国家の|面子《めんつ》を守る軍隊と言う組織の性格に加えて、同盟機構の直属司法執行機関として遼州圏に住む一般市民の命の事まで頭を巡らせないと仕事ができない……一般市民を守る任務遂行のためにいくらでも湧いて出る盾として使える兵隊さんが羨ましいと思える組織だなんて今のアイツには理解できないだろうね。いずれアイツがすべてを知った時には……自分がそこでどんな意味を持つかを嫌でも分かることになるんだけどね」  そう言って嵯峨は一度立ち止まると、夏服のポケットから取り出したタブレット端末に映るランからの『状況終了』のメールを見ながらそう言った。  誠が無事救出されたのなら嵯峨が『クライアント』であるこれから嵯峨が訪ねようとする男に遠慮する必要は何もなくなっていた。  嵯峨にとって、人を殺すかどうかは感情の問題ではない。  必要なら殺す。殺すよりその存在に効果的な方法があればそれを選ぶ。ただそれだけだった。  そして、最後の一服とでもいうように大きくタバコの煙を空に向って吐いて、咥えていたタバコを路上に投げ捨て、タブレットを夏服の胸ポケットに戻した。  東都中央銀座通りは、先の20年前に終わった第二次遼州大戦で戦勝国側に莫大な戦時国債を押し付け、東和は地球圏すら経済で従えた。  その結果生まれたのが、この銀座だった。  人が死んだ数だけ、煌びやかになった国。  そんな異様な経済構造により生み出された富により遼州圏の経済大国となったこの国の首都らしく、次々と着飾った人々が行きかう中心街だった。  嵯峨はじっと真正面に立つビルに視線を向けていた。  その大通りに面した一目で一等地とわかる場所にある、|贅《ぜい》を尽くした建物がそこにある。  そこの一階には地球のイタリア系ブランドの宝石店が居を構えていた。  21世紀にはじまった欧州有力国の核武装とそれを利用した核戦争により、国内問題となっていたイスラム系の移民を核で根絶やしにして欧州の国々は国内に流入した難民を強制的に帰国させた。  そして、再びの難民の流入を口実として利用した核攻撃で北アフリカ支配を確立した『ローマの復活』を成し遂げた国らしい気品をその店の店構えは誇っているように見えるのが嵯峨には嫌な気分になった。  そんな地中海の覇者を自称するイタリアと東和は国交がない。  当然、扱っているのはすべて密輸品だ。  東和政府もそれを黙認しているのが皮肉で、嵯峨は苦笑した。  嵯峨は朱色の鞘と渋めの|鍔《つば》が目立つ『日本刀』が腰にぶら下がっている様を確認すると、じっとその前で立ち続けていた。  周りの買い物客はその姿に怯えたように遠巻きにして、嵯峨の姿を眺めている。  その姿はどう見てもマナーの悪い若い警察官が日本刀を持ってぶらついているようにしか見えない。  すでにその姿が目に付いて警察に通報した者がいたようだが、駆けつけてきた警察官は、嵯峨の制服の袖に縫いつけられた司法局実働部隊の部隊章『|大一大万《だいいちだいまん》|大吉《だいきち》』を見て、その場で近づかず、野次馬の規制を始めた。 「アメリア。俺が奴さんの部屋に付いた辺りの時間帯を見計らって空気読んで入ってきてよ。まあ、この腰の物を抜くかどうかは……俺の気分次第だな。俺は基本的には地球人の野郎は斬ることを主義としててね。どうせ相手は地球人だ。死ねる幸せを認識して死んでくれると俺としては助かる」  そう言った嵯峨の表情にはいつもの緩んだ調子は無く、まさに『狩る者』のそれが浮かんでいた。 『了解しました』  嵯峨は配置についているであろう運航部を指揮する部長、アメリア・クラウゼ少佐に通信を飛ばした。  そのアメリアの背後にはフル武装の誠の頭に金盥を落とした運航部の女子隊員が突入準備を済ませて隊に配備されている通運会社のバンに偽装した装甲車両の中で待機している手はずになっていた。  きっと今ごろは偽装した装甲車両の中では、派手な髪色の運航部の女連中が世間話でもするような気軽さで突入準備を進めているはずだった。  そして嵯峨はアメリアの返答に満足げな笑みを浮かべると周りの好奇の目も気にせずに、制服姿には場違いな高級感のその密輸品を扱うにはあまりに堂々とした店の中に入っていった。  回転扉を押し開けて店内をさも当然のように入ってきた嵯峨の姿。  司法局の制服と腰にぶら下がっている日本刀を見て、それまで店内で接客に従事していた店員たちは瞬時に警戒感をあらわにする。  彼等は外から覗き込んでいる警官が嵯峨が店に入るのを制止しなかった所を見ていたのか、とりあえず係わり合いにならないようにと自然体を装いながら嵯峨から遠ざかった。 「へへーん。こういう店に入るのは死んだカミさんに連れてこられて以来だが……こんなもんが商品になるんだ……俺にはこんなものを買う人間の気が知れないが好きな人は好きなんだろうね?」  そう言いながら嵯峨は指輪の並んだショーケースに身を乗り出した。  ただ、嵯峨は宝石の輝きをそこに富の象徴と呼べるものが存在すると言う事実を確認すれば十分で、値札を見る気すら起きなかった。 「こんなのが何の役に立つのかは俺には理解できないけど、地球圏の金持ち連中は一定金額以上の金を使うととんでもない金額の間接税が経済活性化に貢献したということで戻されるだろうが……元々間接税もない上にこういう贅沢品には物品税と言う税金がかかるこの国でこんなものに目を向ける客の気が知れないね……なんでこんな店の商売が成り立つのか俺には分からないよ」  いかにも社会を知り尽くした貧乏人である嵯峨の嫌味にまみれた言葉に店員たちは嫌な顔をする。  店の中にいた客は嵯峨の腰にある日本刀に驚いたような顔をしているが、すぐに店員が彼女達に耳打ちをして嵯峨から離れた場所に客を誘導した。  嵯峨は慣れた調子でショーケースの間をすり抜けながら、ただなんとなく店を見回してでもいるような感じで店の中を歩き回った。  店内に流れていたクラシック音楽だけが、不自然なほど穏やかに響いていた。 「へえ、かなめ坊は金を持ってはいるが地球系の店の宝飾品は見てて胸糞悪くなるから見たくもないらしいね。アイツも地球人の血が流れてるんだから地球のこういう『上流階級の本場の文化』という物を勉強すればいいのに。というが……俺も地球人のデザイナーのセンスって奴には反吐しか出ねえな。地球人は金持ちの金持ちの為の金持ちの為の国しかねえからな。俺みたいな月5万円で生活できる人間は最初から相手にされていないが……甲武で屈指の浪費家のかなめ坊の気分を悪くするようなものしか作れねえなんてかつては地球を席巻したイタリア系デザイナーの質も落ちたもんだ……そう言う意味じゃあ、アイツの『地球人は堕落した生きるに値しない人物だから射撃の的にちょうどいい』っていうアイツの口癖も理解できるってもんだ。地球のデザイナーさんも東和の金持ちの方が将来性があるんだから地球人の政治を握って好き勝手やってる連中なんかの趣味に付き合う必要なんかないのにね」  明らかに嫌味のような独り言を口走る嵯峨を見て一人の若い女性店員が、意を決したように店内中央に飾られた貴人に似合うような高級感漂うティアラの入ったケースを眺めている嵯峨に声をかけた。 「お客様。警察の方ですよね?他のお客様が不安に思われますので、その日本刀はどうにかしていただけますか?」  勇気を出してそう言った女店員に満面の笑みを浮かべると嵯峨はその店員に語り掛けた。  女店員は笑顔を崩してはいけないと思った。  嵯峨はこんな自分に声をかけてきた女店員に敬意を表して満面の笑みを返した。  だが、女店員の心の中では目の前の警察風の制服に日本刀の男が笑うたびに背筋が冷えていくだけだった。 「お気遣いなく。ここでは暴れるつもりはないから。それに俺が何を言おうがそれはまさに東和共和国が憲法で保障している言論の自由ってやつなんでね。もし俺の言葉が気に食わなくて名誉棄損で訴えるというのなら俺は弁護士の資格も持ってるから俺の発言が何一つ違法でないことは俺自身が証明できるんだ」  あくまで冷静に穏やかにそう言ってまるで自分が接客をしている立場のようにへりくだるように腰を曲げる嵯峨に女店員は戸惑いの表情を浮かべることしかできなかった。  ただ、嵯峨の言葉の内容は何処までも攻撃的で棘を帯びていた。 「そんなに俺が邪魔?でもこの東和共和国は自由が売りなんでしょ?俺はこの国の威力業務妨害に抵触するような行為は何にもしていない。なんなら東都地裁に起訴してくれても俺はその訴訟に勝つ自信があるから。この東和共和国では地球みたいに政府の都合のいい言葉以外は口にしちゃいけないというような暗黙の了解は無いの。まあこの刀はこの上の階ですぐに使う必要があるから持って来たわけなんだけどね。仕舞うにもそんな袋とか持って無いし、俺が用があってこの刀を使うのは俺の仕事の一つのうちだから。一応こう見えても『武装警察』の隊長をしててね。これもその仕事の一環なんだ。アンタがここに立って東和の脳みそスカスカの金持ち連中のご機嫌を取るのと同じこと。まあ、そんな事はどうでもいいんだ……ここのオーナーを出しな。名目上のじゃねえよ。モノホンの方だ……て、そんなことアンタに言っても分からんか……おい!そこのアンちゃん!」  嵯峨は目の前の若い女子店員に向けていた笑顔を絶やさずに懐に手を入れたままで、じっと嵯峨の方を他の店員とは違う殺気のこもった視線で見つめていた一人の店員に声をかけた。  嵯峨に声をかけられた若い男の店員は上着のポケットに入れていた手を抜くと、表情を接客モードに切り替え何事も無かったかのように嵯峨の方を笑顔で見つめた。

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