綿ダッコ / 第54話
第53話 母親として
「舞子姉さま、一馬帝天様がお呼びです!!」
治輔は焦った様子だった。
重要案件なのだろうか。
「分かったわ。理由は分かる?」
「いえ、教えられていません…………」
一子と桜晴を安良子さんと清見女房に預けて、舞子は廊下に出た。
先頭に治輔、その次に舞子、俺と続く。
あの一馬帝天が呼ぶなんて珍しい。
そもそも、舞子の元に来たのなんて、行幸以来、一度もない。
「一馬様、どうされましたか?」
一馬帝天は、無表情を貫いている。
「舞子、然子が女妃になっているのは知っているな?」
「は、はい…………」
…………然子についての話題か。
嫌な予感しかしない。
「桜晴を然子の元へ返してやってくれないか?」
…………やっぱり。
然子、一馬帝天までも手玉に取ったのか?
「舞子も二人の子で忙しいだろう」
「…………一馬様、お言葉ですが、私は嫌でございます」
部屋の空気が張り詰めた。
…………治輔も、顔が青ざめている。
「なぜだ?」
本当に分からない。
今、一馬帝天はどんな感情なんや。
「…………桜晴に罪はありません。何回も乳母や母が変わるのは、よろしいことではないのでは?」
一馬帝天は、無表情のまま何も言わない。
こっちまで、冷や汗をかいてくる。
「も、申し訳ありません、一馬帝天様…………!!舞子様もこう言っておられるので、許してもらえないでしょうか」
耐えきれなくなったのか、治輔が前に出て土下座をしていた。
念のため、俺も頭を下げた。
少しでも、手助けになって欲しい。
一馬帝天は何も言わない。
日も暮れてきた。
一日の最後の光がどんどん落ちていく。
「……分かった。少しの間、桜晴は舞子の元に居させよう」
良かった…………、と言っていいのだろうか。
「ありがとうございます、一馬帝天様…………!!」「ありがとうございます」
必死にお礼を言う治輔。
一方で、淡白にお礼を言う舞子。
…………思うところがあるのだろう。
「舞子姉さま、お父様にご報告に行って参ります」
「ええ、よろしく頼んだわ」
治輔と舞子は、途中で分かれた。
舞子は、何も言わない。
後ろを歩いているせいで、表情も分からない。
「雅道、夜の庭も見たいわ。付き合ってくれる?」
「承知致しました」
声からも読み取れない。
一馬帝天が移ったみたいだ。
◇ ◇ ◇ ◇
東屋に着いた。
舞子は、東屋から見える月を眺めていた。
「……桜晴を然子さんに返さないといけないのかしらね」
「桜晴様はきっと、舞子様に懐かれるはずです。懐かれたのなら、それはもう舞子様が母上ということです。もちろん、今も桜晴様の母上だと信じておりますが」
「でも、元は八子さんの子だし…………」
…………正直、舞子に政治的な理由を伝えたくはない。
けど、励ます以外には伝えるしかない。
「…………舞子様、言いたくなかったのですが、今ここで然子様に桜晴様を返されては、然子様の思う壺です」
「思う壺…………」
「はい。然子様が何を企んでおられるのかは、分かりません。しかし、勘が働くのです」
曖昧にしか答えられない。
けど、今の舞子なら受け取ってくれるはず…………。
「…………出来るなら、一子も桜晴も政争に巻き込みたくないの。けど、お父様の言う通り、それは無理なのかしらね」
巻き込まないのは、この時代からしても無理だろう。
けど、舞子がそういう性格なのも分かる。
「…………それは、基晴様が正しいかと思います。しかし、舞子様は立派なお方だと、侍司ではありますが、分かります」
「…………本当に?」
「ええ、私も舞子様に仕えることが出来て、光栄ですし、八子様の打診を断ったのも、舞子様だからです」
不義理を働きたくないっていうのが、比重としては大きい。
けど、今の舞子の性格じゃなかったら、鞍替えも視野に入っていた。
「…………私のやり方は間違ってないの?」
間違っているかいないかで言われれば、それは難しい。
けど、実を結んでほしいと思うのは、圧倒的に舞子の性格だ。
「……それは私にも分かりません。しかし、私は間違っていないと信じて、舞子様にお仕えしています」
「……皆もそう思ってくれているのかしらね」
そう思っていると信じたい。
少なくとも、安良子さん、清見女房、和子さんは思っているだろう。
「……そうだと思います」
「私はね、然子さんとも仲良く過ごしたいの。けれど、お父様のこともあるし、一馬様の寵愛も受けたいの」
舞子の性格がゆえの、悩みだろう。
「私、強欲ね」
舞子は舞子で、溜め込みやすい性格なのかもしれない。
内妃という立場上、我慢していることも多いのだろう。
「…………ありがとう、雅道。こんな話に付き合ってくれて」
「舞子様のお力になれたのなら、なりよりです」
そう言って、舞子は俺に向かって頭を下げた。
そして、もう一度月の光に目を移した。
——私は、いつになったら月になれるのかしらね。