石鬼 輪たつ🦒 / 第3話

第2輪  家出(いえで)パンジー

 翌朝。  心がムズムズしたまま無理やりに眠ったためだろう、パンジーは身支度《みじたく》の間もずっとあくびをくり返していた。  トドレスに戸《と》を叩《たた》かれ、口元のヨダレをぬぐってダイニングに向かう。   「パンジー。今日は、交渉をしに港町《みなとまち》のほうに行ってくる。陽《ひ》が落ちるまでには帰ると思う。くれぐれも、外には出ないようにね?」    朝食をとりながら父親は言って聞かせる。  昨晩《さくばん》、パンジーの耳に入ってきた沈痛《ちんつう》な情感などまったく感じさせない、平静なもので、あいかわらず彼女を幼《おさな》い子どもと見なした声音《こわね》だ。  パンジーはそれに「わかりましたわ」と、手短《てみじか》に答えた。   (外、と言っても、おうちの中だってろくに出歩けないのに)    心中、考えたものごとは、これまでの暮らしの中で身についた「諦観《ていかん》」だった。  ところが、今日の日は、いつもと違っていた。  トドレスが具合を悪くし、日が高いうちにお屋敷の離《はな》れの住まいに帰ってしまった。  つまり、父親と、それに同行すると言って出かけた母親がいちど玄関《げんかん》の鍵《かぎ》を閉めてしまえば、他にパンジーを監視《かんし》する者は《《誰1人いなくなる》》のだ。   「ううー……もう、我慢《がまん》できませんわ!」    パンジーは私室から飛び出した!   子どもにありがちな全能《ぜんのう》感がそうさせるのではない。  目的は、昨夜の一幕《ひとまく》がどういうものだったのか、真相を知ることだ。  そのために、日頃《ひごろ》は立ち入ってはならないと口うるさく言われている父親の私室へ、突撃《とつげき》する!   「あっ、わわ……お父さまのお部屋、入ってしまいますわ。出るときは証拠《しょうこ》を消してっと……」    物騒《ぶっそう》なもの言いにそぐわない、抜《ぬ》き足|差《さ》し足で進んでいくパンジー。  室内《しつない》|履《ば》きのパンプスが、接地するたびポンポン音を立てる。  屋外の日光だけが照らした室内は、風景画《ふうけいが》のごとく時が止まってみえる。   「お父さまが『断《ことわ》りの報《しら》せ』といっていたもの。手紙かしら……それを見つければ、何かわかるかも?」    もはや、折檻《せっかん》だとか良心の呵責だとかよりも、ムズムズした気持ちを晴らすことに執心《しゅうしん》するパンジーに容赦《ようしゃ》はない。  目についた引き出し、隙間《すきま》、物陰《ものかげ》へ、手を突《つ》っ込《こ》む突っ込む!  だが、手がかりが見つからない……。  紙切れの一つとして。  室内は、清掃が行《ゆ》き届《とど》いていたのだ。   「ダメですわ……。うーん、『断りの報せ』に、『余裕《よゆう》がない』って。お父さまのお仕事は、順調だと思っていたのだけど。どういうことかしら……」    パンジーは頭をひねる。  あまりの悩《なや》ましさに上体をも、右方向にひねってしまう。  そのひねって、正面に相対《あいたい》した壁には、《《ある1枚の羊皮紙》》がピンで留《と》められている。  内容を確かめるまでもなく、パンジーはとっさに目にした文言によって、その紙を手にうばい取った。   「しゃく、ようしょ――《《借用書》》、ですの!?」    驚《おどろ》きがそのまま大きな声として発せられる。  借用書《しゃくようしょ》とは、借《かり》主が、貸《かし》主から金銭を借りること、その金銭について返済《へんさい》の義務があることを記した書類。  つまり、《《借金の証明書》》なのだ。   「お父さまの名前で、領主《りょうしゅ》さまから借金を……そんな、まさか。いつの間にそんなことに……」    それは、パンジーにとってまさしく晴天《せいてん》の霹靂《へきれき》――では、なかったのだ。  信じたくはない。  だが、これで説明がついてしまう。  5歳の誕生日に催《もよお》してくれたパーティーのような贅沢《ぜいたく》ができなくなったこと。  パンジーを教育で縛《しば》りつけたこと。  年を追うごとに使用人が1人、また1人と辞めていき……今や、最古参《さいこさん》のトドレスしか残っていないことも、全部。    借金の理由を考える余裕も、また知識もなかったパンジーは、酷《こく》な現実の光の前にただ萎《しお》れることしかできず、重い足取りで私室へと戻った。  たった今、父親は返済のために身《み》を粉《こ》にして働いているのだろうと考える。  その父親のために自分ができることは……、   「でも。私ができることなんて、何もっ」    私室の窓を開《あ》け放《はな》つ。  身《み》を投《とう》じる気なんてない。  ――が、そうするべきか、と不安が耳打ちしてくる。  ドクン、ドクン。  つらい胸《むね》の動悸《どうき》が、これからずっと続くこともまた、イヤだと思った。  金色の前髪を、しょげる花と垂《た》れさせるパンジーの鼻《はな》っ柱《ぱしら》めがけ、強い一陣《いちじん》の風が吹く。    そのとき、白色が。  下から舞《ま》い上がった。  パンジーが目で追うと、少し先の空に一つの《《紙飛行機》》の姿が。   「何かしら――」    言うが早いか、パンジーは痩《や》せた手をそのほうへと伸ばした。  動悸のために気が動転でもしたのか。  ともかく、あと少し、あと少しっ、と手を振《ふ》ったところで、ついに紙飛行機を掴《つか》まえた。  物は、農村の子どもが遊びで作ったものだろう。  片翼《かたよく》の端《はし》に土《つち》|汚《よご》れがついている。  けれど、見れば紙飛行機の裏に、何か《《文字や意匠がえがかれている》》のだ。  当然のこととしてパンジーは紙飛行機を展開《てんかい》し、中身を確認してみる。  その大半は意匠《いしょう》と呼べばよいか、余白《よはく》を埋《う》めるための落書きだった。  しかし確《たし》かに、でかでかと文字が書かれていた。  文章を意訳すると、次のとおり。   ―― 『工場《こうじょう》|大都《たいと》ファクトリアであなたの夢をかなえよう! 豊《ゆた》かな工場ライフ』 『誰でもできる簡単作業! ありえん高収入! 住居、制服完備! お気軽にお越しください』 ――   「ファクトリア。工場。高収入……」    まったく、(元)豪商《ごうしょう》の1人|娘《むすめ》にはふさわしくない求人広告だった。  仕事内容、給与の目安といった必要最低限のことも記載《きさい》されていない。  本当にちゃちな作り。  いかなる意図をもった広告か知れないが、都合のいい言葉ばかり並べ立てて……誰がだまされるものか。  このような、児戯《じぎ》にも劣《おと》る広告に、だまされる者などいない。  ――いたとしても、その人物は、世間《せけん》の常識にうとく、労働と社会経済の関《かか》わりを知らない《《情報弱者》》だけだ!   「そうですわ……私だってもう大人《おとな》、お父さまたちのために働けばいいのですわ!」    パンジーは広告をすっかり信じ込んでいた。  やはり、四六時中《しろくじちゅう》開いた口から、知性が漏《も》れ出てしまったのだろう。  嘆《なげ》かわしいことに。  情報弱者、もといパンジーは、とある算段《さんだん》を立てる。  それはもちろんこのお屋敷《やしき》を出て、工場大都ファクトリアへ行くための算段だ。    ◆    夕食の時間となる。  パンジーと今朝《けさ》に交わした約束のとおり、日没《にちぼつ》前に帰ってきた父親たちもダイニングに集まった。  料理番のトドレスが不在の中、魚の缶詰《かんづめ》とパンにスープという、質素《しっそ》|極《きわ》まりない食事が並ぶ。  そして、疲労のためか父親は、明らかな侵入《しんにゅう》の形跡があったとおぼしき私室の件について、パンジーに訊《たず》ねたりすることもしなかった。    それで調子づいたパンジーは夜中、寝間着《ねまき》から、よそ行きの豪奢《ごうしゃ》な《《ドレス》》に着替えるとすぐに2階の窓から飛び出し――、  今は、お屋敷の壁《かべ》に張《は》りついていた。  行動するにしても、大胆《だいたん》がすぎるだろう。   「んんー! よし! それで、あの木から下りればっ」    飼い主に摘《つ》ままれた猫《ねこ》のようにひきつった声を上げながら、ドレスのパンジーは意外にもスルスルと、壁沿《かべぞ》いの細い足場を器用《きよう》に歩いていって、たった数分で目的の大樹《たいじゅ》までたどり着いた。  大樹《たいじゅ》は、高さ10メートル以上、樹冠《じゅかん》がお屋敷の屋根をも超《こ》える大きさ。  幹《みき》は太く、無数の縦《たて》に裂《さ》けた部分は、パンジーが足を引っかけるには持ってこいの形状をしている。   「それっ!」    金色の、腰《こし》まで届く髪を振《ふ》り乱《みだ》し、おてんば娘はひといきに大樹へ飛《と》び移《うつ》った。  それっ、どころではない!   命《いのち》をかけた脱出なのだ。  口が開いたままのパンジーは、終始《しゅうし》マヌケな顔をしている。  それだけに、ことの重大さは薄《うす》れてしまう……。  先のように、幹《みき》の裂け目へ足をかけ、またもやスルスルと地面まで下りて行った。  パンジーの姿は、傍目《はため》に盗人《ぬすっと》か、そうでなければ婚姻《こんいん》色をした新種の昆虫《こんちゅう》としか見えなかった。    パンジーはお屋敷の裏手《うらて》から、正門《せいもん》まで小走りする。  空に満点の星がまたたいても、夜闇《よやみ》にぬかるんだ地面ははっきりとは視認できない。  パンジーはドレスの裾《すそ》を大げさにまくり上げ、さらに足を広げて進んでいく。  お屋敷と外とをへだてる正門までもう少し!   「あら! そういえば。ファクトリアで働くには、どこに向かえばよかったかしら……」    その答えはファクトリアだ、としか言えない、愚《おろ》かな疑問を口にするパンジー。  彼女は、今朝に手にした求人広告の用紙を取り出す。  用紙の下部に載《の》った、大陸地図の形を呈《てい》したイラストをじっと確認している。  実は、目的地への方角を見たかっただけなのだ。   「……とりあえず《《北へ》》、向かえばいいのね。でも、やっぱり歩いていくには少し遠いかしら?」    パンジーはそう言うと、卒然《そつぜん》、正門《せいもん》から離《はな》れるようにふらふらと歩き出す。  視線の先に、一つの小屋がある。  彼女の背丈よりずっと大きい、木と藁《わら》の造《つく》りをしたそれは、家畜《かちく》|小屋《ごや》といういでたち。  戸を開いて暗がりをみると――どうして、中にいた動物たちは一斉《いっせい》に目を覚ましていた。  夜更けにもかかわらず。パンジーの気配を察知して、興奮したのだろうか。  折りたたんだ、天使の羽のような耳。  黒光《くろびか》りする両の目。  突《つ》き出た毛まみれのマズル。  全身が白色、首から下は茶色の体毛に覆《おお》われる。  それは「荷役《にえき》|犬《いぬ》」という、名の通り荷物や人を運ぶための大型犬だ。  小屋にいる4頭すべてが、パンジーの倍以上の体躯《たいく》をもっている。  そのうち、最《もっと》もからだの小さな1頭が、小屋の柵《さく》|越《ご》しに彼女のもとへ近づいてくる。   「イライ?」    パンジーが声をかけると、そのイライという荷役《にえき》|犬《いぬ》は、ソワソワと落ち着きなく歩き回った。  そして頭と鼻先を、柵《さく》の施錠《せじょう》された開《ひら》き戸《ど》に何度もこすりつける。   「勝手《かって》なことを言うけれど……私に、力を貸してほしいの」    パンジーは申し出を、言葉の通じないイライに投げかける。  自重《じちょう》もない手つきで、檻《ケージ》の出入口を開いた。  すべてパンジーの独断《どくだん》|専行《せんこう》だ。  それでもイライは、自信満々とした顔で彼女のそばに近寄《ちかよ》り、了承《りょうしょう》するように頬《ほお》ずりした。    ◆    雲が流れ、月光が地にちらちらと降《お》りるたび、夜闇《よやみ》の原っぱは白銀に発光する。  その上を、また同様に銀狼《ぎんろう》のごとくなったイライが悠然《ゆうぜん》と走る。  鞍《くら》越しにまたがったパンジーの髪が風にたなびく。  少女の、犬を駆《か》る影《かげ》は、風のごとくなる。    やがて正門が目前にせまる。  だが、門扉《もんぴ》は硬《かた》い一枚板のようになっている。  パンジーは目を見開《みひら》いた。   「いけない! 門《もん》が閉《し》まって――」    パンジーの気づきと後悔《こうかい》を、一笑《いっしょう》に付《ふ》すように、イライが助走なしに高くへと飛び上がる。  びゅんッ!  巨大な体躯《たいく》は、ぴっちり閉ざされた正門の、天枠《てんわく》を、そのさらに上をも軽々《かるがる》と越《こ》えてしまった。   「すごい、すごいですわ! イライ、このままどこまでも走ってちょうだいっ!」    子どものようにはしゃぐパンジー。  実際、まだ17歳の子どもではある。  それでも、胸《むね》の内《うち》に確固《かっこ》として抱《いだ》いた決意は、大人にも負けないものだ。   (たくさん働いて、お金をかせいできます。お父さまとお母さま、トドレス、待っていて!)    そのとき、パンジーの後ろで、いずれかの荷役《にえき》|犬《いぬ》が一つの遠吠《とおぼ》えをした。  月明《つきあ》かりの静寂《せいじゃく》の中――。  遠吠えは、おごそかに響《ひび》き渡《わた》って、まるでパンジーの「戦《たたか》い」の始まりを告《つ》げるみたいだった。

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳