最強バトルの人 / 第94話

第38話 エビチリ

私は、厨房に戻り、目の前の鉄鍋を眺めた。 はじめての、お客に出す、私の料理。 相手はジョアンナ。だけど、お金を払って、ここに食べに来ている。 ばぁちゃんの。老厨中華飯店の味を求めて、来ている。 ジョアンナは絶対、嘘をつかない。 それが彼女だから。 シャオ「――よしっ」 点火する。 五徳から炎が飛び出し、鉄鍋の底、側面を、塗りつぶす。 鉄鍋の色が、黒から青に変わっていく。 顔が熱い。熱が、降りかかる。前髪が揺らぐ。 ――あ。 ――今なら、読める。 ばぁちゃんと組み手をしたとき。 『何か大きなものを読んだ』。 ばぁちゃんも、ハゲも、体が透明になったみたいに、筒抜けになった。 辺り全体? 風? 音? 何を読んだのかは、わからない。 いつでもできるわけでもない。 ――でも、今なら、できる。 シャオの目がとろんとなる。 “周り全体を見る”。 あるいは、“どこも見ない”。 シャオ「――私のエビチリ」 「――美味しくなれアルーー!!!」 ガシャッ! ドポッ。ゴオオオオ! ジュッ。ジュワアアアア。ジャッ! カシャァン! ジュゥゥゥ。シャッ、シャッ。 スッ。バチバチバチバチバチ! バチバチバチ。シュッ。ジュワアアアアア! トントントントントン。バッ。 ジューーー。 カシャァン。カシャァン。 カシャァン。カシャァン。パッ。 ゴトン。 シャオ「エビチリ、出来上がりアル!!!」 * シャオ「おまたせアルーーーー!」 ニコニコ顔で、シャオがエビチリを持ってくる。 赤いソースに包まれたエビから、湯気が立ちのぼっている。 甘酸っぱい香りが、店内に広がった。 ジョアンナ「――ちょっと! ちょっと、ちょっと!! 何よコレ!」 ジョアンナはその身を乗り出した。 ジョアンナ「――すッッごく、『美味しそう』じゃないッ!!」 シャオ「ふふんアル。今度の火加減はばっちりアル」クルクル シャオは、モデルがランウェイを歩くように、皿を片手にクルクルと回った。 もちろん主役は、エビチリである。 ラオ「――ほう! ほう、ほう、ほう!」 ラオも身を乗り出す。 ことん。 ジョアンナの前に、エビチリと、山盛りの白米が置かれた。 シャオは、片手を胸の前に置き、かしこまってお辞儀をした。 シャオ「――《《乾焼蝦仁|カンシヤオシヤレン》》。通称、小エビのチリソース煮。で、ございますアル。温かいうちに召し上がれアル」 ジョアンナの目は、釘付けになった。 食べる前からわかる。美味い。 大きなエビがごろごろと、大胆に|鎮座《ちんざ》している。 ソースは、そのエビを優しく包む絹織物のようだ。 ジョアンナはレンゲで、その海産物の王様をソースごと掬って、口に入れ、噛んだ――。 ぱきゅん。 ジョアンナ「!」 ぱきゅん。ぱきゅん。 シャオ「…………」 ジョアンナ「――〜〜ッッ!!」バンバン ごっくん。 ジョアンナ「――はぁッ!」 シャオは、ジョアンナの顔をじっと見ている。 ジョアンナは、もう一度エビチリを見た。 そして、シャオに向き合う。 ジョアンナ「――美味しい。『美味しすぎる』わ」 シャオ「えっへんアル」 ジョアンナ「――だって!」 ジョアンナは、左手に白米、右手にレンゲをセットし――。 ――休む暇なく、かっこんだ!! ジョアンナ「『美味しすぎ』て、全然『足りない』のよォォーー!!」ガッガッガッガッガッガッガッガッ シャオは、ラオと顔を見合わせる。 そして、手と手を合わせ、ハイタッチをした。 ラオ(――決まりだね) コトッ。 ジョアンナが、左手の茶碗を置いた。 そして、深く深呼吸をすると――。 ジョアンナ「――おかわり。あるかしら?」 シャオの胸で、くす玉が割れた。 嬉しさと喜びが、ダンスする。 シャオ「――お待ちくださいアル! おかわりは、いくらでもあるアルよー!」ピュー 言うが早いか、シャオは、厨房に駆け出した。 ジョアンナは、お腹に温かいものを感じながら、店内を見回した。 ドウと子パンダが、掃除をしている。 ふたりはまだ、床に散らばったガラスの破片を集めている。 * 掃除をしながら、一部始終を見ていたドウは。 グ〜。 ドウ(――俺も、腹が減ったな) 無理もない。昼のピークを過ぎ、客足が途絶えたと思ったら、ジョアンナが来て、火鍋がガラスになって、掃除だ。 まかないを早く食べたい。しかし、店内がガラスだらけでは、食べているどころではない。 子パンダとふたり、頑張って掃除をするしかない。 よし! とホウキを握り直すと、ドウの肩に、何かが乗った。 ひんやりとした細い指。ジョアンナの手であった。 ジョアンナ「アタシもやるわ」 ドウ「……何をだ?」 ジョアンナ「掃除よ。このダメ親父、アタシが復元するから。アンタは、エビチリ。食べてなさい」 ドウは、ジョアンナを見る。 ――この女は、『やりたくない』事は、絶対に『やらない』のではなかったか? ガラスを組み合わせる、パズルのように細かい作業なんて、『やりたくない』と思っていたが――。 ジョアンナ「――何よ、その顔。こんな美味しいエビチリを食べたら、『やりたくなってきた』のよ。『後始末をする責任を取ること』もね。文句ある?」 ジョアンナが、ホウキとちりとりを手にする。 ジョアンナ「子パンダちゃんも、ね」 子パンダ「――キュウ!」 ドウは、この女を少し勘違いしていたのかもしれない、と思った。 この女は、ワガママなだけではない。 自分に、素直なのだ。 自分の心に、絶対に嘘をつかないのだ。 ドウ「――ああ! 火鍋老師を、頼んだぞ!」 ニッコリ。 ジョアンナは満足そうな顔をして笑った。 すると、厨房から、シャオがやってきた。 シャオ「さあさあ! ジョアンナもドウも子パンダも、たっくさん食べるアルよー! 私もまかない、まだだったアル!」 その両手には、店で一番大きな皿が二枚。 テーブルを覆い隠すほどのデカい皿に、山のように盛られたエビチリの王国。 その迫力に、ラオは、目を丸くした。 ラオ「あ、あんた! 作りすぎだよ!」 シャオ「むむ。じゃあばぁちゃんには、あげないアル」 ラオ「食うよ! むむ! これは、上出来!」パクパク ドウ「シャオ! ありがとう! おお! なんと芳醇な香り! 米が足りん!」パクパクパクパク 子パンダ「キュウ!」パクパク シャオ「私もアル! こ、これは! 最高傑作アル!」パクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパク 「ところで、ドウ。こっそり聞きたいんだが……」コショコショ パクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパク 「ああ、それなら……」コショコショ パクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパクパク ジョアンナ「アタシの分、残しておいてよー」ガシャガシャ ――俺も、食いてえな。 ガラスになっても、意識はある。 腹が、減った。 火鍋は、山盛りのエビチリを前に、誰にも知られず、涙の出ないガラスの瞳で、漢泣きをした。

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