Tihoo / 第59話

第五十九話 「師匠の影、アリアの顔、そして昨夜の熱の残り香」

小鳥のさえずりと、葉擦れの音で目が覚めた。 世界樹の幹をくり抜いて作られた客室に、朝の柔らかな木漏れ日が差し込んでいる。 「……ん……」 俺は重たいまぶたを持ち上げた。二日酔いの頭痛が少し残っている。 体を起こそうとして、胸元に感じる重みと温もりに気づき、動きを止めた。 視線を下ろす。 そこには、俺の胸に頬を寄せ、スヤスヤと眠る少女の姿があった。 流れるような銀髪。白磁の肌。 その顔は、俺の一番弟子であるアリアと完全に瓜二つだ。 だが、無防備に開いた口元から垂れるよだれと、寝言で「……んぐ、プリン……もっと……」と呟くその図太い神経は、間違いなくニートのホムンクルス――クロエのものだった。 「……やっちまったな」 俺は天井を仰ぎ、片手で顔を覆った。 昨夜の記憶が鮮明に蘇る。 師匠の思い出に浸り、弱っていた俺。つけ込んできたクロエ。 「代用品でいい」という彼女の言葉に甘え、アリアと同じ顔をした彼女の体を、師匠の面影を重ねながら貪った。 シーツから滑り出た彼女の白い肩には、俺がつけた赤い痕がくっきりと残っていた。 部屋の中には、昨夜の情事の熱気と、二人の体液が混じり合った独特の甘い匂いが微かに漂っている。 紛れもない、事後の朝だった。 「……んん? ……あ、おはよ、ボウヤ」 俺の腕の中で、クロエが目を覚ました。 とろんとした赤い瞳が、至近距離で俺を見上げる。いつもの生意気な光は鳴りを潜め、どこか満足げな、猫のような目つきだ。 「……ああ。おはよう」 俺が気まずさから目を逸らすと、クロエはくすりと笑い、わざとらしく身じろぎした。 シーツが滑り落ち、豊かな胸元が露わになる。アリアと同じ顔、同じ体つきのはずなのに、漂う色気の種類がまるで違う。 「何よ、今さら照れてるの? 昨日はあんなに野獣みたいだったくせに」 彼女の細い指が、俺の胸板をゆっくりとなぞる。 「……うるさい。酒のせいだ」 「嘘ばっかり。……でも、悪くなかったわよ。貴方の『物理演算』、ベッドの上でも最適化されてるみたいね」 クロエは俺の首に腕を回し、しなやかな体を擦り寄せてきた。 素肌と素肌が触れ合う感触。昨夜の熱が、再び下腹部の奥で燻り始める。 「……ねえ、どうだった?」 耳元で、クロエが囁く。その声色は、完全に師匠(エレオノーラ)のそれだった。 「この体は、アリア(あのこ)と同じ。知識と魂は、貴方の師匠(わたし)。……最高のハイブリッドだったでしょ?」 「……お前、悪趣味だぞ」 「褒め言葉として受け取っておくわ。……だって、貴方もそれを望んだんじゃない」 否定できなかった。 俺は彼女の腰に手を回し、引き寄せた。 罪悪感がないと言えば嘘になる。だが、この温もりを手放したくないという独占欲も、確かにそこにあった。 「……クロエ」 「なぁに? まだ足りないの? 朝の運動(エクササイズ)、しちゃう?」 彼女が挑発的に微笑み、唇を寄せてくる。 俺がその誘いに乗ろうとした、その時だった。 コンコン。 控えめな、しかし有無を言わせぬノックの音が扉から響いた。 「……ヴィクトル様? 朝食の準備が整いましたわ。まだお休みですの?」 シャルロットの声だ。 「……師匠。入りますよ。エルフの朝露を使ったお茶を淹れました」 続いて、アリアの声。 ガチャリとドアノブが回る音がした。 「……ッ!」 「……あ」 俺とクロエの動きが凍りついた。 この状況――裸の男女、乱れたベッド、部屋に充満する事後の匂い――を見られたら、物理的に社会的に俺の生命活動が停止する。 「ま、待て! 今着替えている!」 俺は慌てて叫び、クロエを布団の中に押し込んだ。 「んぐっ!? ちょっと、何すんのよボウヤ!」 「しっ! 静かにしろバカ!」 「あら? ずいぶんと慌ただしいですわね。……それに、何か甘い匂いがしませんこと?」 扉の向こうで、シャルロットが怪訝そうに鼻を鳴らす気配がした。 「……師匠の魔力波長が乱れています。それに、微量ですが別の魔力反応も……クロエの?」 アリアの鋭すぎる探知能力が作動している。まずい。 布団の中で、クロエが俺の腹をつねった。 「いっ……!」 「キキッ、情けない顔。……大丈夫よ。昨日の『事象改変』の応用で、この部屋の匂いと痕跡を『最初からなかったこと』にしてあげる」 クロエが布団から顔だけ出し、ニヤリと笑った。 「ただし……条件があるわ」 「……なんだ」 「王都に帰ったら、毎日『最高級プリン』を献上すること。……あと、週に一回は、夜の相手(・・・・)をしてよね?」 こいつ、完全に味を占めてやがる。 だが、背に腹は代えられない。 「……分かった。契約成立だ」 俺が頷くと、クロエは満足げに指を鳴らした。 瞬間、部屋の空気が入れ替わり、シーツの乱れも、匂いも、全てが綺麗に消え去った。 「……ふぅ」 ギリギリセーフだ。 俺は冷や汗を拭い、何食わぬ顔で扉を開けた。 「おはよう、二人とも。……エルフの朝は気持ちがいいな」 そこには、狐につままれたような顔をしたアリアとシャルロットが立っていた。
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