Tihoo / 第80話

第八十話 「合流と代償。空間切断の罠から恩師を庇った一番弟子と、物理学者の静かなる激怒」

多脚型殲滅機械の群れをスクラップに変え、開かれた隔壁の先へと進む。 無機質な金属の回廊を抜けると、そこは巨大な吹き抜けの合流地点になっていた。 「ししょー、あっちの扉、ボロボロになってる!」 ミリムが指差した先には、赤く発光していたはずの『高エネルギー隔離層』のゲートが、内側から凄まじい力で捻じ切られ、ひしゃげた残骸となって転がっていた。 その瓦礫の向こうから、見慣れた二つの影が歩いてくる。 「アリア! クロエ!」 無事に合流できた安堵から、俺は思わず声を上げた。 だが、近づいてくる二人の様子がおかしい。いつもなら余裕の笑みを浮かべて飛びついてくるはずのアリアの足取りが重く、クロエが彼女の肩を抱きかかえるようにして支えている。 そして、薄暗い照明の中で二人の姿がはっきりと見えた瞬間。 俺の心臓は、氷の塊を呑み込んだように冷たく凍りついた。 「……師匠、無事……でしたか」 アリアが、青ざめた顔で力なく微笑んだ。 彼女の右肩から先が、無かった。 制服の袖は根本から無残に裂け、失われた右腕の断面は、彼女自身の氷魔法【絶対零度】によって分厚く凍結され、強引に止血されていた。 「アリア……お前、その腕……!」 俺は咄嗟に駆け寄り、彼女の身体を支えた。 氷越しに伝わってくる彼女の体温は異常なほど低く、魔力も底を尽きかけている。 「ごめんなさい、ボウヤ……」 普段の妖艶な態度は微塵もなく、クロエがギリッと唇を噛み締めて俯いた。その赤い瞳には、明確な自責の念と、濃密な殺意が入り混じっていた。 「隔離層の罠は、ただの魔力兵器じゃなかったの。高エネルギー体を検知して、部屋の空間そのものを『事象の地平線』レベルにまで圧縮・切断する、ブラックホール型の空間崩壊トラップだったわ」 クロエの言葉に、俺は息を呑んだ。 空間そのものを削り取る罠。いかにクロエの『事象改変』であっても、発動した瞬間に空間の座標軸ごと消滅させられては、因果を書き換える対象すら失われてしまう。 「わたくしの氷魔法では、空間の崩壊は止められませんでした。……だから、クロエ様を崩壊の座標から突き飛ばして……少しだけ、逃げ遅れてしまったんです」 アリアが、残った左手で俺のコートの胸元をぎゅっと掴んだ。 「馬鹿野郎……ッ!」 俺は震える手で、彼女の凍りついた右肩の断面に触れた。 切断面は、細胞や骨の組織はおろか、分子レベルに至るまで完全に平滑だった。物理的な刃物による切断ではなく、空間の座標がズレたことによる絶対的な切断。 彼女が咄嗟に患部を極低温で凍結(クライオスタシス)させていなければ、ショック死するか、失血で命を落としていたはずだ。 「がおー……アリア、腕、ない……痛い……?」 状況を理解したミリムが、大粒の涙をボロボロとこぼしながらアリアにすがりついた。 「泣かないで、ミリムちゃん。……師匠、申し訳ありません。一番弟子でありながら、このような無様な姿を……これでは、師匠のお茶を淹れることも――」 「喋るな」 俺は低く、這いずるような声でアリアの言葉を遮った。 「お前は生きて、俺とクロエの前に戻ってきた。それだけで十分だ。お茶なんて俺がいくらでも淹れてやる」 俺は空間収納(アイテムボックス)から高濃度の魔力回復薬と鎮痛剤を取り出し、アリアの口に含ませた。さらに、彼女の全身を覆うように薄い『断熱結界』を展開し、急激な体温低下を防ぐ。 「……クロエ。アリアの腕の断面の『因果』は、まだ残っているか?」 俺は振り返らずに尋ねた。 「ええ。空間ごと消滅したわけじゃない。切断された右腕自体は、あの部屋の崩壊跡に落ちているわ。細胞の時間は、私が事象改変で完全に止めてある」 「なら、後で必ず繋ぎ合わせる。俺の錬金術と、お前の因果律操作があれば、神経細胞の一本に至るまで元通りにできるはずだ」 「……ええ。絶対に、私が治してみせるわ」 クロエが力強く頷いた。 「師匠……」 薬が効いてきたのか、アリアは安心したように小さく息を吐き、俺の腕の中で意識を手放した。 俺はアリアをそっと床に寝かせ、ミリムに彼女を護衛するように頼んだ。 そして、ゆっくりと立ち上がり、迷宮の最深部――『大魔力晶窟』へと続く巨大な鋼鉄の扉を見据えた。 平穏なスローライフを邪魔されたことに対する「怒り」など、とうの昔に消し飛んでいた。 今、俺の胸の中を支配しているのは、極めて冷たく、純粋で、絶対的な『殺意』だ。 「……マクスウェルの悪魔だか、ラプラスの悪魔だか知らないが」 俺は愛用の鉄杖を握りしめ、かつてないほどの高密度な魔力を全身から立ち昇らせた。 空気が軋み、周囲の空間が俺の放つ異常な重力場に耐えきれず、ミシミシと悲鳴を上げる。 「俺の大切な弟子から腕を奪ったこと、後悔する時間すら与えずに……分子レベルで『エントロピーの最大化(完全消滅)』を引き起こしてやる」 王国の暗部を支配する狂気の組織。 そのすべてを物理法則の暴力で蹂躙し尽くすための、冷酷なる反撃が始まる。

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