Tihoo / 第81話

第八十一話 「未来予知を粉砕する不確定性原理。怒れる物理学者の量子的鉄槌」

大魔力晶窟。 王都の地下深く、星の魔脈が交差するその巨大な空間は、眩いほどの青白い光に満ちていた。 空間の中央には、天を突くほどの巨大な魔力結晶がそびえ立ち、無数の歯車とパイプがそれに絡みついている。これが王都の魔力を吸い上げている巨大演算機関――『マクスウェルの悪魔』の本体だ。 そして、その玉座とも言える制御盤の上に、一人の男が優雅に足を組んで座っていた。 「ようこそ、イレギュラーな闖入者たち。高エネルギー隔離層を破ってくるとは驚いたが……すでに遅い。演算は完了し、私は神の領域に到達した」 豪奢なローブを纏った初老の男。彼が、この狂った組織の黒幕か。 「がおー! あいつがボス!? アリアをいじめた悪いやつ!」 ミリムが牙を剥き出しにして唸る。 「私の可愛いアリアの右腕を奪ったこと、後悔させてあげるわ。因果の糸ごと、千の苦痛を与えて千回殺してあげる」 クロエの赤い瞳が怪しく光り、指先からドス黒い事象改変の魔力が溢れ出した。 クロエは一瞬で空間を跳躍し、男の背後からその首の骨の『因果』を直接捻じ切ろうと手を伸ばす。同時に、ミリムが正面から音速を超える踏み込みで、タングステン鋼のバットを男の脳天へとフルスイングした。 だが。 「無駄だ。私には『すべて見えている』」 男が指を軽く鳴らした瞬間、クロエの手は空を切り、ミリムのバットは男がわずかに首を傾げただけで完全に躱された。 「なっ……私の事象改変を、発動する『前』に避けた!?」 「がおー!? 当たらない!」 二人の連携を紙一重で、しかも最小限の動きで回避した男は、嘲笑うように両手を広げた。 「現在の宇宙にあるすべての原子の位置と運動量を知り、それを計算できる存在がいれば、未来は完全に予測できる。これぞ完全なる未来予知機構『ラプラスの悪魔』! お前たちの筋肉の動き、魔力の収束、思考の波長に至るまで、私の脳内には『結果』としてすでに演算されているのだよ!」 男は勝ち誇ったように笑い声を上げた。 あらゆる事象の初期値から未来を完全に決定づける、古典物理学における究極の決定論。それが奴の自信の源らしい。 「……古典力学の亡霊が、随分と偉そうに喋るじゃないか」 俺は、静かに杖を構えて前へ出た。 アリアの腕を奪った怒りは、すでに俺の中で極限まで冷却され、恐ろしいほどの理性を伴った殺意へと昇華されていた。 「ほう? まだ抗うか、物理特化の魔術師よ。だが、お前がどんな魔法を使おうと、発動座標も速度も威力も、すべて私には――」 「お前の『ラプラスの悪魔』とやらは、すでに百年前に論破された過去の遺物だ。初期値がわかれば未来が確定する? ……笑わせるな」 俺は杖の先を男に向け、魔力を極限まで圧縮し始めた。 空間が微細に振動し、視界が歪む。 「ミクロの世界において、粒子の『位置』と『運動量』を同時に正確に測ることは絶対に不可能だ。観測行為そのものが、対象に影響を与えてしまうからな」 俺の脳内に、量子力学の基礎方程式が展開される。 位置の不確定性()と運動量の不確定性()の積は、常にプランク定数()を で割った値よりも大きくなる。つまり、片方を正確に知ろうとすれば、もう片方は無限にぼやける。 「未来は決定されていない。『確率』として重なり合っているだけだ」 ――【量子演算:不確定性の一撃(ハイゼンベルク・ストライク)】! 俺が杖から放ったのは、光の矢でも熱線でもない。 『位置』も『速度』も確定していない、確率の波として重なり合った極大の魔力弾だ。 「無駄だと言っているだろう! 私には軌道が……軌道が……!?」 男の顔から、一瞬にして余裕が消え去った。 彼の目には見えているはずだ。「ラプラスの悪魔」の演算機が、俺の放った魔法の軌道を必死に予測しようと火花を散らしている。 だが、予測できない。 右から来る確率、左から来る確率、上から来る確率、そしてすでに命中している確率。無数の「可能性」が同時に男へ殺到する。 「な、なんだこれは!? どこから来る!? 演算機が……計算量がオーバーフローするっ!!」 「どこから来るか、だと? ……お前が観測した瞬間、そこにあるんだよ」 俺が冷酷に言い放った瞬間、確率の波が『収束』した。 男が恐怖に顔を引き攣らせ、無意識に防御の結界を張った「背後」の極小の隙間。 そこに、俺の魔力弾の『位置』が確定したのだ。 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!! 防ぐ間もなく、男の背中に直撃した量子の一撃は、彼の肉体はおろか、背後にそびえ立っていた巨大演算機関(マクスウェルの悪魔)の結晶塔ごと、物理的にチリひとつ残さず粉砕した。 光の奔流が収まると、そこには焼け焦げた巨大なクレーターだけが残されていた。 ラプラスの悪魔の演算機は完全に沈黙し、王都の魔脈は静かな鼓動を取り戻していく。 「……終わったわね。ボウヤの怒りは、因果律よりずっと恐ろしいわ」 クロエが、クレーターを見下ろしながら肩をすくめた。 「がおー、ししょーの魔法、なんだかわかんなかったけど、すごい!」 ミリムがパチパチと拍手をする。 「……くだらん古典物理の思考実験に付き合っている暇はない。俺たちは、早くアリアの右腕を繋ぎ合わせに帰るぞ」 俺は杖を懐にしまい、きびすを返した。 王都の危機は救った。敵の組織も壊滅させた。 だが、俺の平穏な日常は、あの一番弟子の腕を完璧に治癒し、彼女が再び俺のために美味い紅茶を淹れてくれるまで、絶対に戻ってはこないのだ。
「ヴィクトルの冷たい怒りカッコいい!」「量子力学で未来予知を破るの最高!」 と思っていただけたら、 【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】評価をお願いします!

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