芦名 雅 / 第11話

第11話 お前自身がハラスメントだろ。処理します

 黒瀬が、ハラスメント加害者として告発された。  総務部は会議室の窓を二枚とも開けた。  まだ認定前である。会社の学習だけが早い。  午前十一時二十三分。株式会社サンライト企画、特別監査会議室。 「黒瀬さん。あなたを正式に告発します」  人事本部長、久我山義彦は、机へ分厚い書類を置いた。五十四歳。役職が上がるほど、自分の意見と会社の総意の区別が薄くなった男だった。  向かいの黒瀬は、いつもの黒いスーツに銀色のバッジ、手にはタブレットを持っている。 「受理します」 「……それだけか?」 「はい」 「自分のことだぞ。少しは動揺しろ」 「動揺は認定要件ではありません」 「そういうところが怖いと言ってるんだ!」  久我山は書類を叩いた。 「申告者は二十四名。お前が廊下を歩くだけで社員が黙る。会議室へ入るだけで空気が凍る。『確認します』と言われると心拍数が上がる。存在が威圧だ」 「具体的な申告として記録します」 「自分で記録するな!」 「承知しました」  黒瀬はタブレットの操作を止めた。銀色のバッジを外し、タブレットと一緒に透明な保管箱へ入れる。蓋が閉まり、電子錠の赤いランプが点灯した。 「本件終了まで、調査、認定、処理判断から外れます」 「え?」 「私が調査対象です」 「いつも全部お前がやってるだろ!」 「今回はできません」 「そこだけ急にまともになるな!」  横の扉が開いた。  入ってきたのは、役員から独立した社外相談窓口の調査担当、倉橋真帆だった。四十二歳。弁護士。人の感情と、感情について確認できた事実を、同じ重さで別々に記録する人物だった。 「ここからは私が担当します。黒瀬さんは、質問された場合だけ回答してください」 「承知しました」 「今しゃべった!」 「質問ではなく指示への応答です」  倉橋は黒瀬を、床に白線で囲まれた調査対象席へ座らせた。  黒瀬は黙った。  久我山が身を引いた。 「黙って座ってるだけでも怖い!」 「怖いという感情は否定しません」  倉橋は答えた。 「ただし、その感情だけで職務上の権限濫用や不利益行為があったとは判断しません。何をされたか確認します」 「二十四人も同じことを言っている!」 「人数は確認の入口です。結論ではありません」 「前回も聞いたぞ、その理屈!」 「業務基準です」 「また同じ流れかよ!」 「対象者が違います」  倉橋が呼ぶと、総務部の石田圭介が入ってきた。黒瀬を見た瞬間、背筋が直角になる。 「見ろ!」  久我山が勝ち誇った。 「もう九十度だ! 人間工学的にも怖がってる!」 「石田さん。黒瀬さんから、職務上必要な範囲を超える言動を受けましたか」 「怖くはあります」 「それはそのまま記録します。何かされましたか」 「残業していたら『帰宅してください』と」 「ほら、命令だ!」 「その日は午前零時を過ぎていました」 「むしろ帰れ!」  久我山が自分で言ってから止まった。 「ほかには」 「コピー用紙を落としたとき、拾ってもらいました」 「善人エピソードを足すな!」 「あとは、廊下で挨拶を」 「もういい!」 「発言を遮らないでください」  倉橋の声は大きくなかった。  久我山は座った。 「申告書には『黒瀬から日常的な威圧と処理の示唆を受けた』とあります。あなたが本文を書きましたか」 「いいえ。最初から印刷されていました」 「署名は自分の意思ですか」  石田は久我山を見た。  倉橋が机上の小さな仕切りを立てた。厚紙一枚で久我山が見えなくなる。  会社の人事権は、厚紙一枚より向こう側へ追い出された。 「人事本部から、『会社の正常化に協力してください』とメールが来ました。署名しない場合は、今後の配置と評価について面談する、と」 「脅しではない!」  久我山が厚紙の向こうから叫ぶ。 「人事として将来の話をしただけだ!」 「署名しなければ将来が変わると伝えたのですか」 「そう受け取ったなら受け取り方の問題だ!」 「受け取り方ハラスメントだ!」 「今、誰が何を申告しましたか」 「俺が作った! 新しい概念だ!」 「作成者として記録します」 「記録ハラスメント!」 「それも作成者として記録します」 「言葉を封じるな! ハラスメントという言葉へのハラスメントだ!」  倉橋は一秒だけ止まった。 「名称を増やしても、確認する行為は変わりません」 「被害者の訴えを疑うのか!」 「訴えは受理します。事実を確認します」 「確認すること自体が、申告者への圧力だ!」 「では、申告内容を誰にも確認せず、対象者へ不利益だけを与える制度を望んでいますか」 「そうだ! 今はそれで黒瀬を止めろ!」  石田が厚紙のこちら側で目を閉じた。 「目的の確認が取れました」 「誘導質問だ!」 「今の質問は録音されています。回答の訂正はできます」 「訂正しない!」 「承知しました」  倉橋は壁面モニターを点灯した。  二十四通の申告書が並ぶ。改行も句読点も同じだった。十五行目の『威圧を受けています』だけ、全通『威圧を受けいいます』になっている。 「二十四人が同じ誤字をするほど怖かったんだ!」 「元データの作成者は久我山さんです」 「文章を整えただけだ!」 「整っていません」 「そこを責めるな!」  続いて、人事本部から送られたメールと表計算ファイルが映る。 『未署名者一覧』 『評価再確認』 『地方配置検討』  三列とも、社員名が入力済みだった。 「まだ実行していない!」 「署名後に全員の名前を削除しています」 「ほら、誰も不利益を受けてない!」 「不利益を示して署名させた事実は消えません」  最後に、社内会議の保存音声が流れた。 『撲滅課を放っておいたら、次は俺たちがやられる』  久我山の声だった。 『内容はこっちで書く。署名だけ集めろ』 『黒瀬本人を調査対象にすれば、あいつは動けない』 『その間に課ごと消せばいい』  音声が止まった。 「会社を守るためだ!」 「会社と、自分の権限を守ることを分けてください」 「人事が動けなくなったら会社が回らない!」 「後任は選任できます」 「またそれかよ!」  倉橋は二十四名への個別聴取結果、久我山へ事前交付した質問書、その回答書を机に並べた。 「黒瀬さんに関する申告では、怖い、緊張するという回答を記録します。入室目的を先に伝えてほしいという改善要望も三件ありました」  黒瀬は調査対象席で黙っている。 「一方、人格否定、拒否後の継続行為、職務権限を使った不利益は確認できません。今回の申告について、ハラスメントは認定しません」 「自分の仲間をかばった!」 「私は社外窓口の担当者です」 「同じ会社から金をもらってるだろ!」 「結論に異議を申し立てる手続きは別途案内します」 「今すぐ黒瀬を処理しろ!」 「処理を結論に指定することはできません」  倉橋は次の書面を開いた。 「別件です。久我山さんは人事権を背景に二十四名へ署名を要求し、拒否した場合の配置転換と評価低下を示しました。申告文面を作成し、黒瀬さんを排除する目的で制度を利用しました」 「俺は申告者だぞ!」 「申告者であることと、別の行為の調査対象になることは両立します」 「そんな両立いらない!」 「パワーハラスメント、ハラスメント申告制度の不正利用、および相談者への不利益示唆。認定します」 「待て!」  倉橋は保管箱の電子錠を解除した。 「判断は私が行いました。黒瀬さんへの申告案件は終了です。処理の実施だけを担当者へ戻します」  黒瀬が立った。  銀色のバッジを付け、タブレットを受け取る。 「承知しました」 「第三者の顔をして、結局そいつに投げさせるのか!」 「まだ投げるとは言っていません」  倉橋が答えた直後、会議室の壁が左右へ開いた。  三メートルの赤いブーメランが立っていた。  中央にはオフィスチェア。外周には二十四通の申告書。左右の翼には、大きく『申告』と『責任』。 「言ってないだけで用意してる!」  ヘルメット姿の総務部員が図面を開いた。 「第十一設備、『申告経路可視化・責任返送器』です」 「ブーメランだろ!」 「備品区分は会議用什器です」 「会議で飛ぶな!」  二十四通の書類から伸びた矢印が、最初は黒瀬へ向いていた。  倉橋が認定書を読み取り口へ通す。  ガコン。  二十四本すべてが百八十度回転し、久我山を指した。 「こっち向くな!」 「申告者へ不利益を返す装置ではありません」  黒瀬が説明した。 「確認された行為の責任を、行為者へ戻します」 「言い方だけ丁寧なブーメランだ!」  総務部員たちが久我山を中央の椅子へ固定した。安全ベルト四本。肘掛けには社内内線。足元には異議申立書のホルダーまで付いている。 「妙なところだけ手続きが厚い!」  黒瀬がブーメランを片手で持ち上げた。 「処理します」 「また外へ投げるのか!」 「今回は戻ります」 「戻ればいいって話じゃ――」  ドン。  赤いブーメランは一枚目の窓から飛び出した。  十一階の外を大きく旋回する。  久我山の叫びが、ビルの四面を順番に回った。 「会社を守っただけだああああ!」  屋上では、黄色い鳥の着ぐるみが吹き流しを持って風向きを測っていた。 「またお前かああああ!」  黄色い鳥は『横風・弱』の札を上げた。 「仕事してるのかよおおおお!」  一周したブーメランが、二枚目の窓から戻ってくる。  青い衝撃吸収マットの上を滑り、隣室の『人事権停止中・再聴取席』へぴたりと収まった。 「戻ってきたぞ!」 「仕様です」 「最初と同じ階じゃないか!」 「責任を一周させました」 「移動に意味がない!」 「移動は処理です」  倉橋が着地時刻を記録した。 「責任の返送を確認しました」  石田が、まだ九十度の背筋で黒瀬を見る。 「あの、改善要望も伝わってますよね」 「はい」  黒瀬は石田へ向き直った。 「これから、通常の勤怠確認をします」 「目的を先に言われても心拍数は同じです!」 「継続して改善します」  黒瀬はタブレットへ入力した。 「本件、解決」  翌週、全社員アンケートが実施された。 『黒瀬を怖いと思う』九十三パーセント。 『社内ハラスメント撲滅課は必要だと思う』九十七パーセント。  怖いことと、必要なことは、同じ調査でも別項目だった。  なお、その日の夕方。  黒瀬のタブレットに、一件の会議招集通知が届いた。 『議題:社内ハラスメント撲滅課の廃止について』  黒瀬は通知を開いた。 「確認します」

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