芦名 雅 / 第12話

第12話 この課は今日で廃止する。処理します

 社長が、撲滅課の廃止を宣言した。  総務部は、その三分前に壊れやすい物をすべて搬出していた。  この会社では、経営判断より衝突予測の方が当たる。  午後四時六分。株式会社サンライト企画、取締役会議室。 「では、結論から言おう」  代表取締役社長、葛城征司は、長い会議机の中央で両手を組んだ。五十八歳。会社を守ることと、自分たち経営陣を守ることの境目が、役職と同じ速度で上昇してきた男だった。  右には専務取締役の柴田隆弘、管理担当取締役の安西孝之。左の末席には社外取締役の大庭玲子がいる。  議事録担当の石田圭介は、ノートパソコンの横へヘルメットと修繕申請書を置いていた。申請書の破損箇所だけが空欄である。 「石田君。その装備は何だ」 「会議準備です」 「取締役会だぞ」 「だからです」 「誰に教育された?」  石田は答えず、黒瀬を見た。  黒瀬は黒いスーツに銀色のバッジ、手にはタブレット。いつもどおりすぎて、会議室の方が先に身構えていた。  葛城は議案書を掲げる。 「社内ハラスメント撲滅課は、本日をもって廃止する」 「承知しました」 「……え?」 「議案を確認しました」 「お前の部署をなくすんだぞ」 「はい」 「抵抗しないのか?」 「組織の設置と廃止は経営判断です」  柴田が鼻で笑った。 「ほら見ろ。本人も不要だと認めた」 「認めていません」 「今、承知しただろ」 「聞いたことを認めました」 「日本語の細い隙間へ逃げるな!」 「確認します」  三人の役員から笑みが消えた。 「何をだ」 「廃止理由と、廃止に伴って行われた別の行為です」 「別の行為などない。もう決定事項だ」 「まだ採決されていません」 「事前に三人で合意している!」 「取締役会は、廊下で三人がうなずく制度ではありません」  大庭が議案書をめくった。 「私は資料を今受け取りました。少なくとも、決定には同意していません」 「細かい手続きの話はあとだ!」 「取締役会から手続きを取ったら、長い机しか残りません」  石田が打ち込んだ。 「長い机は、先ほど床へ固定しました」 「そういう意味じゃない!」  黒瀬はタブレットを開いた。 「議案書に記載された廃止理由は、管理職の萎縮、社内秩序の低下、相談件数の増加です」 「そのとおりだ」 「過去六か月で相談件数は三十八パーセント増加。一方、同一人物に関する再申告は六十四パーセント減少。深夜残業、休職、退職はいずれも減少しています」 「相談が増えた時点で失敗だ!」 「問題行為が増えたのか、相談できる状態になったのか、件数だけでは判断できません」 「売上への貢献もない!」 「同期間の売上は十一パーセント増加しています」 「じゃあ何なんだ、この課は!」 「相談窓口です」 「数字で殴ってから普通の説明をするな!」  黒瀬は画面を閉じなかった。 「なお、これらの実績が悪くても、廃止案を提出すること自体は可能です」 「なら黙って廃止されろ!」 「廃止案と、相談者への報復は別件です」  会議室の大型モニターが点灯した。  映ったのは、前日に黒瀬への告発を調査した社外相談窓口の担当弁護士、倉橋真帆だった。  葛城が椅子から半分立った。 「また外部の人間か!」 「同じ会社の同じ記録を、翌日もう一度説明しています」 「説明の使い回しをするな!」 「調査の継続です」  倉橋が資料を表示した。  久我山義彦の調査に伴って保全された、人事評価用の一覧だった。 『撲滅課存続を求めた社員 八十七名』 『過去の相談者 三十一名』  氏名の横には、『協調性再確認』『管理職登用見送り』『異動候補』と記されている。  安西がすぐに口を開いた。 「候補だ。決定ではない」 「決定前なら、脅していいのですか」 「脅していない。人事上の参考だ」 「相談した事実を、業務能力と無関係な不利益評価の参考にしています」 「会社のリスク管理だ!」  柴田も机を叩いた。 「何でも訴える人間を管理職にしたら、現場が回らない!」 「何でも、とは何件ですか」 「何件でもだ!」 「ゼロ件も含みますか」 「言葉尻を捕まえるな!」 「記録の基準を確認しています」  倉橋が次の画面を開いた。  取締役三名の名義で部門長へ送られたメールだった。 『廃止案への反対者は氏名を報告すること』 『過去の相談者は管理職登用時に慎重な判断を行うこと』 『存続を求める社員は協調性の観点から評価を再確認すること』 「組織の意見を把握しただけだ」  葛城は言った。 「把握したあと、何に使う予定でしたか」 「何にも使っていない!」 「保存音声を再生します」 「聞け!」  葛城が勝ち誇った。 「使っていないと言っている!」 「そちらではありません」  音声が流れた。 『相談したら損をするって分からせれば、誰も相談しなくなる』  葛城の声だった。 『撲滅課を消したあとも、面倒な社員は評価で落とせばいい』  柴田。 『反対者の名前は久我山に集めさせる。地方へ散らせばまとまれない』  安西。 『大庭さんが反対している』  別の出席者の声。 『一人なら議決で押し切れる』  音声が止まった。  大庭は三人を見た。 「私の反対意見が、議事録案から消えていた理由も分かりました」 「事務上のミスだ!」 「削除履歴の実行者は安西さんです」 「機密保持だ!」 「自分に都合の悪い議事だけを守るな!」  石田が思わず声を上げた。  葛城が睨む。 「石田君。今の発言は評価に――」 「その続きを発言しますか」  倉橋が尋ねた。  葛城は口を閉じた。 「今の未完了発言は、認定理由へ加えません」 「助かった……」 「既存記録で足りています」 「助かってない!」  倉橋は三名へ事前交付した質問書、回答書、メール原本、編集履歴、関係者の個別聴取結果を順に示した。 「撲滅課の廃止案そのものは、ハラスメントとして扱いません。制度の有効性、費用、権限設計を正規に審議してください」 「ほら見ろ!」 「ただし」 「その接続詞を廃止しろ!」 「葛城さん、柴田さん、安西さんは、相談者と制度存続を求めた社員へ、人事評価、登用、異動を使った不利益を示しました。相談そのものを抑止する目的も音声で確認できました」 「取締役会の総意だ!」 「私は反対しました」  大庭が即答した。 「ここだけ個人主義になるな!」 「個別に確認します」  黒瀬が大庭を見る。 「大庭さんは、報復指示への反対、相談履歴を評価から除外する修正案の提出、議事録訂正の要求を行っています」 「はい」 「処理対象ではありません」  大庭は小さく息を吐いた。 「人事権を利用したパワーハラスメント、およびハラスメント相談者への報復行為。三名について認定します」  倉橋が告げた。 「待て!」  三人が同時に立ち上がった。 「先に採決する!」  葛城が議案書へ手を伸ばす。 「撲滅課をなくせば、そいつの処理権限も消える!」 「認定は私が行いました」  倉橋は淡々と答えた。 「黒瀬さんには実施だけを依頼します」 「またその分業か!」  黒瀬が袖を直した。 「三名、個別に処理します」 「最終的にお前が来るじゃないか!」  床の奥から、重い駆動音が響いた。  取締役会議室の壁が、天井まで左右に開く。  現れたのは、直径十二メートルの巨大な円形組織図だった。  円周には『代表取締役』『取締役』『営業』『企画』『総務』『受付』『相談窓口』。最下部には、『人事権停止中・個別聴取室』とある。 「組織図は丸くない!」  ヘルメット姿の総務部員が仕様書を広げた。 「第十二設備、『全社組織図・権限循環盤』です」 「最終日に新しい物を作るな!」 「過去十一設備の余剰部品を九十六パーセント再利用しています」 「残り四パーセントは何だ!」 「『人事権停止中』の表示板です」 「一番大事なところだけ新調するな!」  円盤の上部、三つの役員欄から固定金具が伸びた。  葛城、柴田、安西の椅子が、役職名の真下へ一脚ずつ接続される。  大庭の椅子にも金具が近づいた。 「私は?」 「該当行為を確認していません」  黒瀬が答えると、金具は静かに戻った。 「そこだけ判断が細かい!」 「個別処理です」  円盤の点検台には、黄色い鳥の着ぐるみが立っていた。安全旗を両手に持ち、真剣にブレーキを確認している。  葛城が叫んだ。 「またお前か!」  黄色い鳥は『制動確認済』の札を上げた。 「本当に仕事してるのが一番腹立つ!」  葛城は椅子の肘掛けを握った。 「俺たちは会社の一番上だぞ!」 「配置を確認しました」 「俺たちがこの会社を回しているんだ!」 「承知しました」  黒瀬が円盤の外枠へ片手を掛ける。 「処理します」  ゴン。  十二メートルの組織図が回り始めた。 「本当に会社を回すなああああ!」  三つの役員欄が、ゆっくりと下がっていく。  代わりに営業、企画、総務、受付、相談窓口の欄が上へ昇った。 「社員を上に置くな!」 「組織図上の表示です」 「だったら俺たちも表示だけにしろ!」 「処理対象者は実体を伴います」 「仕様がおかしい!」  半周したところで、黒瀬が円盤を止めた。  三人は最下部で逆さになっていた。安全ベルトだけは異様に仕事をしている。 「一周させろ!」  柴田が顔を赤くして叫ぶ。 「一周すると元の役職へ戻ります」 「戻せ!」 「できません」 「今、自分で理由を説明しただろ!」  最下部の自動扉が開いた。  三脚の椅子が円盤から外れ、進路切替器のレールへ乗る。 『個別聴取室A』 『個別聴取室B』 『個別聴取室C』 「また三つある!」 「供述を分離します」 「前にも聞いたぞ、その説明!」 「用途が同じです」  ガコン、ガコン、ガコン。  三脚は別々のレールを走り、青い衝撃吸収マットを越え、それぞれの扉の向こうへ消えた。  葛城の声だけが戻ってくる。 「俺たちがいなくなったら会社が回らないぞおおおお!」  円形組織図は、惰性で少しだけ回った。 「回っています」 「そういう意味じゃないいいいい!」  三枚の扉が閉じた。  会議室が静かになる。  石田はヘルメットを外し、修繕申請書の破損箇所へ『なし』と入力した。 「初めて使います、この選択肢」 「設備統合の効果です」 「そこが成果なんですか」  大庭は議案書と、空いた三席を見た。 「認定後の権限停止で、今日は定足数を満たしません。廃止案の採決は延期します」 「承知しました」 「勝った、とは言わないのね」 「廃止案は未決です」  黒瀬はタブレットへ入力する。 「報復案件、本件、解決」  ◇  三か月後。  再構成された取締役会は、社外窓口の調査、費用、相談件数、再発率、勤怠、退職率を改めて審議した。  社内ハラスメント撲滅課の廃止案は、正式に否決された。  同時に、相談履歴を人事評価へ利用することは禁止された。相談記録の管理は人事本部から独立し、報復の申告は監査側へ直接届くようになった。  相談は、なくならなかった。  有給休暇を取る社員は増えた。  深夜まで残る社員は減った。  退職者も減った。  売上は、なぜか以前より伸びていた。  総務部の倉庫だけは、十一台分の余剰部品が一台へまとまったのに狭くなった。 「円形だからです」  総務部は、反省して四角く畳もうとした。  黄色い鳥が挟まりかけたため、産業医に止められた。  午前十時二十一分。  社内ハラスメント撲滅課のドアが開く。  若い社員が、おそるおそる顔を出した。 「あの、相談してもいいですか」  黒瀬は、入室の目的を先に伝えるという改善要望を思い出した。 「ここは相談窓口です。内容を確認します」 「前より一文増えた……」 「改善しました」 「そこは助かります」  社員は椅子へ座り、息を整えた。 「上司から、『このくらい我慢できないなら社会人失格だ』と言われて」 「確認します」  相談は、なくならなかった。  なくなったのは、相談した人間の方を消せば済むという、会社の古い癖だった。  社内ハラスメント撲滅課は、本日も通常業務中である。

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