芦名 雅 / 第7話

第7話 若いんだから寝なくても死なない。処理します

 若い社員は、寝なくても死なない。  企画開発部長は、そう断言した。  会社は念のため、部長を八時間ほど寝かせることにした。 「西村、これも明日の朝までな」  午後十一時四十八分。株式会社サンライト企画、企画開発部。  窓の外では、最終電車を知らせる駅の明かりが遠く流れていた。だがフロアに残っているのは、二十代の社員ばかりだった。  企画開発部長・松田浩司は、西村亮太の机へ五冊目の資料を置いた。四十六歳。若手を見ると、体力と予定が無限に湧くと思い込む男である。  西村は二十四歳、入社二年目。目の下の隈は、勤続年数より長く見えた。 「部長、これで五件目です」 「若いうちは経験だよ」 「昨日も午前二時まで残っています」 「二十四だろ? 寝れば回復するって」 「寝る時間がありません」 「細かいなあ」  松田は笑い、さらに付箋を貼った。 『最優先』  すでに五冊すべてに同じ付箋がついている。 「部長。最優先が五件あると、優先順位がありません」 「全部最優先でやればいいだろ」 「時間は増えません」 「気合いで増やせ」 「物理法則の管轄です」 「若手の管轄だよ」  隣席の社員が、聞こえないふりをして画面へ顔を近づけた。反論すると、自分の机にも最優先が増える。 「あと、土曜も出られる?」 「今週ですか」 「うん」 「先週も、その前も出ました」 「若いんだから予定なんかないだろ」 「あります」 「どうせ遊びだ。仕事優先」 「部長は土曜に出ますか」 「俺は管理職だから、部下に仕事を振るのが仕事なんだよ」 「では、その仕事は終わっています。帰ってください」  複合機の陰から、淡々とした声がした。  黒いスーツ。銀色のバッジ。手には、いつものタブレット。  社内ハラスメント撲滅課、黒瀬。  その背後には、白衣姿の産業医と、パジャマ姿の総務部員が立っていた。 「うわあっ! またお前か!」 「はい」 「こんな時間に何してんだ!」 「残業状況の確認です」 「もっと早く来い!」 「午後六時にも来ました」 「いたのか!?」 「はい」 「じゃあ、なんで今まで黙ってた!」 「恒常性と指示系統を確認していました」  松田は、パジャマ姿の総務部員を指差した。 「そいつは何だ!」 「着用試験担当です」 「何の着用だ!」 「管理職用安眠ウェアです」 「仕事中に安眠させるな!」  若手社員たちが、音を立てずに椅子を後ろへ引いた。  第六件目にもなると、黒瀬より先に総務部の服装から処理内容を予測し始めている。  黒瀬は西村へ向いた。 「五件すべて、明朝までに完了する必要がありますか」 「分かりません。顧客へ提出する日も聞いていません」 「各案件の納期を確認しました。最短で月曜日、最長は来週金曜日です」 「今日は木曜日です」 「はい」  黒瀬は別の社員へ尋ねた。 「休日出勤を希望しましたか」 「していません。断ると評価に響くと言われました」 「深夜残業を断った社員が、担当を外された事例はありますか」 「二人います」 「松田部長。三十歳未満の社員だけに深夜残業と休日出勤を集中させていますね」 「若手育成だよ」 「過去三か月の平均残業時間は、三十歳未満が月七十八時間、三十歳以上が月十九時間です」 「若いうちは数をこなすもんだ」 「休日出勤も若手へ集中しています」 「経験を積ませてるんだ」 「期限を前倒しする合理的理由は?」 「早いに越したことはない」 「そのために健康を害しても?」 「若いんだから、一晩や二晩寝なくても死なねえよ!」  産業医が首を横に振った。 「死ぬ可能性を含め、健康障害の危険があります」 「大げさだ! 俺だって若い頃は会社に泊まった!」 「過去の不適切な労働環境は、現在の不適切な労働環境を正当化しません」 「四十六なんて、まだ若い! 俺なら二晩くらい平気だ!」 「医学的な実証は行いません」 「そこはやらないのかよ!」 「健康を損なう可能性があります」 「急に常識を出すな!」  黒瀬がタブレットを一度だけ操作した。 「エイジハラスメント、およびパワーハラスメント。認定」 「待て!」 「処理します」  企画開発部の壁が、静かに左右へ開いた。  その向こうにあったのは、巨大な寝室だった。  中央には天蓋つきのベッド。低反発マットレス。加湿器。遮光カーテン。枕元には水と耳栓。壁には大きく、『管理職強制終業区画』と書かれている。 「ホテルじゃねえか!」 「第七処理設備です」 「福利厚生の見た目で処理設備を作るな!」 「産業医監修です」 「監修するな!」  天井から二本の布団固定帯が降りてきた。  松田が後ずさる。 「待て。俺は眠くない」 「西村さんたちも、残業を希望していません」 「俺は部長だぞ!」 「就寝には影響しません」 「せめて自分で歩かせろ!」 「承知しました」  黒瀬が通路を空けた。 「どうぞ」 「行くわけないだろ!」 「本人による移動を拒否と確認しました」 「そういう確認だったの!?」  黒瀬が松田のベルトと襟をつかんだ。 「処理します」  ドン。  松田は柔らかな放物線を描き、ベッドの中央へ着地した。  布団が自動でかかり、固定帯が腰と肩を優しく押さえる。遮光カーテンが閉じた。 『適正睡眠時間、八時間を確保します』 「寝かしつけ方だけ乱暴!」 『照明を落とします』 「仕事が残ってる!」 『緊急性は確認されませんでした』 「部下に振る!」 『部下は退勤しました』  フロアのパソコンが、一台ずつ自動でログオフを始めた。 「まだ帰ってないぞ!」 「今から帰ります」  西村が五冊の資料から『最優先』の付箋を剥がした。重ねると、全部で八枚あった。 「五件なのに八枚あります」 「強調のためだ!」 「三枚は仕事ですらなかったんですね」  社員たちが鞄を持ち、次々に退勤していく。  黒瀬は最後に、松田へ確認した。 「起床希望時刻はありますか」 「今すぐ!」 「八時間未満のため受理できません」 「聞く意味あったか!?」 「希望の確認は必要です」  扉が閉じる直前、安眠区画から松田の声が響いた。 「明日の朝、覚えてろよ!」 『会話は睡眠を妨げます。子守歌を開始します』  どこかで聞いた黄色い鳥のマスコットソングが流れ始めた。 「またお前かあああ!」  今度は黒瀬ではなく、鳥に向けた叫びだった。  黒瀬はタブレットへ入力した。 「本件、解決」  その夜、企画開発部の照明は午後十一時五十四分にすべて消えた。  翌月、部内の残業時間は半分以下になった。案件ごとに本当の納期と優先順位を共有した結果、納期遅延は一件も増えなかった。  深夜残業と休日出勤を断った社員への不利益評価も再審査された。  管理職強制終業区画は、労使協議の結果、一般社員も本人の希望で使える仮眠室となった。  ただし松田だけは、午後九時以降、自動予約される。  本人は毎回キャンセルを申請している。  システムは毎回、『睡眠不足による判断力低下』を理由に却下している。

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