芦名 雅 / 第6話

第6話 育休を取るなら席はない。処理します

 育児休業を取るなら、戻ってきたときに席はない。  営業部長は、そう言った。  その十二分後、なくなったのは部長の席の方だった。 「三か月?」  午後四時十一分。株式会社サンライト企画、営業一課。  営業一部長・野田一成は、部下が差し出した育児休業申請書を、賞味期限の切れたクーポンのような顔で見ていた。五十三歳。部下の家庭事情より、今月の売上表の方をよく見る男である。  申請者の藤井拓也は三十歳。入社八年目。来月、第一子が生まれる。 「はい。出産予定日の翌週から、三か月を希望しています」 「奥さんいるんだろ?」 「妻も働いています」 「最近は大変だねえ」  まったく大変そうではない声だった。 「出産後の通院と、妻の復職準備を分担します。引き継ぎ表も作りました」 「準備がいいねえ」 「取引先三社には、後任候補から挨拶する段取りです」 「そこまで会社に迷惑かけて休みたい?」  藤井の指が、申請書の端で止まった。 「制度として取得を希望しています」 「まあ、取るのは自由だよ。制度だからね」 「では、承認をお願いします」 「たださ」  野田は申請書を机へ置き、柔らかく笑った。 「三か月も会社から消えて、戻ってきたときに同じ席があると思わない方がいいよ」 「それは、育休を取れば配置や評価を不利益に扱うという意味ですか」 「そんなこと言ってない」 「では、席がないというのは」 「察してよ。大人なんだから」 「確認します」  給湯室の方から、淡々とした声がした。  黒いスーツ。銀色のバッジ。手には、いつものタブレット。  社内ハラスメント撲滅課、黒瀬。  今日はヘルメットをかぶっていた。 「うわっ! またお前か!」 「はい」 「なんでヘルメットなんだよ」 「床下点検中です」 「うちの部署の床下に何がある!」 「現時点では何も」 「現時点では!?」  営業一課の社員たちが、一斉に椅子を机から離した。  第五件目にもなると、避難だけは速い。  黒瀬は藤井へ向いた。 「育児休業を三か月取得する意思に変更はありませんか」 「ありません」 「会社からの圧力がなければ、同じ期間を申請しますか」 「はい」 「引き継ぎ計画は本人が作成したものですか」 「はい。休むために必要だと思って」 「確認済みです。担当案件、顧客連絡、緊急時の連絡範囲まで記載されています」  黒瀬は野田へ向き直った。 「育児休業取得後、藤井さんの席を撤去する予定ですか」 「比喩だよ。物理的に椅子を捨てるわけないだろ」 「配置転換を予定していますか」 「本人の成長のためなら、地方もあるかもな」 「育児休業を取得しなければ、その配置転換を行いますか」 「それは状況による」 「評価を下げますか」 「休んだ期間に成果がないのは事実だろ」 「休業取得そのものを理由に不利益評価を行いますか」 「会社だって遊びじゃないんだ!」  野田は机を叩いた。 「俺たちの頃はな、男は仕事、女は家庭! 会社に骨を埋める覚悟で働いたんだ!」  床下から、機械の作動音がした。  営業一課の社員たちは、さらに三歩下がった。 「今、何か動いたぞ」 「床下設備です」 「さっきまで何もないって言っただろ!」 「点検が完了しました」 「十二分で設備が生えたのか!?」  総務部員が床の点検口から顔を出した。 「組み立て式です」 「総務! お前ら最近おかしいぞ!」 「最近でしょうか」 「昔からみたいに言うな!」  黒瀬がタブレットへ視線を戻した。 「過去二年間に、男性社員四名が育児休業について野田部長へ相談しています」 「だから何だ」 「二名が申請を断念。一名は一週間へ短縮。一名は復帰後、本人の同意なく担当顧客を外されました」 「営業は結果がすべてなんだよ」 「四名全員が『復帰後の席は保証できない』という趣旨の発言を記録しています」 「指導だ!」 「藤井さんとの面談音声も確認しました。取得を理由とする不利益を示唆し、申請を断念させる反復行為です」  黒瀬がタブレットを一度だけ操作した。 「パタニティハラスメント、認定」 「はあ!?」 「処理します」 「待て! 俺は会社に骨を埋めるぐらいの覚悟を持てって言っただけだ!」 「確認します」  黒瀬は真顔だった。 「本当に会社へ骨を埋めることを希望しますか」 「するわけないだろ! 比喩だよ!」 「承知しました。骨は埋めません」  野田が胸を撫で下ろした。 「本人が拒否した処理は行わないんだな」 「はい」 「意外と話が通じるじゃないか」 「代わりに、覚悟だけ埋設します」 「覚悟に物理的実体はない!」 「総務部が対応しました」 「総務の対応範囲が広すぎる!」  野田の部長席の周囲に、黄色い四角が点灯した。 『企業戦士用・覚悟埋設ユニット』  机、椅子、パソコン、電話、野田が乗ったまま、床がゆっくり沈み始める。 「待て待て! 俺まで入ってる!」 「覚悟の付属品です」 「人間を付属品にするな!」  一メートル。  床から見えるのは、野田の胸から上だけになった。 「止めろ! 営業指示が出せない!」 「休業中の社員にも同じことを求めていましたね」  二メートル。  野田の頭と、電話の受話器だけが見えた。 「せめて電話は残せ!」 「会社に骨を埋める覚悟なら、通信は不要です」 「そんな覚悟は古墳にでも埋めろ!」  床が閉じた。  直後、営業一課の壁に新しい内線番号が表示された。 『地下埋設部長席 内線666』  電話が鳴った。  藤井が受話器を取る。 「営業一課、藤井です」 『出してくれ! ここ、土じゃなくて会議室だ!』  黒瀬が答えた。 「衛生上の理由で地下会議室へ収容しました」 『埋めてないじゃないか!』 「骨は埋めないという要望を受理しました」 『じゃあ何を埋めたんだ!』 「部長席です」  藤井が床を見る。 「本当に席がなくなりましたね」 「はい」 「僕の席は?」  黒瀬は藤井の机に『育児休業中・復帰予定日』と記された札を置いた。 「ここにあります」 「ありがとうございます」 「申請の承認権限は、調査終了まで人事担当役員へ移管済みです」 「そこは普通に手続きするんですね」 「必要です」  黒瀬はタブレットへ入力した。 「本件、解決」  翌月、藤井は予定どおり三か月の育児休業へ入った。  復帰予定日を書いた札は、誰も動かさなかった。担当業務は引き継ぎ表に従って分担され、緊急連絡は本当に必要な場合だけと決められた。  営業部では、新たに男性社員二名が育児休業を申請した。  誰も「席がなくなる」とは言わなかった。  言える人間の席が、地下二階にあるからである。  なお、覚悟埋設ユニットは、その後『集中会議室』へ改称された。  防音性能が非常に高く、予約は三か月先まで埋まっている。

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