芦名 雅 / 第5話

第5話 スキンシップだよ。処理します

 常務取締役は、社員との距離が近かった。  近いというか、触っていた。  そして会社は、ついに距離をメートルで管理し始めた。 「小宮ちゃん、昨日の休み、何してたの?」  午後一時二十分。株式会社サンライト企画、十二階役員フロア。  昼休み明けの廊下で、常務取締役の白川康平は、企画部社員・小宮彩乃の進路を身体で塞いでいた。五十六歳。自称、社員との距離が近い気さくな上司。  社員はだいたい、距離を取りたがっていた。 「友達と出かけていました」 「男?」 「仕事に関係ありますか」 「ないない。コミュニケーションだよ」  白川は笑いながら、小宮の肩へ手を置いた。  小宮は半歩離れた。 「触るのをやめてください」 「ええ? 肩くらいで?」 「嫌なので」 「今の若い子は難しいなあ」  白川はそう言いながら、離れた半歩を埋めた。拒否を、空いた場所だと思っている動きだった。 「彼氏いるの?」 「答えたくありません」 「結婚は?」 「答えたくありません」 「子ども欲しい?」 「質問をやめてください」 「そんな警戒しなくていいって。俺、こう見えて口は堅いから」 「距離を取ってください」 「俺はスキンシップを大事にしてるんだよ」 「では、距離を確認します」  背後から、淡々とした声がした。  黒いスーツ。銀色のバッジ。手には、いつものタブレット。  社内ハラスメント撲滅課、黒瀬。  その隣には、黄色と黒の縞模様をした業務用巻尺を抱えた総務部員が二人いた。 「うわっ! またお前か!」 「はい」 「そこは否定しろよ!」 「事実です」  黒瀬はタブレットへ目を落とした。 「確認します。交際相手の有無を尋ねましたね」 「雑談だよ」 「結婚予定を尋ねましたね」 「雑談」 「出産意思を尋ねましたね」 「だから雑談!」 「肩へ触れ、拒否された後、再び接近しましたね」 「距離が近いタイプなんだよ。昔からこうなの」 「小宮さん。偶然の接触ですか」 「違います。三か月で少なくとも十二回です」 「親しさを示す接触へ同意していましたか」 「していません。口頭で四回、メールで二回、やめてほしいと伝えました」 「業務上、白川常務と接近する必要はありましたか」 「ありません。通路を塞がれていました」  黒瀬が総務部員へ目を向ける。  一人が巻尺を床へ置き、もう一人がレーザー距離計を起動した。赤い点が白川の革靴に止まる。 「なんで測量が始まるんだよ」 「常務が『距離が近いだけ』と申告したためです」 「言葉を額面どおり受け取るな!」 「昨日、社内申請が承認されました」  廊下の壁には、新しい案内板が掛かっていた。 『水平距離確保経路 この先百メートル』  その下に小さく、『窓ではありません』と追記されている。 「何だそれ!」 「総務部が過去四件を踏まえて整備しました」 「過去四件を踏まえるな!」 「窓、自動ドア、河川、天井の次です」 「会社が学習する方向を間違えてるだろ!」  総務部員の一人が、申し訳なさそうに手を挙げた。 「今回はバリアフリーです」 「誰への配慮だ!」 「処理される方です」 「配慮の置き場が狂ってる!」  黒瀬は白川の叫びが終わるのを待った。 「小宮さんから提出されたメール六通、廊下の防犯映像九件、同様の申告七名分を確認済みです。うち五名は、拒否後も接触が継続したと回答しています」  白川の顔から、笑みが少し薄れた。 「みんな大げさなんだよ。俺は部下を家族みたいに思って――」 「家族であっても、同意のない接触は正当化されません」 「肩だぞ? たかが肩!」 「接触部位の名称ではなく、拒否後も継続した事実を認定します」 「俺に悪気はない!」 「認定基準は、悪気の有無ではありません」 「じゃあ、握手も全部ハラスメントか!」 「相手の同意、状況、必要性によります。今回は、ありません」  黒瀬がタブレットを一度だけ操作した。 「セクシュアルハラスメント、認定」 「待て!」 「処理します」 「待て待て待て! 俺は距離が近いだけだって!」 「承知しました」 「お、分かってくれたか」 「適切な距離を確保します」 「具体的に何メートルだ」  黒瀬は小宮へ尋ねた。 「希望はありますか」 「勤務中は、できれば百メートル」 「小宮ちゃん!?」 「七名の申告者も、百メートルで合意しています」 「いつ会議したんだよ!」 「昼休みです」  その瞬間、廊下の床で黄色い線が光った。  壁の一部が横へ開き、十二階から隣接する研修棟の屋上まで、半透明の筒状通路が一直線に伸びている。内部には低摩擦材、終点には巨大な青い衝撃吸収マット。側面には十メートルごとの目盛りが振られていた。 『0m 同意確認地点』 『50m 反省推奨地点』 『100m 適正距離』 「いつ造った!」 「昨夜です」 「一晩で!?」 「総務部の発注能力を侮らないでください」  総務部員が少し誇らしげだった。  黒瀬は白川のベルトと襟をつかんだ。 「待て、役員だぞ!」 「確認済みです」 「株も持ってる!」 「距離には影響しません」 「せめて九十九メートル!」 「申告者の合意は百メートルです」 「一メートルくらい融通を利かせろ!」 「これまで他人の一歩に融通を求めすぎました」  黒瀬が腰を落とす。  レーザー距離計の表示がゼロになった。 「処理します」  ドン。  白川は透明な筒の中を、役員らしさだけ廊下へ置き去りにして飛んだ。  十メートル。 「雑談だああ!」  三十メートル。 「スキンシップだああ!」  五十メートル。 『反省を推奨します』 「設備がしゃべったああ!」  八十メートル。  研修棟の社員たちが、窓際で弁当を食べながら拍手した。  百メートル。  青いマットが白川を受け止め、距離計が電子音を鳴らした。 『適正距離を確保しました』  小宮が表示を見た。 「百メートル、ちょうどですね」 「誤差は三ミリです」 「三ミリは近すぎませんか」  総務部員たちの顔が曇った。 「再処理しますか」  百メートル先で白川が激しく首を横に振った。 「今回は大丈夫です」 「承知しました」  黒瀬はタブレットへ入力する。 「本件、解決」  翌週、株式会社サンライト企画は『接触を伴うコミュニケーション指針』を制定した。  内容は簡潔だった。  一、触れる前に確認する。  二、拒否されたら触れない。  三、役職、親しさ、悪気の有無を免罪符にしない。  白川は役員を解任され、調査と懲戒手続きを受けた。過去の申告者には会社から謝罪があり、相談窓口は役員から独立した外部窓口へ変更された。  水平距離確保経路は、使用後に撤去が検討された。  しかし総務部から、「災害時の物資輸送にも使える」という意見が出た。  現在は、青いマットと一緒に防災設備として登録されている。  なお、毎朝九時に自動音声が流れる。 『本日の適正距離は、相手に確認してください』  そこだけは、メートルで答えなかった。

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