芦名 雅 / 第9話

第9話 有給を取るなら辞表も出せ。処理します

 有給休暇の申請書に、辞表は付属しない。  商品開発部長だけが、それをセット商品だと思っていた。  総務部は念のため、書類仕分け機を人間サイズで造った。 「有給?」  午前十時十五分。株式会社サンライト企画、商品開発部。  商品開発部長・鷲尾隆之は、森川沙耶が差し出した申請書を見て、机の上へ生魚でも置かれたように顔をしかめた。五十二歳。休まず働くことを美徳と呼び、部下が休むことだけは怠慢と呼ぶ男である。  森川は二十五歳、入社三年目。有給休暇の残日数は二十四日。昨年度は一日も取得できていない。 「はい。来週の金曜日に、一日だけ取得します」 「なんで?」 「私用です」 「その私用の内容を聞いてるんだけど」 「業務の調整に必要ですか」 「普通、上司には言うだろ」  普通ではない。  周囲の社員は全員そう思ったが、口にすると自分の休暇まで消えそうなので黙っていた。 「旅行?」 「私用です」 「デート?」 「私用です」 「病院?」 「私用です」 「法事?」 「私用です」 「全部、私用じゃないか」 「はい」 「会話する気ある?」 「休暇を取得する意思は伝えています」  鷲尾は申請書を机へ放った。 「うちは今、忙しいんだよ」 「来週金曜日が期限の案件は引き継ぎ済みです。担当商品の試作品も、木曜日に確認できます」 「何か起きたらどうする」 「副担当の井上さんが対応してくれます」 「井上に迷惑だろ」  隣席の井上が顔を上げた。 「先月、私が休んだ日は森川さんが代わってくれました」 「お前には聞いてない」 「今、私のことを話していました」 「口答えするな!」  鷲尾が机を叩く。 「有給が残ってるから使っていいって話じゃないんだよ!」 「使うためのものでは?」 「権利ばかり主張するな!」 「昨年から一度も使っていません」 「だったら今年も使わなくていいだろ!」 「どういう理屈ですか」 「そういう会社なんだよ!」  社員たちが、静かに首を横へ振った。  七件の処理を経て、会社そのものに責任を押しつける発言への反応だけは統一されていた。 「そんなに休みたいなら、辞表も一緒に出せ!」 「確認します」  書類棚の間から、淡々とした声がした。  黒いスーツ。銀色のバッジ。手には、いつものタブレット。  社内ハラスメント撲滅課、黒瀬。  今日は、透明な書類ケースを二つ持っていた。 「うわっ! お前、最近どこにでも出るな!」 「勤務中ですので」 「俺も勤務中だ!」 「確認を続けます」  黒瀬は一つ目のケースを示した。 『有給休暇申請書』  続いて、空の二つ目を示す。 『退職届』 「森川さん。退職する意思はありますか」 「ありません」 「退職届を作成しましたか」 「していません」 「鷲尾部長から提出を求められましたか」 「今、求められました」 「承知しました」  黒瀬は鷲尾へ向いた。 「来週金曜日、森川さんが不在になることで具体的な事業上の支障はありますか」 「急な仕事が入るかもしれない」 「現時点で予定されていますか」 「されてない」 「取得日の変更を相談しましたか」 「休ませないって言ってるんだ」 「理由を開示しなければ取得を認めないと発言しましたね」 「業務管理だ」 「昨年度、森川さんの申請を十一回、一昨年度は九回退けています」 「ずっと忙しかったんだよ」 「商品開発部の有給取得率は三・二パーセント。退職率は四十二パーセントです」 「休まない優秀な社員が残ってる証拠だ」 「退職者への聴取では、十四名が休暇申請への威圧を理由の一つに挙げています」 「根性のない奴が多いだけだ!」  黒瀬がタブレットを操作した。  鷲尾の声が再生される。 『休みたいなら会社を辞めろ。辞めたら毎日休めるぞ』 「先月退職した社員への発言です」 「言葉の綾だ!」  続けて、三分前の音声が流れた。 『そんなに休みたいなら、辞表も一緒に出せ!』 「録音するな!」 「記録です」 「俺は部長として、会社のために――」 「社員が会社ではないと言っています」  周囲から、小さな拍手が起きた。 「誰だ、今拍手したの!」  全員が拍手をやめたため、特定できなかった。  黒瀬がタブレットを一度だけ操作した。 「パワーハラスメント、および休暇取得への不当な圧力。認定」 「待て!」 「処理します」 「辞めたら毎日休めるって説明しただけだ!」 「鷲尾部長ご自身に退職意思はありますか」 「あるわけないだろ!」 「承知しました。退職処理は行いません」 「そこだけは常識があるんだな」 「辞表が存在しないためです」 「本人の意思じゃなくて書類基準!?」 「両方です」  床から、軽快な電子音が鳴った。  鷲尾の机と森川の間に、巨大な機械がせり上がる。正面には三つの投入口があった。 『承認』 『要調整』 『辞表』  側面には、『有給・辞表自動仕分け機 人間投入禁止』と書かれている。 「今回はまともな注意書きだな」 「はい」 「じゃあ何を処理するんだ」  黒瀬が森川の申請書を機械へ入れた。 『業務上の具体的支障、なし。本人の退職意思、なし。辞表、なし』  ローラーが回り、申請書に承認印が押された。 『有給休暇申請、処理します』 「勝手に決裁するな!」  鷲尾が申請書を奪おうとして、腕を投入口へ突っ込んだ。 『異物を検知しました』 「誰が異物だ!」  警告灯が赤く回る。 『人間投入禁止。安全回収装置を作動します』 「おい、黒瀬! 止めろ!」 「注意書きは確認しましたか」 「した!」 「では、自己申告済みです」  機械の背面から、透明な回収カプセルが飛び出した。鷲尾を椅子ごと包み、安全バーを下ろす。 「書類仕分け機に人間用カプセルがあるのは矛盾してるだろ!」 「総務部へ伝えます」 「今、伝えろ!」 「総務部は内部にいます」  機械の点検窓から、総務部員が親指を立てた。 「またお前らか!」 『異物の返送先を確認します』  表示板に候補が出た。 『部長席』 『権限停止中待機室』 『紙資源回収庫』 「部長席!」 「調査終了まで決裁権限を停止します」 「じゃあ待機室!」 「承知しました」 「選べるのかよ!」 「今回は本人の希望です」  黒瀬が『権限停止中待機室』を押した。 「処理します」  ボン。  圧縮空気が弾け、カプセルは天井の透明チューブへ吸い込まれた。 「有給は権利ばかりいいいい!」  鷲尾は社内を一周し、第6話で部長席が埋まった地下二階へ運ばれていった。  しばらくして、床下から内線が鳴る。  森川が受話器を取った。 『ここ、野田もいるぞ!』 『予約制だ! 勝手に入ってくるな!』  電話の向こうで、二人の部長が揉め始めた。 「知り合いですか」 「直属ではありません」 「では、私用ですね」  黒瀬は通話を切った。 「私用の使い方、合ってますか」 「業務ではありません」  森川は承認済みの申請書を受け取った。 「来週、旅行に行ってきます」 「取得理由は不要です」 「もう言ったあとです」 「聞かなかったことにします」 「便利ですね、それ」  黒瀬はタブレットへ入力した。 「本件、解決」  翌月、商品開発部では、休暇申請の理由欄が削除された。業務調整が必要な場合は、具体的な事情と代替日を示す運用へ変わった。  有給取得率は上昇し、退職者はゼロだった。  有給・辞表自動仕分け機は小型化され、電子申請システムへ組み込まれた。  ただし『紙資源回収庫』の選択肢だけは、労働組合の要望で削除された。  総務部は少し残念そうだった。

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