芦名 雅 / 第2話

第2話 お客様は神様ではありません。処理します

 その客は、受付開始から七分で三回、責任者を要求した。  四回目には、神を名乗った。  株式会社サンライト企画の総合受付は、午後二時四分をもって人間界と神話の境界になった。 「責任者を出せえええええ!」  怒鳴り声が、吹き抜けの天井まで突き抜けた。  受付カウンターの向こうで、高橋美咲は背筋を伸ばしたまま、膝だけを震わせていた。入社四年目。淡いグレーの制服に、肩で切りそろえた黒髪。来客の名前と顔を覚えるのが得意で、無理難題を笑顔で受け流すことにも慣れている。  ただし、神への対応は研修で習っていなかった。 「恐れ入ります。もう一度、順番に確認させてください」 「何回言わせるんだ!」  カウンターの前に立つ郷田繁は、六十一歳。三日前、サンライト企画が運営した地域イベントの来場者だった。赤黒い顔に太い眉。手には、子ども向けのマスコットぬいぐるみを握っている。  可愛らしい黄色の鳥が、郷田の握力で細長くなっていた。 「会場でお渡しした景品は、お一人様一個までとなっております」 「知るか! もう一個寄越せ!」 「こちらは販売品ではありませんので――」 「孫が二人いるんだよ!」 「それでしたら、別の記念品をご案内できます」 「同じ物じゃなきゃ喧嘩になるだろうが!」 「申し訳ございませんが、残りは当日参加された方へすべて配布済みです」 「だったら作れ!」  高橋は一度だけ瞬きをした。  三日前の限定品を、今から、受付で作れと言われている。  笑顔を維持できている自分を、少しだけ褒めたくなった。 「製造元にも在庫がありません」 「規定、在庫、製造元! お前は決まったことしか言えないロボットか!」  郷田が拳でカウンターを叩いた。  受付用のペン立てが跳ね、ボールペンが床へ散らばる。黄色い鳥のぬいぐるみもカウンターへ打ちつけられた。  背後に並んでいた来客が、一斉に距離を取った。 「俺は客だぞ!」 「はい」 「客は神様だろうが!」  高橋が返答に詰まった、そのときだった。 「確認します」  背後から聞こえた声に、郷田が振り返る。  黒いスーツ。胸元の銀色のバッジ。片手には薄いタブレット。  社内ハラスメント撲滅課の黒瀬は、騒然とする受付へ、通常業務の続きでも始めるような足取りで入ってきた。  高橋の顔に、安堵と別の種類の不安が同時に浮かぶ。 「黒瀬さん」 「はい」 「来てくださったんですね」 「相談を受理しました」  郷田が二人を見比べた。 「なんだ、お前。責任者か?」 「社内ハラスメント撲滅課の黒瀬です」 「責任者を出せって言ってるんだ!」 「案件の担当者です」 「一番偉い奴を出せ!」 「役職の高さと、要求の正当性は関係ありません」 「口答えするな!」  郷田の怒鳴り声にも、黒瀬は眉一つ動かさなかった。 「高橋美咲さん」 「はい」 「要求内容は、イベント景品をもう一個渡すことですか」 「最初は、そうでした」 「最初は?」 「途中から、交通費と慰謝料も要求されています」 「金額は」 「百万円です」  黒瀬が郷田を見る。 「景品一個と、百万円を要求しましたか」 「当たり前だろ! こっちはわざわざ来てやったんだぞ!」 「交通費の内訳は」 「客に細かいこと聞くんじゃねえ!」 「自宅から当社まで、徒歩八分と確認しています」 「個人情報調べるな!」 「来館票にご自身で住所を記入しています」 「見るな!」 「確認のために使用します」  黒瀬はタブレットを操作した。 「イベント当日の配布記録では、郷田さんへ景品一個を交付」 「そうだよ!」 「その十二分後、別の配布列へ並び直しています」 「並んで何が悪い!」 「二個目を受け取ろうとしましたね」 「孫が二人いるって言っただろ!」 「係員から一人一個と説明を受けています」 「融通が利かねえんだよ!」 「さらに、翌日と本日、受付へ合計十一回電話」 「返事しねえからだ!」 「九回、同じ説明を受けています」 「二回足りねえだろ!」 「残り二回は、怒鳴り声だけで通話が終了しています」  受付の後方で、警備員が小さくうなずいた。受話器越しでも聞こえたらしい。 「本日は受付カウンターを三回殴打」 「叩いただけだ!」 「高橋さんへ『クビにさせる』『家まで行く』と発言」 「言葉の勢いだ!」 「録音があります」 「また録音かよ!」  郷田が叫んだ。  高橋が思わず黒瀬を見る。 「また?」 「昨日までに、別件で周知されました」 「何があったんですか」 「営業三課で、一名を部署外へ異動しました」 「普通の異動ですよね?」 「窓からです」 「聞かなければよかったです」 「俺を無視するな!」  郷田がもう一度カウンターを殴ろうとした。  その拳が落ちる前に、黒瀬が手首をつかむ。 「追加の器物損壊は推奨しません」 「離せ!」 「質問に回答してください」 「なんだよ!」 「ご自身を神様だと主張しましたね」 「客は神様なんだよ!」 「神様であることを確認できる書類はありますか」 「あるわけねえだろ!」 「では、奇跡の実演をお願いします」 「は?」 「景品の在庫を増やしてください」 「できるわけねえだろ!」 「高橋さんの恐怖を取り除いてください」 「知るか!」 「壊れかけたカウンターを修復してください」 「俺は大工じゃねえ!」 「神様でもないと」 「言葉の綾だ!」 「確認しました」  黒瀬が手を離す。  郷田は一歩下がり、乱れた袖を直した。 「だったら客として扱え! 俺の願いを叶えろ!」 「神様は願いを叶える側ではありませんか」 「今は俺が願う側だ!」 「では、お客様です」 「そうだ!」 「お客様は、従業員を威嚇する権限を持ちません」 「……」 「規定外の景品交付、根拠のない金銭要求、十一回の反復電話、退職させるとの威迫、訪宅を示唆する発言、および備品への加害」  黒瀬がタブレットを一度だけ操作した。 「カスタマーハラスメント。認定」 「待て!」 「処理します」 「その処理ってやつ、昨日も誰かにやったのか!?」 「はい」 「また同じ流れかよ!」 「処理方法は異なります」 「そこを変えるな!」  黒瀬が受付の自動ドアへ目を向けた。  高橋は、壁際に新設された『処理時開放』と書かれたスイッチを見た。 「これ、総務から昨日つけるように言われたんですが」 「使用してください」 「本当に処理用だったんですか!?」  高橋がスイッチを押す。  正面の自動ドアが左右へ開き、そのまま固定された。入口付近の警備員は、慣れた手つきで赤い三角コーンを並べる。 「連携するな! 止めろ!」 「処理経路、確保しました」 「昨日から進歩してる!」 「業務改善です」 「改善する場所がおかしいだろ!」  黒瀬が郷田の襟首をつかんだ。 「離せ! 俺は客だぞ!」 「元です」 「まだ何も買ってねえ!」 「当社は小売店ではありません」 「そういう話じゃねえ!」 「社外へご案内します」 「案内の持ち方じゃない!」  郷田の身体が宙へ浮いた。  黒瀬は助走もつけず、開放された自動ドアへ向かって腕を振る。  ドン。  郷田は一直線にロビーを抜け、正面玄関から社外へ出た。  そのまま玄関前の歩道を越え、イベント備品を回収していたトラックの荷台へ飛び込む。  荷台いっぱいに積まれた黄色い鳥の着ぐるみが、ぼふん、と郷田を受け止めた。 「なんで在庫があるんだよおおおお!」  荷台から怒鳴り声が響いた。  高橋が目を丸くする。 「景品、残っていたんですか?」 「あれは二メートルあります」 「欲しかった物とだいぶ違いますね」 「配布対象外です」 「そこは規定を守るんですね……」  黒瀬はタブレットへ入力した。 「本件、解決」 「解決……したんでしょうか」  外では警備員がトラックの運転手へ事情を説明し、郷田を荷台から降ろしていた。黄色い鳥の頭部をかぶったまま、郷田はまだ何か叫んでいる。  その姿には神々しさこそなかったが、イベントの宣伝効果だけはあった。 「あの、すみません」  受付列の端から、別の男性客が手を挙げた。 「はい」  高橋が向き直る。 「返品期限を一日過ぎてしまった件で、相談したいんですけど」 「事情をお伺いします」 「怒鳴らなければ大丈夫ですか」 「もちろんです」 「神様を名乗らなければ?」 「名乗っても、確認されるだけです」  黒瀬が答えた。  男性客は真剣な顔でうなずく。 「人間です」 「確認しました」 「そこは口頭でいいんだ……」  翌月。  総合受付への威圧的な苦情は激減した。  返品や期限超過の相談件数は、逆に少し増えた。事情を説明すれば、規定の範囲で対応してもらえると知られたからだった。  顧客満足度は、過去最高を記録した。  なお、正面玄関の『処理時開放』スイッチには、総務部によって透明なカバーが取りつけられた。 『通常の来客対応には使用しないでください』  その下に、高橋が小さな付箋を貼った。 『神様にも使用しないでください』  翌朝、黒瀬は二枚の注意書きを確認した。 「承知しました」  受付の全員が安堵した。 「次回は別の経路を使用します」  安堵したことを、全員が後悔した。

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