遥 / 第74話

74話 深夜の情報交換

 深夜――防災対策課・医療室。  無機質で静まり返った病室に、規則的な心電図の電子音だけが静かに響いていた。 「……」  俺――橙真は重いまぶたをゆっくり持ち上げ、目を開ける。  視界には、無機質な白い天井が広がっていた。  ツンとした消毒液の匂いが鼻を刺激する。  視線を落とすと、右腕には点滴の針が刺さり、全身には痛々しいほどびっしりと包帯が巻かれていた。 「……ここは」  身体を起こそうと、わずかに力を入れた瞬間――。 「……っ!」  全身の皮膚と筋肉に、焼けつくような激痛が走った。  思わず顔をしかめ、再びベッドへ身体を沈める。 「今はまだ、無理をするな」  不意に聞こえた、聞き覚えのある声。  俺は声のした方へ視線を向けた。  暗がりの中、天井からすっと一筋の白い光が降りてくる。  光の粒子が眩く集まり、その中心から、一人の天使が静かに姿を現した。  背中には、身の丈ほどもある大剣。  山道で対峙した天使――。 「……なんだ、お前か」 「何だ、文句があるのか」 「文句はないよ。あと……ひとまず、お前が月影さんを殺していないことは信じることにした」  大剣の天使は、一瞬だけ意外そうに目を見開いた。  だが、すぐに静かに頷く。 「そうしてくれるとありがたい」 「あの時約束した、情報交換しようぜ」 「情報交換なら、俺が持っている情報も教える。その代わり、お前が持っている情報も教えろ」  天使は、あきれたように軽く肩をすくめた。 「ああ、もともとそのつもりだったしな。じゃあ、まずは俺から話すな」  俺は天使を見つめる。 「お前と初めて会った、あの教会の地下にいた、あの大量の邪神体のこと、覚えてるか?」 「ああ。今よりは消耗も少なかったが、お前がボロボロだった時だな」 「確かに、あの時もボロボロではあったけど……」  俺は苦笑し、それからふと思い出したように続ける。 「っていうか、まだ名乗ってなかったな。俺は日向橙真。そういえば、お前って名前あるのか?」  天使は目を細め、わずかに笑った。 「名前か。この名を名乗るのは久々だな」  そして、静かに告げる。 「私の名は、ガブリエルだ」 「ガブリエルか……これからはそう呼ぶ」 「好きにしろ」 「ていうか、さっきからちょこちょこ話し方変わってないか?」 「これが俺の素だ」 「そっか。それじゃあ、俺の前ではその話し方で話せよ」 「そうさせてもらう。それで、話の続きは?」 ***  俺は真剣な表情へ戻った。 「教会の地下にいた邪神体たち、自然災害を纏っていなかったんだ」  あの時の光景を思い返す。 「あの時は別のことで頭がいっぱいだったから気にしていなかったけど……今思えば、明らかに変だったなって」 「……確かに、それはおかしいな」  ガブリエルは腕を組み、考え込むように目を細める。 「今までお前たちが戦ってきた邪神体とは、明らかに違う」 「ていうか、天使も邪神体と戦ってんのか?」 「もちろんだ。それで、それが一つ目か? まだあるのか?」  俺は右耳へゆっくりと手を添え、イヤホンを指先で軽く触れる。 「あと一つある」  俺はイヤホンを見つめた。 「俺が今つけてるこのイヤホン、小学生の頃に巫女からもらったものなんだ」  その瞬間、ガブリエルの表情が固まった。  わずかに目を見開き、イヤホンを見つめる。 「……巫女が?」 「ああ。理由は分からない。でも、ずっと使い続けてる」 「巫女が何の理由もなく物を渡すこと自体が異例なのに……イヤホンを渡しただと」  ガブリエルはしばらく黙り込んだ。 「確かに、それはおかしいな。何か特別な意味があるのかもしれない」 「俺も、そんな気がしてる」 ***  重苦しい沈黙が、しばらく病室を支配した。  やがて俺は、ガブリエルをまっすぐに見据える。 「今度はガブリエルの番だけど」 「ああ」  ガブリエルは静かに口を開いた。 「俺からは、まず月影が何を調べていたのかを話す」 「月影さんが?」 「そうだ。月影は、お前と会うよりも前から、鳥山宗一郎、シエリオ・トグレイ、そして巫女について調べていた」  俺は黙って耳を傾ける。 「書籍や資料を調べ、『扉と鍵』についても追っていた」 「そうだったんだ……」  俺は思わず息を吐いた。 「それで、月影さんはどこまで調べていたんだ?」 「鳥山宗一郎、シエリオ・トグレイのことは詳しく調べられていた。巫女についても、『扉と鍵』の存在までは辿り着いていた」  そこで、ガブリエルは一度言葉を止める。 「だが……正体までは掴めていなかった」 「あと少しだったってことか……」 「ああ」  俺は少し考えてから尋ねる。 「それでガブリエルは、『扉と鍵』について何か知っているのか?」 「知っていることは一つだけだ」  ガブリエルの声が、少しだけ低くなる。 「『扉』が造られた時、俺の仲間だった天使が大勢、犠牲になった」 「……!」 「その中には、ミカエルという名の天使もいた」  俺は思わず息を呑み、言葉を失った。 「今、この世界で活動できる天使は……たった六人しかいない」 「六人……?」 「ああ。昔はもっといたんだが……『扉』を創った時に、大勢が犠牲になった」  俺は言葉を失ったまま、ガブリエルを見つめる。 「六人で、この世界を守ってるのか……」 「そんなところだ」 ***  その時だった。  廊下の遠くから、足音が静かに近づいてくる。  俺とガブリエルは、同時に廊下へ視線を向けた。 「誰か近づいてきてるみたいだな」 「そうだな」  ガブリエルが立ち上がる。 「また会おうぜ!」 「ああ。いつでも呼べ。呼べば、すぐに来てやる」 「それじゃあ、頼りにさせてもらう」 「ああ、任せておけ」  その言葉が聞こえた直後。  ガブリエルの身体は瞬く間に淡い光の粒子へと変わり、静かに空気中へ消えていった。  それと同時に、張り詰めていた緊張が切れたのか、俺の全身に、再び眠気が襲いかかってきた。 (……まだ限界だったんだ)  意識が、ゆっくりと深い闇の中へ遠のいていく。  俺は抵抗をやめ、再び眠りについた。 ***  ――コンコンコン。  控えめなノックの音が響き、病室の扉が開く。 「橙真くん」  見回りに訪れた私ーー光莉は、安らかな寝息を立てている橙真くんを目にし、ほっとして微笑んだ。 「今は、ゆっくり休んでね」  小さく呟き、足音を立てないよう静かに病室をあとにする。  閉じられた扉の向こうで、橙真くんは静かな眠りについている。 ***  しかし――彼らが知ることになる真実は、まだほんの一部に過ぎない。  そして、『天使』『巫女』『扉と鍵』。  それぞれの謎は、少しずつ、一つの場所へと繋がり始めていた――。

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