遥 / 第60話

60話 届いてほしい声

 私――碧羽は、深く息を吸い込んだ。 「私が覚醒したのは……あの日、小学五年生だった頃です。あのときは、確か……」 ***  2011年3月11日――。  小学校の教室では、五時間目の授業がいつもどおり行われていた。  教室の中には、穏やかで平和な時間が流れている。  先生が黒板に文字を書き、生徒たちは黙々とノートを取っていた。 「碧羽」  隣の女の子が、先生にばれないよう小声で話しかけてくる。 「今日の放課後、一緒に遊べる?」 「うん! 遊べるよ!」 「じゃあ、いつもの場所に集合ね!」 「わかった!」  放課後の何気ない約束。  まさかそれが、その子との最後の会話になるなんて、このときの私は知る由もなかった。  そのときだった。  ――ゴゴゴゴゴゴ……!  地底から響いてくるような、不気味な音。  床が小さく震え始める。  先生が、ふと顔を上げた。 「……地震か?」  次の瞬間――。  ドォンッ!!  世界そのものがひっくり返るような激しい揺れが、教室全体を襲った。 「みんな、机の下に隠れろっ!!」  先生の必死な叫び声が響き渡る。  子どもたちはパニックになりながら、次々と机の下へ潜り込んだ。  後ろのロッカーが倒れ、窓ガラスがガシャーンと凄まじい音を立てて割れる。  教室中に絶叫と悲鳴が響き渡った。  だが、恐ろしい揺れは一向に収まる気配を見せない。  ――ミシミシミシミシ……!  頭上の天井が、大きく軋み始めた。  先生が咄嗟に天井を見上げる。 「みんな、危ないっ!!」  その瞬間――。  ガガガガガッ!!  教室の天井が、重々しい音とともに崩れ落ちた。  凄まじい崩落音が響き渡り、教室全体を包み込む。  激しく舞い上がる濃い土煙。  平和だった教室は、一瞬にして瓦礫の山へと変わり果てた。 ***  それから、どれだけの時間が経ったのか。  幼い私には、分からなかった。  私は狭い瓦礫の隙間に埋もれるようにして、閉じ込められていた。  身体は重く、まったく動かない。  真っ暗で、苦しくて、呼吸をするたびに息が詰まりそうだった。  そのとき――。 『……助けて……!』  すぐ近くから、クラスメイトの声が聞こえてきた。 『先生……痛いよ……っ!』 『先生……苦しいよ……っ!』  いつも一緒に笑っていた友達の声だった。  手が届きそうなほど近くから聞こえてくる。  暗闇のあちこちから、助けを求める悲痛な声だけが耳に届いた。  私は友達を助けようと、必死に身体を動かした。  けれど、恐怖で身体はガタガタと震えるばかりだった。  怖い。  身動きが取れない。  助けを求める声すら、喉に引っかかって出てこない。  目からは、涙だけが溢れ出ていく。 「……お願いっ!」  震える声が漏れた。 「誰か、助けてっ!」  周囲から聞こえていた友達の声が、時間の経過とともに少しずつ弱くなっていく。 「お願い! みんなの声……届いて!!」  ――フワッ……!  その瞬間、私の身体から温かく淡い光が溢れ出した。  真っ暗な瓦礫の隙間を、優しい光が包み込んでいく。  私の能力が、初めて覚醒した瞬間だった。  次の瞬間、私の周囲に猛烈な強風が吹き荒れ、私を押し潰していた重い瓦礫の一部を吹き飛ばした。  けれど同時に、全身を駆け抜ける激しい痛みと急激な消耗によって、そのまま私は意識を失ってしまった。 *** 『生存者がいるぞ!!』 『こっちだ、急げ!!』 『わかりました!!』  救助隊の叫び声が、遠くで響いていた。  吹き荒れた風だけでは、すべての瓦礫を吹き飛ばすことはできなかった。  残った瓦礫は、救助隊の手によって一つずつ慎重に取り除かれていく。  そして私は、ゆっくりと外の光の中へ救出された。  冷たい空気が、久しぶりに肺いっぱいに流れ込んできた。  周囲では、崩れ落ちた校舎を見て泣き崩れる保護者たち。  不眠不休で救助活動を続ける消防隊員たち。  そして、静かに布を被せられて運ばれていく、いくつもの担架。  私もそのまま担架で搬送された。  あの日、多くのクラスメイトが命を落としてしまった。 (私にも、何かできたかもしれないのに……。助けを求める声を、すぐ近くで聞いていたのに……怖くて、動けなかった……)  その激しい悔恨と恐怖だけが、幼い心に深く刻み込まれた。  あの日以来、私は狭く閉ざされた場所へ入ることができなくなった。  暗く閉ざされた空間へ一歩踏み入れるたびに、あの日の友達の「助けて」という声が、耳の奥で生々しく蘇る。  それは今でも、消えることのない傷だった――。 ***  現代の会議室。  私は静かに話を締めくくった。 「……それが、私が覚醒した理由です」  重苦しい沈黙に包まれ、誰もすぐには言葉を発することができなかった。  咲は目元を強く押さえ、静かに涙を拭っている。 「そんな悲しいことがあったなんて……」  蒼太は俯いたまま、膝の上で固く拳を握り締めていた。  橙真は静かに私の目を見つめた。 「今までずっと一人で抱え込んで、辛かったんだよな」  私は少し照れながら、それでも小さく微笑んだ。 「でも、今日ここで話せて……なんだか、少し胸が軽くなった気がします」  風宮さんは静かに場にいる全員を見渡した。  そして、ゆっくりと口を開く。 「碧羽、辛い過去を話してくれてありがとう」  風宮さんは一度言葉を切り、次の人物へ視線を向けた。 「次は、水沢だ」  会議室の空気が、再び張り詰め始めた――。

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