遥 / 第59話

59話 守れなくなった約束

 会議室には、静かな空気が漂っていた。  風宮さんはゆっくりと立ち上がり、場にいる全員を見渡した。 「今回話してもらうのは、それぞれが能力に覚醒したときのきっかけだ」  咲は姿勢を正し、全員が風宮さんへ鋭い視線を向ける。 「まずは俺から話そう。光莉、それでもいいか」 「はい、大丈夫ですよ。私の覚醒の過去も、一緒に話してください」 「よし、分かった。それじゃあ、始める――これは、防災対策課ができて間もない頃の話だ」 ***  数年前。  激しい雨が降り続く朝、一台の公用車が険しい山道を走っていた。  運転席には俺――風宮が座っていた。  そして助手席には、俺の婚約者であり、防災対策課の隊員でもあった花江葵衣(はなえあおい)が座っていた。  フロントガラスのワイパーが、激しい雨を必死に払い続けていた。  葵衣は流れていく窓の外を見つめながら、柔らかく笑った。 「今日の雨、すごいね」 「ああ、そうだな。今日の現場は、かなり大変な現場になりそうだ」 「ふふ。でも颯斗と一緒なら、なんだか大丈夫な気がする!」 「そう言ってくれると、なんだか嬉しいな」  葵衣は俺の左手に、そっと自分の温かい手を重ねてきた。 「ねぇ」 「ん?」 「この仕事が落ち着いたらさ、そろそろ、結婚式の準備、進めようね」 「ああ、もちろんそのつもりだ。新婚旅行の計画も考えないとな」 「新婚旅行かぁ。私は海がいいな。青くて綺麗な海岸に、ゆっくり行きたいかも」 「じゃあ、約束だ。この任務が終わったら、まとまった休みを取って海へ行こう」 「うん、約束ね。絶対に忘れないでよ、颯斗?」 「忘れるわけないだろ、葵衣」 「そうだよね」  その時だった。  車内に緊急の無線通信が割り込んでくる。 『こちら本部! 土砂災害発生の危険地域があります! 直ちに現場へ急行し、住民避難の支援をお願いします!』  俺は一瞬で表情を引き締めた。 「こちら風宮、了解しました!」  葵衣も笑顔を消し、鋭い眼差しになる。 「行こう、颯斗!」  俺はアクセルを深く踏み込んだ。 ***  現場では、激しい豪雨が降り続いていた。  必死の誘導の末、住民の避難はほぼ完了しようとしている。 「こちら風宮。住民の避難完了を確認しました」 『了解。直ちに撤収を開始してください』  その瞬間――。  ――ゴゴゴゴゴゴ!!  大地を揺らす、不気味で低い地鳴りが響き渡った。  俺は咄嗟に山肌を見上げる。 「まずい、土砂崩れだ!!」  莫大な量の土砂が、滝のような勢いで山肌を駆け下りてくる。 「颯斗!」  葵衣が俺へ向かって駆け寄ってくる。  俺は近くにいた住民を庇おうと、一歩踏み出した。  だが、その瞬間――。 「危ないっ!!」  葵衣は俺の身体を力いっぱい突き飛ばした。 「え……!?」  俺は地面を激しく転がる。  次の瞬間、凄まじい地響きとともに、膨大な土砂が葵衣の身体を容赦なく飲み込んでいった。 「葵衣――!!」  俺は即座に立ち上がった。  泥だらけになりながら、素手で必死に土砂を掘り返す。 「葵衣! 返事をしてくれ! 葵衣っ!!」  爪が割れ、手が血と泥に染まっても掘り続けた。  そして――。 「っ、葵衣!」  崩れた土砂の中から、葵衣の姿を見つけ出す。  俺は必死の思いで葵衣を抱きかかえた。 「葵衣!」  葵衣はゆっくりと重い目を開いた。  かすかに微笑み、震える手で俺の頬にそっと触れる。 「無事で……よかった」 「喋るな! 今すぐ助けるからな!」 「約束……守れなくて、ごめんね」 「そんなこと言うな! 一緒に海へ行くんだろっ!?」  俺は必死に声を張り上げた。  しかし、俺の頬に触れていた葵衣の手から、ゆっくりと力が抜けていく。 「葵衣……? 葵衣っ!!」  返事は――二度となかった。  俺は冷たくなっていく葵衣を強く抱きしめた。 「俺が……俺が守るって約束したのにっ!」  溢れた涙が雨と混ざり合い、頬を伝って落ちていく。  ――ヴワッ!!  その瞬間、俺の身体を荒々しい雷が包み込んだ。  そして、放電するかのように周囲へ電磁波が広がっていく。 「うあああああああっ!!」  深い悲しみ、激しい後悔。  そして、守れなかった約束。  そのすべての感情が、雷の力を呼び覚ました。  だが、その力は――何よりも守りたかった人を救うには、あまりにも遅すぎた。 ***  数日後の花江家。  祭壇には、笑顔の葵衣の遺影が飾られていた。  焼香を終えた俺は、静かに手を合わせる。  部屋の隅では、妹の光莉が遺影を呆然と見つめていた。  俺はゆっくりと、光莉の前へ歩み寄る。 「光莉」  光莉はゆっくりと顔を上げた。  その目は、涙で真っ赤に腫れている。  俺は深く、深く頭を下げた。 「……申し訳なかった。葵衣を助けることができなかった」  光莉は何も言わない。  ただ静かに、姉の遺影を見つめ続けている。  やがて、震える声で小さく口を開いた。 「……お姉ちゃん、いつも話してくれたんです。『颯斗はすごく優しい人なんだよ』って」 「最後まで……俺を守ろうとしてくれたんだ」  その言葉を聞いた瞬間だった。  光莉の瞳から、大粒の涙が堰を切ったように溢れ出した。 「お姉ちゃん……どうして、どうしてお姉ちゃんだったのっ!!」  胸から溢れ出す、絶望と悲しみ。  ――フワッ――。  その瞬間、光莉の身体から、温かく淡い光が静かに広がった。  部屋の中を、柔らかな風が静かに吹き抜けていく。 (……覚醒した――)  光はゆっくりと収まり、光莉は静かに目元の涙を拭った。 ***  さらに数日後。  俺は再び花江家を訪れていた。 「防災対策課は、君が能力に覚醒したことを確認している。もし光莉が望むなら、防災対策課でその力を、人を守るために使ってほしい」  光莉は、しばらくの間黙っていた。  大好きだった姉との思い出。  失った大きな悲しみ。  そのすべてを胸に抱きしめながら、静かに、だが強い眼差しで頷いた。 「……私、お姉ちゃんみたいに、人を守れる強い人になりたい」 「ああ。一緒に守っていこう」 ***  俺は語り終え、静かに椅子へ腰を下ろした。  光莉も、小さく息を吐き出す。 「……それが、私たちが能力に覚醒した理由です」  会議室は静まり返っていた。  最初に口を開いたのは咲だった。 「そんな悲しいことが……あったんですね」  咲は目元を潤ませながら俯く。  水沢は光莉をじっと見つめ、小さく拳を握りしめた。 「葵衣さんも、花江さんも、本当に強い人たちですね」 「そう言ってもらえると、お姉ちゃんも嬉しいと思います」 「それでも、守れなかった後悔は、きっと一生消えないですよね」  俺は小さく頷いた。 「ああ、もちろんだ」 「だから花江さんは、誰よりも人を守ろうとしているんですね」 「はい。お姉ちゃんの分まで、絶対守るって決めましたから」  俺は、場にいる全員を見渡した。 「ああ。だから今も、俺たちは戦っている――。そして次は――碧羽」  指名された碧羽は、静かに席から立ち上がった――。

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