遥 / 第82話

82話 任務報告

 液状化した道路には、激しく吹き上がった泥水が、今もあちこちに不気味な水たまりとして残っていた。  消防や警察、そして防災隊員たちが、現場を慌ただしく駆け回っている。  つい先刻まで猛威を振るっていた邪神体の姿は、もうどこにもない。  そこに残されているのは、崩壊した建造物や激しく壊された街並みという、生々しい災害の爪痕だけだった。  戦いを終えた咲が、俺――橙真の方へゆっくりと向き直る。 「橙真先輩、私、帰ったほうがいいですか? それとも、橙真先輩と一緒に……」 「いや、咲は先に帰ったほうがいいかな」 「……はい。やっぱりそうですよね……。それじゃあ、また明日です」 「ああ。また明日、学校でな」 「気をつけて帰れよ」 「またね」 「はい!」  咲は丁寧に深く頭を下げると、夕闇に染まり始めた道を一人で静かに去っていった。  その華奢な背中をじっと見送り、俺は隣に立つ蒼太と碧羽へ視線を向ける。 「じゃあ俺たちは、防災対策課へ行くか」 「ああ、状況報告もしなきゃだしな」 「うん、行こうか」 「でも、本当に咲を連れて行かなくてよかったのか?」 「連れて行ったら、風宮さんに絶対、何か言われるだろ」 「そうかもね」  俺たちはそのまま足を速め、防災対策課へと向かった。 ***  防災対策課のエントランスへ入り、そのまま会議室へ向かう。  扉を開けて会議室へ足を踏み入れると、中では風宮さんと花江さんがモニターを見ながら待機していた。 「戻りました。オフィス街に出現した邪神体、無事に討伐してきました」  風宮さんは手元の資料からゆっくりと顔を上げ、静かに頷いた。 「……ご苦労だったな」  その言葉が交わされた、まさにその瞬間だった。  何もない部屋の中央に、まばゆい白い粒子が静かに舞い散る。  無数の光が一箇所へ集まり、やがて人の形を作り上げていく。  光が収束した場所には、一人の青年が立っていた。 「これが……天使なのか」 「初めて見たかも……」  二人が驚きに息を呑む中、現れたガブリエルは俺へ軽く視線を走らせる。  そして、すぐに風宮さんへと向き直った。 「こちらも三角州にいた邪神体を討伐した」 「……三角州にいた邪神体ってなんですか?」  碧羽が尋ねると、風宮さんが答える。 「お前たちがオフィス街で戦っている間、三角州でも邪神体が出現していたんだ。そっちは天使たちに対応してもらっていた」 「そういうことだったのか!」 「なるほど……納得しました」  そこで俺は、ふと疑問を抱いた。  ガブリエル以外にも、まだ天使たちがいる。  なら、他の天使ってどんな人たちなんだろう。 「そういえばガブリエル、お前以外に天使って誰が残っているんだ?」  俺の質問に、ガブリエルは静かに頷いた。 「今、この世界に残っている天使の名前は――ラファエル、ウリエル、ラグエル、サリエル。それと、俺――ガブリエルだ」  淡々と名前を並べたあと、ガブリエルは続ける。 「あの四人は今も三角州の現地で、災害の監視と収束を続けている」 「そうなのか」  俺は小さく頷いた。  するとガブリエルは、少しだけ間を置いてから口を開いた。 「それと、最近は直接は会っていないが、カマエルという天使もどこかで動いているはずだ」 「カマエル……」 「だから、今この世界に残っている天使は――俺を含めて、全員で六人だ」 「六人しか……いないんだな」 「ああ、そうだ」  その短い返答が、妙に重く響いた。  会議室を、重苦しい沈黙が包み込む。  やがて風宮さんが手元の資料をゆっくりと閉じた。 「両地域とも、邪神体の討伐は確認した。ただし、邪神体が引き起こした液状化や河川の増水など、災害そのものは、まだ収束していない。油断は禁物だ」 「河川の方は、現在ラファエルたちが現地で引き続き監視に当たっている。何か異常があれば、すぐ私に伝わるはずだ」  ガブリエルが静かに付け加える。 「そうか……」  俺は窓の外へ視線を向けた。  邪神体は倒した。  それでも、街に残された傷は消えていない。  今回の戦いも、決して「終わった」とは言えないのかもしれない。 「今回の討伐任務は、これで終了とする。全員ご苦労だった」 「「「ありがとうございました」」」 「それでは、俺も三角州へ戻る」  そう告げると、ガブリエルの身体をまばゆい白い粒子が包み込んでいく。  次の瞬間、その姿は光の粒子となり、静かに夜の空気へ溶けるように消えていった。 「お前たちも、今日は大変だったな。ゆっくり休んでくれ」 「はい、ありがとうございます」  報告を終えた俺たちは、防災対策課を後にした。 ***  外へ出ると、辺りはすっかり暗くなっている。 「ふぅ……やっと終わったのか」  蒼太が大きく伸びをする。 「でも、久しぶりに四人で並んで戦えて、楽しかったよね」 「たしかにな!」 「でも、咲を巻き込みたくないけどね」 「橙真、何か言った?」 「いや。別に何も」 「そっか。じゃ、帰るか」 「ああ」 「うん」  俺たち三人は、静かに澄み渡る夜空を見上げながら、静まり返った夜の街を並んで歩き始めた――。

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