遥 / 第86話

86話 上空の戦い

 南東の空。  ラファエルの結界が張られているにもかかわらず、神社の上空は激しい暴風に支配されていた。  邪神体が巨大な翼をひとたび羽ばたかせるたび、無数の風が渦を巻き、森の木々を大きく揺らしていく。  舞い上がった大量の木の葉や枝が視界を遮り、前を見ることすら難しい状況だった。 「すごい風……!」  碧羽は猛烈な風に乗りながら、空中を滑るように飛んでいた。  そのすぐ隣を、純白の翼を美しく広げたサリエルが静かに並んで飛んでいる。 「焦らなくて大丈夫だよ。碧羽は回避に集中して。攻撃は私に任せて」 「はい!」  碧羽は力強く頷き、再び風へと身を預けた。  その瞬間――。  ゴォォォッ!!  巨大な風の刃が、一直線に襲い掛かる。  碧羽は咄嗟に風の流れを読み、身体を横へ滑らせた。  風の刃は紙一重で頬をかすめ、そのまま後方に広がる木々をまとめて切り裂いていく。 「……危なっ!」  邪神体は上空を旋回しながら、次々と鋭い暴風を放ってくる。  右、左、そして上。  休む間もなく襲い来る風の刃を、碧羽は必死に避け続けていた。  一方、サリエルは極めて冷静だった。  翼を大きく広げて一気に高度を上げると、空中で弓を構える。  一瞬の迷いもなく、矢を放った。  ヒュンッ!  放たれた矢は一直線に邪神体へ向かって飛んでいく。  しかし、邪神体は身体を激しく捻った。  自ら纏う風によって、矢の軌道をわずかに逸らす。  矢は翼の端を軽くかすめただけだった。  それでもサリエルは表情ひとつ変えない。  すぐさま二本目。  続いて三本目。  間髪入れず、次々と矢を放っていく。  連続する攻撃に邪神体の意識は奪われ、放たれる風の刃が自然とサリエルへ集中していった。  その隙に、碧羽は空中で素早く体勢を立て直す。 「ありがとうございます!」 「まだだよ。もっと引きつけるよ」  サリエルは短く応じると、さらに高度を上げた。  邪神体も負けじと空高く舞い上がっていく。  周囲の暴風が、さらに強くなった。 ***  戦場の中央、上空。  俺はラファエルに支えられながら、必死に二人の戦いを見つめていた。 「碧羽、何とか回避できている!」  隣で結界を維持し続けているラファエルが、静かに口を開く。 「結界の影響で風の猛威は抑えられているけど、この規模だといずれ結界の外へ溢れ出すかもしれない」  俺は真剣な表情で頷いた。 「早く決着をつけないと危ないってことか」 「そういうこと」  俺は再び、碧羽へ視線を向ける。  風は強い。  それでも、碧羽は逃げ続けているだけじゃない。  少しずつ、風の流れを掴んでいる。 ***  その頃、サリエルは再び凛とした動きで矢を放っていた。  邪神体は巨大な翼でそれを強引に弾き返す。  だが、その瞬間だった。  サリエルの視線がピタリと止まる。 「見えた」  小さく呟かれた言葉。  風を避けながら飛んでいた碧羽が叫んだ。 「サリエル! 何か見えたんですか!?」 「核を見つけたよ」  碧羽は目を凝らして敵を見つめる。  しかし、何も見えない。 「え、核ですか?」 「大丈夫。核の位置は胸の中央にある。私が隙を作るから、碧羽、あなたが撃って」  碧羽は深く頷いた。 「分かりました!」  サリエルは一気に高度を上げる。  邪神体も咆哮を上げ、その後を追うように急上昇した。  翼を限界まで広げる。  轟ッ――!  激しい暴風の渦が巻き起こり、サリエルへ襲い掛かった。  しかし、サリエルは翼を巧みに操り、風の隙間をすり抜けていく。  そのまま弓を引き絞った。  立て続けに放たれた複数の矢が邪神体へ迫る。  敵は風で軌道を逸らしながらも、意識を完全にサリエルへ向けていた。 「今だよ、碧羽!」  碧羽は空中で弓を構える。  だが――吹き荒れる強風が、身体を容赦なく押し流した。 「くっ!」  狙いが定まらない。  風が強すぎる。  このままでは、矢を狙った場所へ飛ばせない。  上空の中央から、俺はその苦戦する様子を見逃さなかった。 「碧羽!」  俺は右手へ意識を集中させ、深く前へ突き出す。 「届いてくれ!」  手のひらから生み出された温かい光が、碧羽へ向かって一直線に飛んでいく。  光が碧羽の身体を優しく包み込む。 「……っ」  風に流されていた身体が、瞬時に安定する。  碧羽は小さく息を吐いた。 「ありがとう、橙真!」  静かに弓の弦を引き絞る。  周囲の風が一本の矢へ急激に集まり始めた。  さらに青白い雷光が矢へ激しく絡みついていく。  バチバチッ――!  鋭い雷光が、暗い夜空を鮮やかに照らし出した。  その瞬間、サリエルが邪神体の正面へ素早く回り込む。 「こっち!」  再び放たれた矢を、邪神体が翼で防ごうとした。  だが――一瞬だけ、動きが止まる。 「碧羽!」 「はい!」  二人は同時に矢を放った。  二本の矢が夜空を閃光となって駆け抜ける。  サリエルの矢が邪神体の動きを封じる。  そして――碧羽の矢が、胸の中央を完璧に貫いた。  ――パキン!  甲高い乾いた音が響き渡る。  赤く輝く核が、砕け散った。  邪神体は苦しげな声を上げる間もなく、全身を光の粒子へ変えていく。  やがて、その姿は夜空へ溶けるように消えていった。 ***  しかし――巨大な暴風は、なおも空を荒々しく吹き荒れていた。  サリエルは翼を休めながら、碧羽を見つめる。 「敵は倒したけれど、風はまだ収まっていないね」  碧羽はゆっくりと弓を下ろした。 「……はい」  目の前を吹き抜けていく風を見つめる。  邪神体は消えた。  それでも、すでに生まれた風は簡単には消えてくれない。  碧羽は両手を静かに前へかざした。  深く息を吸い込み、周囲の風を集め始める。 「私に任せてください」  碧羽の風と、邪神体によって生まれた風がぶつかり合う。  荒れ狂っていた風の流れが、少しずつ変わっていく。  渦を巻いていた暴風は徐々に勢いを失い、神社の森を包んでいた激しい風が、穏やかな夜風へと変わっていった。  舞い上がっていた木の葉が、静かに地上へ舞い落ちていく。  サリエルは、その美しい光景を見つめて優しく微笑んだ。 「すごいね。風を鎮めることまでできるなんて」  碧羽は空を見上げたまま、小さく首を振る。 「前にも、やったことがあったので」 「そうなんだ。その時もこんな感じの風だったの?」 「いえ、今回のほうが強いです」 「そうなんだ。でも、風を収められるなんて、すごいよ」 「ありがとうございます」 ***  上空中央で二人の無事を確認した俺は、胸を撫で下ろし、安堵の息をついた。 「これで、二体目」  そして、俺の視線は南西の戦場へ向けられる。  咆哮が山の中に重く響き渡っていた。  残る戦場は、あと一つ。  蒼太とラグエルの戦いは――まだ終わっていなかった。

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