遥 / 第8話

08話 それぞれの時間

 帰りのホームルームの終わりを告げるチャイムが、校舎に響き渡る。  時刻は十六時を少し回ったところだ。  二年A組の教室。  周囲が騒がしくなる中、蒼太が椅子の背もたれに深く体を預け、大きく伸びをした。 「あー、やっと今日の学校終わったー!」 「今日はなんか長く感じたね」  隣の席の碧羽が、くすくすと笑う。  俺――橙真も筆箱をカバンに投げ込み、席を立った。 「そろそろ行くか」  斜めに差し込む西日が、廊下をオレンジ色に染めている。  階段を下りながら、蒼太がどこか感慨深げな口調で呟いた。 「咲と出会ってから、まだ二日しか経ってないんだよな」 「なんだか、もっと前から知り合いだったみたいだよね」 「この二日間、いろいろありすぎたからかな」  命がけの戦いに、咲の不思議な目の力。  あまりにも濃い時間を共有したせいか、時間の感覚までおかしくなっていた。  俺たちは、そのまま昇降口へと向かう。  昇降口では、咲が一人で待っていた。  俺たちに気づくと、少し慌てたように深く頭を下げる。 「みなさん、お疲れさまです!」 「待った?」 「いえ! 全然待ってないです!」  蒼太が楽しそうに笑いながら、靴を履き替える。 「それじゃあ、帰るか!」  傾きかけた太陽の光が、俺たちの影をアスファルトへ長く伸ばしていく。 ***  校門を抜け、少し歩いたところで、ふと後ろを見る。  咲が俺たちから二歩ほど後ろを、遠慮がちに歩いていた。  それに気づいた蒼太が振り返る。 「そんな後ろを歩かなくていいだろ」 「あ、はい……!」  咲が一歩前へ踏み出す。  碧羽がその隣に並び、優しく語りかけた。 「まだ緊張してるの?」 「はい、少し……。私、クラスでもまだ馴染めてなくて」 「あー、一年生の最初ってそんな感じだよな。俺も最初はそうだったし」 「蒼太先輩もですか?」 「意外か?」  咲は少し困ったように笑う。 「はい、すごく意外です」  その答えに、四人の間に明るい笑い声が広がった。  やがて、交差点に差し掛かり、蒼太が足を止める。 「俺はこっちだから。また明日な!」 「はい! さようなら、蒼太先輩!」  蒼太は片手を上げて去っていった。  しばらく、三人で歩く。  歩きながら、ふと咲が口を開いた。 「蒼太先輩って、昔からあんな感じなんですか?」 「うん。あいつは昔からずっと変わってないな」 「そうなんですね。みなさんは、どれくらいの付き合いなんですか?」 「俺と蒼太は幼馴染。それで、碧羽は中学からかな」 「そうだね。気づいたら、今も一緒にいるんだ」  咲は少し羨ましそうな眼差しで呟いた。 「なんか、いいですね。そういう関係」  土手へ続く道で、碧羽も立ち止まる。 「私はここで。後輩ができて嬉しい。困ったことがあったら何でも連絡してね。それじゃあ、また明日!」 「はい、碧羽先輩! また明日です!」  碧羽が去り、残されたのは俺と咲の二人だけになった。  咲が、ぽつりと呟く。 「なんだか不思議ですね。昨日まで知らなかったのに……今は、一緒に帰っているのが」 「そうだな」 「でも、すごく楽しかったです!」  夕風が吹き抜ける中、俺も小さく笑った。 「俺も楽しいよ」  分かれ道に着く。  俺たちは「また明日」と手を振り合い、それぞれの帰路についた。 ***  玄関の扉を開け、いつもの家の匂いに、ほっと胸を撫で下ろす。 「ただいまー!」 「おかえり。咲、今日の学校はどうだった?」  リビングから顔を出したお母さんに、私――咲は笑顔で答えた。 「楽しかったよ! それでね、親切な先輩たちができたの」  部屋に戻り、ベッドの上でスマホを見る。  画面には、昨日登録したばかりの三人の名前が並んでいる。  昨日までは、名前すら知らなかった人たち。  でも今は、この繋がりが、とても愛おしく感じられた。 (また明日……か)  私は画面を抱きしめるようにして、小さく微笑んだ。 ***  部屋の電気を消し、俺――蒼太はベッドでスマホを眺めていた。  適当に動画をスクロールしていく。  だが、あるサムネイルが目に入った瞬間、指がぴたりと止まった。 『澄み渡る青い海と、波の音』  画面の中で、どこまでも広がる青い海が、静かに波を打っている。  それを見た途端、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。 「……」  俺は反射的にその動画を閉じ、スマホをベッドへ放り投げた。  息がうまく吸えないような感覚。  天井の暗闇を、ただじっと見上げる。 「……やっぱり、まだ波の音はダメか」  昼間の明るい自分とは違う。  胸の奥にへばりついた、重い影。  かすれた呟きは、暗い部屋の中へ静かに消えていった。 ***  夕暮れから夜へ変わる土手。  誰もいない草むらに、私――碧羽は一人で思いきり寝転がった。  そして、夕暮れの空に向かって――。 「すうー……あーーーーーーっ!」  思いきり大声を張り上げる。  胸の奥に溜まっていたものが、すっと抜けていく。  私は一人で、クスクスと笑った。 「はぁ……濃い二日間だったなー」  怪物への恐怖。  咲を守らなきゃという重圧。  先輩としてしっかりしようと、ずっと張り詰めていた心が、ようやく少しだけ解けていく。  見上げた空には、星がいくつか輝いていた。 「そろそろ帰ろっと」 ***  静かな自分の部屋で、俺――橙真はベッドの端に腰掛け、イヤホン越しに、静かな夜の気配を感じていた。  窓の外を見ると、遠くの街の明かりが静かに輝いている。  咲との出会い。  彼女の目に見えた、謎の『赤く光る核』。  あの怪物が何だったのか。  これから何が起こるのか。  まだ、何も分からない。  だが――不思議と、以前のような孤独感はなかった。  もう、俺一人で抱え込む必要はない。  頼れる仲間たちがいるからだ。  俺は夜の街を見つめながら、静かに呟いた。 「……『また明日』か」  同じ夜。  同じ街。  それぞれの思いを抱えながら、物語は、ここから静かに動き始める。

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