遥 / 第77話

77話 1人で防災対策課へ

 咲と別れた後、俺――橙真は防災対策課へと向かって足を進めていた。  街並みには、傾き始めた陽の光が長く伸びている。  夕暮れにはまだ少し早い時間帯だが、肌を撫でる風には、どことなく初秋の気配が混ざり始めていた。  夏休みが明けたばかりだというのに、俺の日常は以前とは少し違っている。  身体に残る傷。  月影さんが遺した情報。  そして、ガブリエルという天使との繋がり。  学校では、何も知らないクラスメイトたちがいつも通りの日常を過ごしている。  その一方で、俺たちの周囲では、世界の裏側にある何かが少しずつ姿を現し始めていた。  住宅街を抜けると、防災対策課の建物が視界に入ってくる。 ***  ――シューッ。  ガラス扉が開いた。  一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空調の空気と、ピンと張り詰めた静寂が俺を迎えた。 「橙真くん」  エントランスへ足を進めると、受付付近で待っていた聞き慣れた優しい声が静かに響く。  花江さんだった。  俺の姿をしっかりと視界に収めると、ほっとしたように胸元にそっと手を添える。 「お疲れさまです、花江さん」 「お疲れさまです、橙真くん。風宮さんが待っていますよ。会議室まで行きましょうか」 「はい」 ***  俺と花江さんは並んで廊下を歩き始めた。 「橙真くん、体調はもう大丈夫ですか?」 「はい……まだ少し痛みはありますけど、動けるくらいには回復しました」  静まり返った廊下に、二人の足音だけがカツカツと規則正しく響く。  壁に反射する足音を聞きながら、しばらく無言で歩いたところで、俺は道中ずっと抱いていた疑問を確かめるため、ゆっくりと口を開いた。 「今日は、俺だけの招集なんですね」 「はい、そうなんですよ。風宮さんが、橙真くんだけに来てもらいたいって」 「……俺だけか」  なぜ蒼太や碧羽を呼ばず、俺一人なのか。  思考を巡らせる。  そして、一つだけ思い当たることが頭に浮かんだ。 「……ガブリエル」  その名前を口にすると、花江さんは察したように優しく微笑んだ。 「私も、たぶんそのことじゃないかなって思っています」 「やっぱり、そうなのか」  胸の中で深く納得した。  いかにも風宮さんらしい、合理的で無駄のない判断だ。  今、あの天使と直接言葉を交わすことができるのは、この防災対策課において俺一人しかいない。  ならば、俺だけが呼ばれるのも当然だった。  それでも、これからガブリエルを防災対策課の人間たちに引き合わせることには、わずかな不安があった。  あの天使が敵ではないことは、あの戦いから俺自身が一番感じている。  だが、それを証明するだけの材料があるわけではない。  これから何が起きるのか。  俺にも、まだ分からなかった。 ***  やがて、会議室の前へと到着する。  花江さんが一度深く呼吸を整え、コンコンコンコンと控えめに扉をノックした。 「失礼します」  花江さんが扉をゆっくりと開く。  静まり返った広い会議室の中には、風宮さんと情報通信管理室の職員が、神妙な面持ちで静かに待っていた。 「来たか」 「お待たせしました」  俺は促されるまま、指定された席へ静かに腰を下ろした。  情報通信管理室の職員が手元の資料を机の上へ素早く広げ、慣れた手つきでパソコンを操作する。 「月影さんのUSBの解析ですが、現在判明している情報を改めて報告いたします」  壁面の大型モニターへ、整理された資料が映し出されていく。 『鳥山 宗一郎』 『シエリオ・トグレイ』 『巫女』 『扉と鍵』 「神門教については、今も水面下で活動を続けています。シエリオ・トグレイが教団の頂点に君臨している事実も確認できました。鳥山総括官との接点も複数確認されています」  職員が淡々と説明を続ける。 「巫女については高度な暗号により、現在も解析を継続中です。そして『扉と鍵』については、決定的な情報はまだ見つかっていません」  話を聞き終えた風宮さんが深く腕を組み、深いため息を吐く。 「ここまでは昨日とほぼ同じだ」  風宮さんの視線が、俺へ向けられる。 「問題は……日向。お前だけをここに呼んだ理由は分かるな」 「はい。ガブリエルですよね」 「ああ、その通りだ」  風宮さんは真剣な表情で続ける。 「今、あの天使と直接つながっているのはお前だけだからな。現状、USBの解析情報だけでは決定的な手がかりが足りない」  そして、ゆっくりと俺を見据えた。 「ガブリエルが何を知っているのか。直接話を聞きたい」 「……分かりました。呼んでみます」  そう言葉を発した瞬間、会議室内の空気が一気に張り詰めた。  本当に呼ぶのか。  一瞬だけ、そんな迷いが胸をよぎる。  だが、月影さんが命を懸けて残した情報の先に、ガブリエルが知る真実があるのなら――確かめるしかない。  俺は椅子の上で背筋をまっすぐに伸ばし、ゆっくりと両目を閉じる。  胸の奥深くへ意識を集中させる。  頭の中に、ガブリエルの姿を思い浮かべる。  そして、あの美しい白い光を強く思い浮かべた。 (ガブリエル……聞こえるなら、来てくれ!!)  祈るように心の中で強く念じた。  次の瞬間――何もなかったはずの無機質な会議室の中に、小さな白い光の粒子が、一つ、ぽつりと舞い降りた。  そして――二つ、三つ。  光の粒子は瞬く間にその数を増やしていく。  やがて、幻想的な輝きを放ちながら、会議室全体へ静かに、けれど確実に広がり始めた。 「……!」  誰一人として言葉を発しない。  風宮さんも、花江さんも、職員も息を呑み、ただ目の前の圧倒的な光景を見つめ続けている。  白い光が、次第に一つの人影を形作っていく。  大きな翼。  そして、その背中に背負われた巨大な大剣。  俺はゆっくりと目を開いた。 「……来てくれたのかな」  白い光の中心で、人影がゆっくりと姿を成していく。  その姿が、少しずつ鮮明になっていった――。

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