遥 / 第91話

91話 俺の覚悟

 神社の境内。  無惨に崩れた石畳の上に、碧羽と蒼太が倒れていた。  二人とも身じろぎ一つせず、呼吸すらかすかなものになっている。  この戦場に立ち続けているのは、もう俺――橙真だけだった。  目の前の邪神体は、青白い荒々しい雷を全身にバチバチとまとわせたまま、静かに俺を見据えている。  三つの異形の顔に浮かぶ赤い瞳には、獲物を完全に追い詰めたという絶対的な余裕が、不気味に宿っていた。 「……くそっ」  焦りを押し殺しながら、俺は制服のポケットからスマホを取り出す。  画面には『風宮さん』の文字。  迷うことなく、発信ボタンを強く押した。 「風宮さん――!」 『日向、どうした? なにかあったのか?』 「実は――」  助けを求めようとした、その瞬間だった。  ゴォォォォォン!!  頭上で大気を激しく引き裂く、耳を突き破るほどの凄まじい雷鳴が響き渡る。  俺は反射的に空を見上げた。 「っ!?」  暗雲を突き破り、一筋の極太の雷が真っ直ぐ俺へ向かって落ちてきた。  ズドォォォォン!!  俺は即座に地面を蹴り、横へ大きく飛び退く。  直撃こそ免れたものの、回避した瞬間、スマホが手から離れた。  ガシャンッ!!  石畳へ叩き付けられたスマホは、画面全体に網目状のひびが走り、そのまま黒い画面を残して沈黙した。  一瞬だけ、俺はスマホへ視線を落とす。  だが、拾いに行く猶予など微塵も残されていなかった。  邪神体が上空で、ゆっくりと巨大な黒い翼を広げる。  全身を走る青白い高圧の雷が、さらに勢いを増し、荒々しく火花を弾けさせていた。  俺は地面に横たわる二人を見る。 「蒼太……碧羽……」  二人ともピクリとも動かない。  このままでは、二人だけでなく、全員ここで命を落とす。  助けを呼ぶこともできない。  この圧倒的な暴威を前に、俺に残された選択肢は、もう一つしかなかった。  俺は静かに目を閉じる。 「この邪神体は……俺に任せろ」 ***  右耳へそっと手を伸ばし、イヤホンを静かに外した。  ――カチッ。  その音が鳴った瞬間、周囲の世界から一切の音が消え去った。  邪神体の威嚇する咆哮も。  激しく荒れ狂う雷の打撃音も。  風の音すらも。  すべての音が、完全に消え去る。  次の瞬間。  轟ッ!!  俺の全身から、凄まじい密度の紅蓮の炎が一気に噴き上がった。  周囲の空気すら一瞬で焼き尽くすほどの熱風が、境内全体を猛烈に吹き抜ける。  周りの大木が激しく揺れ動き、石畳には蜘蛛の巣状の深い亀裂がバリバリと走った。  あまりの熱量と異様な圧迫感に、襲い掛かろうとしていた邪神体も思わず動きを止める。  炎はなおも勢いを増し、俺の全身を深紅の輝きで染め上げていく。  俺はゆっくりと顔を上げた。  直後、俺の姿が紅蓮の炎の中から音もなく消えた。 「ギャッ!?」  邪神体が異変に気付いた時には、すべてが遅かった。  俺は邪神体の懐へ潜り込んでいた。  驚きの声を上げる隙すら与えない。  炎を纏った拳を、猿の顔面へ容赦なく叩き込む。  ドォォンッ!!  境内に激しい破砕音が轟いた。  猿の顔が大きく後ろへ弾かれる。  額で赤く輝いていた核に、鋭い亀裂が走った。  だが、俺は攻撃の手を緩めない。  次の瞬間には、凄まじい速度で身体をひねり、虎の顔の側面へ回り込んだ。  邪神体が焦って太い前脚を振り払ってくる。  鋭い爪が空を切る。  すでに俺は、虎の顔の目前にいた。  炎を極限まで圧縮した拳が、容赦なく振り抜かれる。  虎の顔に深く埋め込まれていた核にも、亀裂が走った。  邪神体が絶叫するような咆哮を上げる。 「ギャアアアァァァッ!!」  巨体を大きくのたうち回らせ、無差別に雷を放って必死に抵抗する。  しかし、今の俺には届かなかった。  最後に残された蛇の頭が大きく顎を開き、襲い掛かってくる。  鋭利な毒牙が目前まで迫った。  俺は静かに右手を構える。  爆発的な炎が、一瞬で拳へと集約されていく。 「……」  次の瞬間、解き放たれた拳が、蛇の頭を真正面から貫いた。  ドゴォォォンッ!!  蛇の赤い核に、深い亀裂が走る。  直後、俺は邪神体よりもはるか上空へと跳んでいた。  右手に、これまでで最大級の炎を集める。  そして――一気に、解き放った。  轟ッ!!  境内すべてを灼き尽くすほどの炎が邪神体を飲み込み、三つの核を同時に砕く。  すべてを燃やし尽くした、その直後だった。  邪神体の身体から、高圧の雷が一斉に暴走を始める。  バチバチバチッ!!  青白い雷光が空へと解き放たれ、異形の巨体は次々と光の粒子へ変わり、崩壊していった。 ***  雷が絶えると、神社の上空を重く覆っていた真っ黒な雷雲が、ゆっくりと晴れていった。  静かに境内中央の地面へ着地し、俺は拳を下げる。  そのまま、倒れている蒼太と碧羽の方へ向かった。  戦いが終わったというのに、身体からはなおも異様な威圧感が滲み出ている。  俺は二人の前で静かに立ち止まり、その姿を見下ろし、また中央へ戻っていった。  少し離れた場所では、砕け散ったスマホが石畳の上で虚しく黒い画面を見せて転がっていた。  静寂の中。  俺は動かない二人を、ただ見つめ続けていた――。

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