遥 / 第90話

90話 雷鳴の獣

 神社の境内。  俺――橙真、蒼太、碧羽の三人と、目の前に立ちはだかる邪神体は、互いに激しく睨み合っていた。  空を覆い尽くす雷雲が、地鳴りのように低く恐ろしく唸り続けている。  ゴロゴロ……グラグラッ……!  その張り詰めた静寂を破ったのは、目の前でうごめく邪神体だった。 「ギャアアアァァァッ!!」  耳を突き破るような鋭い咆哮が、山全体へ恐ろしい勢いで響き渡る。  邪神体は同時に巨大な黒い翼を大きく広げ、一気に上空へ舞い上がった。  圧倒的な威圧感を前に、俺は声を張り上げる。 「来るぞ!」  次の瞬間、邪神体の咆哮に呼応するかのように、黒雲を突いて巨大な雷が俺たち目掛けて一直線に落ちてきた。  ズドォォォン!!  三人は瞬時にそれぞれ左右へ大きく飛び退き、間一髪で直撃を回避する。  しかし、一撃を避けただけでは終わらなかった。  二本、三本――。  次々と青白い太い雷が、雨のように降り注いでくる。  着弾の衝撃で神社の石畳や地面が次々と爆ぜ、黒い土煙と火花が激しく舞い上がった。  迫る落雷の嵐に、蒼太が歯を食いしばる。 「っ……こんなに雷が降ってきたら、近づけない!」  碧羽は舞い散る土煙の合間から、強い眼差しで上空を見上げた。  激しく渦巻く雷雲の中を、巨大な邪神体が自由自在に飛び回っている。  邪神体の姿を捉えた碧羽は、迷うことなく弓を構え直した。 「私が空から攻撃する!」  風が一気に碧羽の足元へ集まっていく。  碧羽は風を纏いながら、一気に空中へ駆け上がった。  地上から俺が叫ぶ。 「碧羽! 無茶するなよ!」  しかし、碧羽は振り返らなかった。  空を駆け抜けながら、構えた風の矢へ自身の雷の力を纏わせる。  バチバチバチッ――!  青白い雷光が矢全体を激しく包み込んでいった。 「お願い、当たって!」  弓を限界まで引き絞り、狙いを定めて弦を離す。  ヒュンッ!!  雷光を纏った一筋の矢が、空を鋭く切り裂きながら飛んでいった。  しかし――邪神体は巨大な翼を、わずかに羽ばたかせた。  それだけで強力な風圧が生じ、矢はあっさりと弾き飛ばされた。 「えっ」  碧羽が目を見開いた、その一瞬だった。  邪神体が音もなく、異常な速度で距離を詰め、碧羽の目の前へ迫った。 「速っ――」  言葉を言い終えるより速く、凶悪な鉤爪が碧羽の身体を掴み上げた。 「きゃっ!?」  そのまま碧羽を掴み、さらに上空へと持ち上げていく。  逃れようともがく碧羽だったが、岩をも握り潰すような力の前には微動だにしない。  それどころか、邪神体は背中に生えている尻尾で碧羽の首元を強く締め上げる。 「……っ」  気道を塞がれ、碧羽の顔色がみるみる青ざめていく。 「はぁっ……はぁっ」  必死に息を吸おうとするが、空気が肺へ入ってこない。  握り締めていた弓が手から滑り落ち、遥か下方の境内へ落下していった。 「碧羽――っ!」  地上から俺の叫び声が響く。  次の瞬間、邪神体は用済みとばかりに、意識を失いかけた碧羽を真下へ投げ捨てた。  碧羽は無防備なまま、猛烈な勢いで地面へ向かって落下していく。 「嘘だろ……」  俺は即座に両手を前へ突き出した。  手のひらから炎が一気に広がり、落下地点に巨大な炎のクッションを形成する。  ドサッ!!  碧羽の身体は炎のクッションに受け止められ、そのまま地面へ静かに横たわった。  俺はすぐさま彼女の元へ駆け寄る。 「碧羽! 碧羽っ!」  肩へ手を添える。  微かな呼吸はある。  しかし、その目を開くことはなかった。 「……気絶してる!」  安堵する暇などなかった。  頭上から再び、落雷の凄まじい轟音が響く。  ゴロゴロゴロ……ズガガッ!!  俺が咄嗟に顔を上げる。  上空の邪神体は翼を大きく羽ばたかせ、そのまま地上にいる蒼太へ猛烈な勢いで急降下を開始した。 「蒼太! 来るぞ!」  蒼太はすぐさま両手を前へ突き出す。 「凍れ!」  地面から大量の分厚い氷が凄まじい勢いでせり上がり、頭上を覆い隠す巨大な氷の壁が形成された。  その直後だった。  ズドォォォン!!  空から放たれた極太の雷が、氷の壁へ正面から直撃した。  激しい衝撃波で、境内全体が揺れ動く。  しかし、邪神体の雷撃はこれで終わらない。  二本、三本、四本――。  次々と高圧の雷が氷の壁へ落ち続けていく。  俺は蒼太の負担を減らすため、すぐに炎を放った。 「蒼太、耐えてくれ!」  燃え上がる炎が半球状に広がり、蒼太を包み込む炎のドームを作り上げる。  蒼太は顔を歪め、歯を食いしばりながら必死に氷の壁を維持し続けた。 「っ、これくらい……耐え切ってみせる」  だが、直撃する雷が増えるたび、氷全体へ青白い電流が走り始めた。  バチッ――!  バチバチバチッ!!  氷を伝った高圧の電流が、氷の壁を維持していた蒼太の身体へ直接流れ込んでいく。 「ぐあぁぁぁっ!!」  蒼太の全身が凄まじい電流に打たれ、激しく痙攣する。  それでも膝を折れそうになる身体を踏みとどまらせ、氷の壁を維持し続けた。 「まだだ、こんなところで終われるか」  だが、最後の一本――これまでで最も巨大な紫紺の雷が、夜空を激しく引き裂いた。  ズガァァァァン!!  凄まじい轟音とともに、巨大な雷が限界の氷の壁へ直撃する。  耐え切れなくなった氷の壁は、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。  同時に、溢れ出した強烈な放電の束が蒼太の全身を容赦なく貫く。 「っ――!!」  蒼太は声にならない悲鳴を絞り出すと、糸が切れたようにその場へ崩れ落ちた。 「蒼太っ!!」  俺は駆け寄り、すぐさま身体を抱き起こす。  荒い呼吸はある。  だが、完全に意識を失い、問いかけに反応することはない。  俺はゆっくりと立ち上がった。  視線の先にたたずむのは、全身に不気味な高圧の雷をまとった巨体の邪神体。  そして足元には、傷つき、意識を失った碧羽と蒼太。  三人で始まった戦いは、いつの間にか俺ひとりになっていた。  邪神体は勝ち誇るように、上空でゆっくりと黒い翼を広げる。  その全身を絶え間なく走る青白い雷の火花が、暗闇に包まれた神社の境内を不気味に照らし出していた。  赤い瞳が、境内にただ一人残された俺だけをまっすぐに射抜いている。  俺もまた、その鋭い視線を逸らすことなく、静かに邪神体を見つめ返した。  上空の夜空に、再び雷鳴が轟く。  ゴロゴロゴロ……。  誰も動かない。  神社を冷たく包む空気だけが、極限まで固く張り詰めていく。  俺は両手の拳を、血が滲むほど強く握り締めた。  その瞳から、いつもの迷いも甘さも完全に消え去っていた。  静かな決意と覚悟だけが、深く宿っている。 「……俺がやる」  その静かな声だけが、誰もいない境内に響いた――。

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