遥 / 第142話

99話 巫女登場

 巨大なご神木の前。  俺たちと巫女は、一定の距離を保ったまま向かい合っていた。  誰も口を開かない。  静寂だけが、林の中を満たしている。  突然現れた巫女。  そして、その巫女は自らを「この扉の守り人」だと言った。  目の前にある扉が、一体何なのか。  なぜ、こんな場所にひっそりと存在しているのか。  頭の中は、次々と浮かぶ疑問で埋め尽くされていた。  風宮さんが鋭く警戒した様子で、巫女をじっと見つめる。 「あなたは、この扉について何を知っているのですか?」  巫女はすぐには答えなかった。  深く、重い息を一つ吐き出し、ゆっくりと扉へ視線を向ける。 「……長い間、ここを守ってきました」  その声には、どこか遠い昔を懐かしむような響きがあった。 「なら、少し話を聞かせてもらえますか?」  風宮さんの問いかけに、巫女は俺たちを順番に見渡した。 「はい。少し、お話をしましょう」  そう言って、一歩、こちらへ踏み出した。  その瞬間、俺――橙真は反射的に右手を上に挙げる。 「……待ってください」  手のひらから、炎が噴き上がった。  赤い炎が走り、俺たちと巫女をぐるりと囲むように広がっていく。  やがて炎は勢いを増して高く伸び、俺たちを囲む巨大なドーム状の炎の壁となった。 「日向?」  風宮さんがこちらを振り返る。 「念のためです」  俺は視線を外さず、巫女の動きを凝視する。 「何かあったとき、すぐ動けるようにした方がいいと思ったので」  巫女は、周囲を赤く染める炎の壁を見回した。  だが、驚く様子はない。  表情も変わらなかった。 「……警戒されているのですね」 「いきなり現れて、信用するほうがおかしいです」  俺の横へすっと並び、蒼太が低い声で答える。 「たしかに、いきなり扉の守り人なんて言われても、信じられないな」  巫女は静かに頷いた。 「そうですよね」  そして再び、大木の根に抱かれた扉へ視線を戻す。 「では、私がなぜ守り人と言ったのか、お話ししましょう」  誰もが言葉を呑み、静かに耳を傾けた。 「私が守る扉の先には、神々がおられるのです」 「……神々ですか?」  碧羽が信じられないといった様子で呟く。  巫女は静かに頷いた。 「はい、そうですよ」 「じゃあ……この扉の向こうで、神々は暮らしているんですか?」  俺の問いに、巫女の声が少し低くなる。 「正確には、神々が囚われています」 「囚われている?」 「はい」  巫女は真摯な瞳で答えた。 「この先は、こちらの世界とは時間の流れが大きく異なります」 「時間の流れが?」 「こちらの世界よりも、はるかに遅いのです」  俺は思わず、根に埋もれた扉を見つめ直した。 「神々は、その途方もなく遅い時間の中に囚われています」  誰も言葉を返すことができなかった。  風宮さんが慎重に問いを重ねる。 「なぜ、そんな場所に囚われている?」 「それは……お話しすることができません」  巫女はそう答え、扉へ愛おしそうに手を伸ばしかけた。  だが、決して触れることはなかった。  俺はふと、胸の奥に浮かんだ疑問を口にする。 「じゃあ、この扉は……天使たちが作ったものなんですか?」  巫女の手がピタリと止まった。  ゆっくりとこちらを振り返る。  その表情が、ほんの少しだけ揺れていた。 「……天使ですか」  巫女は小さく呟く。  そして、再び扉へ深く視線を注いだ。 「天使と、会ったことがあるのですか?」 「ああ、何回か」 「そうですか。では、話してもいいかもしれませんね」  その言葉に、周囲の空気が張り詰めた。  俺たちは黙り込み、その先に続く言葉を待つ。  巫女はしばらく扉を見つめた後、静かに口を開いた。 「この扉ができたときには……」 ***  ――その瞬間、俺たちの意識は、現在の林から一気に遠い過去の景色へと引き込まれていった。  世界が、今とはまったく異なっていた遠い時代。  神々と人間と天使が、当たり前のように同じ地上で暮らしていた時代。  神々は世界各地に散らばり、それぞれの土地で暮らす人々を見守っていた。  そして、広大な世界の神々を繋いでいたのが、天使たちだった。  天使たちは世界の秩序と均衡を守りながら、各地の神々のもとへ赴く。  神から別の神へ言葉を伝える使者となり、時には神々の間を取り持ち、人間と神々の橋渡しとなった。  それが、当時の天使たちに与えられた大切な役割だったのだ。  ――そして、その長い旅は、現代で言うギリシャの地から始まった。 ***  突き抜けるような青い空の下。  巨大な白亜の神殿が建ち並ぶ土地を、一人の天使が歩いていた。  大きな白い翼を広げ、悠然と地上へ舞い降りる。  その神聖な姿を見た人々は、驚きと感嘆の声を上げ、道を空けていった。 「久しぶりだね」  天使は親しげに声をかけ、神殿の奥へと足を進める。  そこに待っていたのは、一人の男だった。  鋭い雷を思わせる、力強い気配。  そして、圧倒的な威厳。  ギリシャの神々を束ねる存在――ゼウス。 「来たか」  ゼウスがゆっくりと振り返る。 「はい。報告に参りました」  天使は静かに頭を下げた。 「各地の神々から、いくつか伝言が届いています」 「そうか」  ゼウスは重厚な椅子から立ち上がる。 「世界は今日も、忙しいらしいな」 「神々が各地に分かれている以上、仕方はありません」  天使が困ったように微笑む。  そのとき、神殿の奥から足音とともに別の声が響いた。 「ゼウス、また天使に仕事を押し付けているのか?」  姿を現したのは、プロメテウスだった。  ゼウスが豪快に笑う。 「彼らが自分からやっているのだ」 「……そうなんですか」  プロメテウスは天使へ視線を向けた。 「はい。それが私たちの仕事なので」 「ゼウス様に押し付けられているわけじゃなくてよかったです。それで、次はどこへ向かうのですか?」  天使は迷いなく答える。 「次は、東の国へ向かいます」  ゼウスは小さく頷いた。 「ならば気をつけて行くがいい」 「ありがとうございます」  天使は神殿をあとにし、広大な空を見上げた。  世界は広い。  ギリシャから東へ。  そこには、まだ見ぬ多くの神々が待っている。  そして、その神々のもとへ言葉を届けることこそが、自分たちの使命だった。  こうして、神々と天使たちの長い旅が始まった。  ――このときはまだ、誰も知らなかった。  この旅の先に待ち受ける出来事が、やがて世界そのものを激変させることになるとは――。

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