遥 / 第143話

100話 旅の始まり

 ギリシャの神殿。  外へ出た私――ミカエルは、しばらく、静かに空を見上げていた。  先ほどまで神殿の中で、ゼウスとプロメテウスと話をしていた。  神々は一か所にとどまらず、世界各地のさまざまな土地に散らばって暮らしている。  だからこそ、私たち天使がそれぞれの場所へ赴き、神々の様子や、その土地の状況を確認する必要があった。 「……さてと」  小さく呟き、私はもう一度、空へ視線を向けた。  澄み渡った青空が、どこまでも果てしなく広がっている。  そのときだった。 「ミカエル」  聞き慣れた穏やかな声が、隣から聞こえた。  振り返ると、ガブリエルがこちらへ向かって静かに歩いてきていた。 「あ、ガブリエル」 「話は終わったのか?」 「うん。ゼウスたちと、話をしてきたよ」  私は小さく笑みを浮かべた。 「これから、みんなを集めて伝えないとね」 「そうだな」  ガブリエルは私の隣に並んで立ち、同じように眩しそうに空を見上げた。 「今回は、今まで以上に広い範囲に分かれて向かうことになりそうだな」 「うん。神々は世界中に散らばっているからね」 「私たちだけで、そのすべてを直接見て回るのは難しいからな」 「だから、みんなの力を借りて、お願いするんだよ」  そう言って、私はガブリエルへ向けて笑いかけた。 「きっと大丈夫」 「……そうだな」  ガブリエルも、その言葉に安心したように静かに頷いた。  そのとき、後ろの石畳を踏む足音が聞こえてくる。 「二人とも、ここにいたんだね」  振り返ると、そこには優しげな眼差しを浮かべたラファエルが立っていた。 「ラファエル!」 「話は聞こえたよ。これから世界各地へ向かうんでしょう?」 「うん」  私は力強く頷く。 「ラファエルには北の方角をお願いしたいんだ」 「北?」 「そう、北欧方面。スカディのところへ向かってほしい」 「分かった」  ラファエルは穏やかに微笑みながら、快諾してくれた。 「誰と一緒に向かうの?」 「うーん……ウリエルかな」 「それなら安心だね」  ラファエルがそう言った直後、今度は別の方向から凛とした声が響いた。 「お待たせしました」  振り返ると、ウリエルがしっかりとした足取りでこちらへ歩いてくる。 「ウリエル」 「話が聞こえたんですけど、これから北へ向かうんですね」 「うん。頼める?」 「もちろんです」  ウリエルが迷いなく頷く。  少しずつ、私たちの周りに仲間である天使たちが集まり始めていた。  ラグエルにサリエル。  そして、まだ顔と名前を覚えきれていない多くの天使たち。  背中に生えた翼の形も、大きさも、それぞれに違っている。 「みんな、集まってくれてありがとう」  私はゆっくりと周囲を見渡した。  気がつけば、広大な神殿の外には、数え切れないほどの天使たちが集まっていた。  これだけの心強い仲間がいる。  それだけで、胸の奥に不思議と温かな勇気が湧き上がってくるのを感じた。 「それじゃあ、みんなに少しだけ話をするね」  私が一歩前へ出ると、ざわめきがすっと収まった。  集まった無数の天使たちの視線が、一斉にこちらへ注がれる。 「みんなもすでに知っている通り、神々は世界中のさまざまな場所に散らばって暮らしている」  天使たちは静かに耳を傾けてくれた。 「だから、私たちも手分けして、それぞれの場所へ向かい、神々の様子を確認してほしいんだ」  私は一人ひとりの顔を慈しむように見渡していく。 「神々から別の神々へ伝えたい言葉があれば、それを確実に届ける。人間たちとの関係に、何か歪みや変化がないかも確認する。そして何より、世界の均衡に何か異常がないかも見守ってほしい」  少し間を置き、表情を引き締めた。 「もし何か異変があったら、必ず教えてね」 「はい」  元気な声が、何人もの天使から返ってくる。  私は嬉しくなって、自然と笑みをこぼした。 「ありがとう」  私は周囲を見渡しながら、それぞれの持ち場と担当を確認していく。 「ラファエル、ウリエル」 「はい」 「さっきも言ったけれど、北欧方面をお願いね。スカディのところへ」 「分かりました」  ラファエルが答え、ウリエルも頼もしく頷く。 「ラグエル、サリエル」 「ああ」 「インド方面をお願いしたい。インドラのところを任せてもいい?」 「任せろ」 「はい、了解です」  二人が、それぞれ力強く返事をする。  私は続けて、周囲にいる別の天使たちにも次々と指示を出していった。  世界各地の未知なる土地へ向かう天使たち。  それぞれの神々を訪ね、言葉を交わすために。  そして最後に、私は隣に立つガブリエルとカマエルへ視線を向けた。 「ガブリエル、カマエル」 「うん」 「はい」 「私たちは、日本へ」  二人が深く頷く。 「日本の神々のところへ行って、現状をしっかり確認しよう」 「分かった」 「了解です!」  私は集まってくれた天使たちを、もう一度見渡した。  これから、それぞれ遠く離れた別の場所へ旅立っていく。  しばらく会えなくなる仲間も、多くいるだろう。  それでも――私たちは、同じ空の下で繋がっている。 「それじゃあ、みんな」  私は太陽のような明るい笑顔を浮かべた。 「気をつけて行ってきてね」  次の瞬間、視界を埋め尽くすほどの無数の翼が、一斉に大きく広がった。  真っ白な翼。  大きな翼。  小さな翼。  たくさんの天使たちが、一陣の風のように、次々と大空へ舞い上がっていく。  冷たい風の吹く北へ向かう者たち。  眩しい日差しが降り注ぐ東へ向かう者たち。  広大な海が広がる西へ向かう者たち。  それぞれが、自分たちに託された、それぞれの目的地を目指して羽ばたいていく。  その神秘的で美しい光景を、私は胸を熱くさせながら、しばらく見つめていた。 「……よし、私たちも、行こうか」  隣に立つガブリエルへ声をかける。 「ああ」  カマエルも、決意を込めて頷いた。 「はい」  私たち三人も、大きな翼を広げる。  目指すのは――東の果て、日本。  世界のどこかで私たちを待っている神々のもとへ。  眩しい青空へ向かって、私たちは力強く飛び立った。  こうして、世界を巡る天使たちの長い旅が始まったのだった――。

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