遥 / 第89話

89話 再び神社へ

 二日後の水曜日。  神社での死闘を終えた俺たちは、いつもの平和な学校生活に戻っていた。  放課後。  帰りのホームルームが終わると同時に、教室の生徒たちはそれぞれ部活動や帰宅の準備を始める。  がやがやとした喧騒の中、俺――橙真もかばんを持って席から立ち上がった。 「行くか」  隣で蒼太もかばんを肩へ掛ける。 「ああ、今日は特訓の日だな」  碧羽もかばんを引き寄せながら、小さく微笑んだ。 「本当に特訓だといいんだけどね」  俺は肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。 「たしかに……特訓だといいな」  そんな他愛もない会話を交わしながら、俺たち三人は教室を出て校舎を歩き始めた。  橙色に染まる夕日に照らされた廊下はどこまでも穏やかで、ほんの二日前に、あの恐ろしい戦いをしていたことなど嘘のようだった。  昇降口で靴を履き替え、いつも通り校門を出る。 ***  蒼太がふと足を止め、眩しそうに空を見上げた。 「今日は晴れてるな」  碧羽も並んで空を見上げる。 「うん、そうだね」  俺も空を見やりながら、静かに笑った。 「たしかに。特訓日和だな」  三人の間に、和やかな笑い声が広がる。  だが――その平穏な時間は、一瞬にして打ち破られた。  ――ブルルルルッ!  制服のポケットの中で、俺のスマホが激しく震え出す。  画面に目を落とすと、そこには『花江さん』の文字が浮かび上がっていた。  嫌な予感を胸に抱きながら、俺はすぐに通話ボタンを押し、スピーカーモードへ切り替える。 「こちら、日向橙真です」  電話の向こうから聞こえてきた花江さんの声は、いつもの冷静さを欠き、切迫した焦りを帯びていた。 『橙真君、緊急事態です!』  その一言で、俺たちの表情から笑みが消える。 『二日前と同じ神社付近で、新たな邪神体反応を確認しました! 至急、現場へ向かってください!』 「分かりました、すぐ向かいます!」  通話を切ると同時に、横で聞いていた蒼太が口を開く。 「やっぱり……特訓じゃなくて、任務になったか」 「うん、やっぱりこうなるか」  俺は静かに、しかし力強く頷いた。 「場所は前と同じ神社だって」  碧羽もすぐに顔を引き締め、凛とした表情になる。 「また神社に……」  俺は二人の顔を見回した。 「行くぞ!」 「ああ!」 「うん!」  三人は夕暮れの街を一斉に駆け出した。  本来向かうはずだった防災対策課への道は、そのまま神社へとまっすぐ進路を変える。  道を急ぐ中、夕日が少しずつ山の向こうへ沈み始めていた。 ***  現場へ近づくにつれ、周囲の空気と空が、明らかに異様な変化を見せ始めていた。  さっきまで綺麗な夕焼けに染まっていたはずの空は、重く不気味な黒い雲に瞬く間に覆われていく。  神社の上空だけが、夕暮れとは思えないほど異様な暗闇に包まれていた。  ゴロゴロ……グラグラッ……!  地鳴りのような低い雷鳴が、大地を揺らすように深く響き渡った。  蒼太は走りながら、思わず空を見上げる。 「何だ……この禍々しい雷雲は……!」  碧羽も走る足を緩めることなく、眉をひそめた。 「普通じゃない。自然の嵐なんかじゃないよ!」  その次の瞬間だった。  ――ピシャァァァンッ!!  眩い閃光とともに、巨木ほどの太さをした雷が神社の境内へ激しく落ちた。  耳を突くような凄まじい轟音が辺りに反響する。  俺は速度を落とすことなく、前だけを強く見据えた。 「急ぐぞ! もう近くまで来てる!」 ***  三人はさらに速度を上げる。  やがて、見慣れた神社の鳥居が目の前に見えてきた。  鳥居をくぐり、境内へ足を踏み入れた瞬間、俺たちは同時に足を止めた。  目の前に広がっていたのは、異様なほど静まり返った境内だった。  参拝客はもちろん、生き物の気配すらない。  木々を揺らす風すらも、ピタリと止まっている。  空間を支配しているのは、ただ重苦しい雷鳴の振動だけだった。  そして――。  ズドォォォン!!  再び凄まじい雷が、森の奥深くへ落ちた。  青白い閃光が、立ち並ぶ木々の影を黒く浮かび上がらせる。  その閃光の向こうで、何かがゆっくりと動き出した。  ――ドン。  腹に響くほど重い足音が聞こえる。  ――ドン。  さらにもう一歩。  地面を揺らして、こちらへ歩み寄ってくる。  木々の間からぬっと姿を現したのは、今まで見たこともない異形の巨大な黒い影だった。  頭部は、威嚇するように牙を剥く凶暴な猿。  胴体は、岩のように盛り上がった筋肉を持つ強靭な虎。  後ろからは、毒々しく長くうねる蛇の尾が地を這っている。  そして背には、黒い翼が大きく広がっていた。  その全身からは青白い高圧の雷が、バチバチと絶え間なく火花を散らしている。  蒼太はあまりの圧迫感に、思わずゴクリと息を呑む。 「でかい」  碧羽は背中から静かに弓を抜き出し、力強く握り締めた。 「気をつけて。今までの邪神体とは、今までとは全然違う気がする!」  俺はゆっくりと一歩前へ出た。  恐怖を押し殺し、視線を逸らすことなく、その異形の邪神体を見据える。 「あれが、今回の邪神体か……」  邪神体もまた、俺たち三人を見つめ返していた。  鋭く赤く輝く、不吉な瞳。  青白い雷がその全身を駆け巡るたび、周囲の空間そのものがビリビリと不気味に震える。  誰も動かない。  一歩も退かず、相手の出方を探るように睨み合う。  やがて、その張り詰めた静寂を破るように、大気を引き裂く雷鳴が上空で轟いた。  ゴォォォォォン――ッ!!  俺は重心を低く落とし、静かに拳を構える。 「来るぞ。構えろ」  蒼太は両手を前へ突き出し、冷気を手元に集め始めた。 「ああ、分かってる」  碧羽も素早く弓を引き絞り、風の矢へ手を掛ける。 「いつでもいけるよ!」  神社を包む空気が、極限まで張り詰めていた。  目の前に立ちはだかる凶悪な新たな邪神体と、俺たち。  平穏を打ち破る新たな戦いの火蓋が、今まさに切って落とされる――。

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