遥 / 第16話

16話 田んぼ道

「はぁーっ……! やっと休みだー……!」  校門を出た瞬間、蒼太が両手を大きく上げ、豪快に伸びをした。 「おいおい、明日も部活だろ?」 「いやいや、部活がない金曜の夕方が一番最高なんだよ!」 「なんか、蒼太らしいな」 「ふん、そうだろそうだろ」 「普通、そこ、いばるとこじゃないからな」  俺たちの間に、どっと笑いが起きた。  校門を出た俺たちは、夕日が差し込む帰り道を並んで歩く。  初夏の風が、さわやかに頬を撫でていく。  すると蒼太が、少し先を指差した。 「あったあった!!」 「アイス、本当に買うのか?」 「当たり前だろ! 買わない理由がないぜ! 今日、これのために頑張って乗り切ったんだからな!」 「それなら、買わない理由はないか」 「そうだろ、そうだろ! だから橙真は、ここで待っててくれ」 「分かった」  話し終えると、蒼太は一目散に店へ走っていった。  俺――橙真は苦笑しながら、その背中を見送る。  しばらくして、蒼太が満足そうな顔で店から出てきた。  その頃には、空が鮮やかな橙色に染まり始めている。  蒼太は待ちきれない様子で、アイスの袋を破った。 「う~ん、うまいっ……!!」 「おいおい、歩き始めてからまだ数分だぞ」 「アイスは溶けちゃう前に早く食べるのが一番うまいんだよ!」 「ま、それもそうだよな。溶ける前に食べ終われよ」  顔を見合わせて笑いながら、俺たちは歩き続ける。  しばらくして、蒼太がふと赤く染まった空を見上げた。 「高校は……やっぱり、地元に戻りたいよなー」 「……そうだな。あんなことがあったけど……やっぱり地元に帰りたいよな」 「俺たちが高校生になる頃には、戻れるようにならないかな……」 「どうだろうな。向こうがどれだけ早く復興してくれるかじゃないか?」 「やっぱり、そうだよな……」  蒼太が切なそうに息を吐いた。  少しの間、沈黙が流れた。  遠くの空が、夕日に照らされて真っ赤に染まっている。  その景色を眺めながら、俺はかつての地元を思い浮かべていた。  あの頃は、こんなふうに何気ない会話をしながら歩くことが当たり前だった。  けれど、今は――そんな考えを振り払うように、蒼太が明るい声を上げた。 「まあ、そんな心配をする前に、まずは目の前の定期テストがあるんだよな!」 「ははっ、たしかに、そっちの方が大問題だな」  俺たちは再び笑い合った。  住宅街の路地を抜けると、青々とした田んぼが一面に広がっていた。 「今日はこっちの近道から帰ろうぜ! こっちの方が早いんだ」 「まあ、今日遠回りしたし、別にいいけど」  田んぼの脇に続く、細い未舗装の道へ入っていく。  ゲコゲコと賑やかに響くカエルの鳴き声。  風に揺れる青々とした稲。  どこまでも穏やかな帰り道だった。 ***  その頃、俺たちのいる場所から少し離れた中学校の近く。  私――碧羽は一人、部活を終えて静かな帰り道を歩いていた。  同じ中学校の二年生。  だが、この頃の私はクラスも違えば接点もなく、橙真や蒼太とはほとんど話したことがなかった。  部活の練習を終え、疲れを感じながら歩く。  その時――それまで吹いていた風が、ふっと止まった。 「……?」  不自然で、不気味なほどの静けさ。  長い髪も、ぴたりと動きを止める。  私は違和感を覚え、遠くの田んぼの方角へ視線を向けた。  しかし、そこには何も見えない。 「気のせい……かな」  首をかしげて歩き出す。  それでも、胸の奥には拭いきれない不安が残っていた。  まるで、何かが近づいているような――そんな嫌な感覚だった。 ***  田んぼ道。  蒼太が呑気に歩きながら口を開く。 「いやー平和だなー!」 「急にどうしたんだよ」 「なんとなくそう思っただけだぜ」  ――まさに、その瞬間だった。  ふっと、風が止んだ。  さっきまで田んぼから響いていたカエルの鳴き声が、ピタリと途絶える。  あたり一帯が、異様な静けさに包まれた。 「……あれ?」 「なんか……このあたり、やけに静かじゃないか?」  俺――橙真は警戒しながら、前を見つめた。  田んぼの一角。  水と泥が溜まった場所が、ゆっくりと波打っている。  ぽちゃん。  小さな音を立てて、泥が跳ねた。  ぼこ……ぼこぼこっ……!  まるで地面の下から何かが押し上げているかのように、泥と土が大きく盛り上がっていく。 「……な、なんだ……!?」  俺の顔から血の気が引いていく。  土、水、腐った枯れ草。  それらが不気味にうごめきながら絡み合い、巨大な塊へと姿を変えていく。  蒼太が一歩後ずさった。 「嘘だろ……なんだよ、あれ……!?」  ゆっくりと、その泥の巨塊が立ち上がった。  それは、おぞましい人型をしていた。  夕日を背にして立ち塞がる、泥の怪物。  ベチャリ。  ベチャリ。  重い泥が垂れ落ちる音だけが、不気味に辺りに響く。  俺は、言葉を失っていた。  蒼太も恐怖で身体が固まり、動くことができない。  その時、泥の奥深くで、何かがうごめいた。  どす黒い赤い光が、どくりと脈打つ。 「……なんだよ、あれっ……!」  泥の巨体が、地面を揺らしながら俺たちに向かって、一歩、踏み出した。

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