ふみの世界樹 / 第126話

第九十一話 仕込み

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 10:32 星見の塔 】  気配が迫っている。  ミコトが入り口の方を見ている。 「違う。そっちじゃない」  おれは部屋のあちこちを見回す。  大望遠鏡が設置してあったはずの台。丸くて大きな天窓。壁。……壁の外? 「壁の外? まさか……」 「え? だってここ、五階ぐらいの高さあるよね?」  おれはミコトに台の陰へ行くように手で合図して、ルナも差し出した。 「……あ、うん。分かった」  ミコトはルナを抱きかかえて、細い支柱の陰に隠れた。完全に隠れるには頼りないが、何もないより少しはマシだ。おれも|短剣《ダガー》を抜いて、別の支柱の陰に隠れる。  天窓の外に人影が見えた。  硬質な金属の音。  窓の隙間から刃が差し込まれている。外れた錠が床に落ちた。  ミコトの肩が跳ねた。ルナの耳がピンと立った。  誰かが侵入してきた。おれは機先を制するために、着地の瞬間を狙って飛び出した。  黒い装束。顔にはお面。  敵だ。  今度は迷わない。殺さずに無力化できる場所を狙う。太腿だ。  ん? こいつ、太腿がむきだしだぞ?  そう思った直後、手首が掴まれた。引き込まれる。  やばい。おれは突き出した腕を戻す。  ──え?    おれの身体が宙を舞っていた。  多分、関節の逆をとられた。戻すタイミングで、力も利用された。  こいつ、巧い。  衝撃。石床の硬い感触。 「うっ」  おれは相手の顔を見た。  天窓から差し込んで来る陽を背に、耳のあるお面がのぞき込んでいる。  ん。……耳? 「ちょっと、ヴァン。いきなり危ないじゃない」    聞き覚えのある声だ。  「つばめお姉さま⁉」  ミコトの声で、おれは我に返った。白い狐の仮面を外して、つばめさんがおれを見ている。ちょっと、恥ずかしくなる感じの黒い装束。おれは、これを知ってる。  「……ニンジャ?」 「ああ、それは忍者ですね。つばめさん、くノ一だったんですか?」  クノイチ? 「そんな言葉、よく知ってたわね。……まあ、昔ちょっとね。ほら、起きて」  つばめさんに助け起こされながら、おれは尋ねる。 「つばめさん、なんでここに?」 「それはこっちの台詞よ。……あ、その前にちょっと待って」  つばめさんが目を閉じた。何度も頷いてる。 「よかった。この高さなら繋がる」  ……繋がる? 「今、アルフォンスと話をしてるの。二人に出会ったって、報告してるところよ」  みー。 「ごめんなさい。二人と一匹だったわね」  話? 多分、アルフォンス先生の魔法だろう。  ゴーンズさんの話だと、マナとマギを連れて先に脱出したらしいけれど、ちゃんと無事だと分かって安心した。 「さて、こんなところで二人に会っちゃったら、あたしも少し予定変更ね」 「予定、ですか?」 「そう。あいつら全部、あたしが一人ずつやっつける予定だった」 「すげえ。前に兄貴が言ってた通りだ」 「なんて言ってたの?」 「忍者は|悪魔《デーモン》みたいにコワイって……、それって、つばめさんのこと?」 「あいつ、何を教えてんのよ。大丈夫よ。ヴァンくぅん、つばめお姉さんは、コワイ人じゃないからね~?」 「うそだ。……さっきの、本気だったら、おれ殺されてた」 「殺さないって。それに、すぐに誰か分かったし。……それより、その顏。酷い怪我してるじゃない」 「おれたちで、敵を一人やっつけた。今は地下室の箱に入れて、ゴーンズさんが見張ってる」 「まったくもう、無茶して……」  つばめさんは、おれの顔を両手で包むと、目を閉じて、呼吸を整えた。  呪文じゃない。これは、別の何かだ。呼吸。とても深くて、長い呼吸。  おれの傷から、痛みが薄くなっていく。腫れも少し引いていくような気がした。 「つばめ先生、魔法は使えないんじゃ?」  その通りだ。おれも今まで、つばめさんは魔法を使えないと思っていた。だけど、これは魔法みたいな神秘的な力だ。  でも違う。これは多分、兄貴が前に言ってた技術体系、呪文とは根本から異なる|業《わざ》、生物の肉体を巡る力を上手に使う方法。体術の延長線上にあるもの。 |氣術《ゼーレン》。  そうだ。この温かい力。人の命と、呼吸を紡いで生まれる力。これが噂に聞く|氣術《ゼーレン》に違いない。まさか、こんな身近に使い手がいたなんて。 「はい、これでよし。とりあえずは、マシになったでしょ」 「うん、ありがとう。……今の、|氣術《ゼーレン》?」 「ヴァルクから聞いたのね。ええ、そうよ。あなたも機会があったら、エイデンから学ぶといいわ」 「エイデンさんも、|氣術《ゼーレン》を?」 「ええ、もちろん。あの|武神館《ヴァッフェンゴット》出身だからね。きっと、あたしなんかよりも、技とか仕込むの上手いと思う」 「そうか。今度、エイデンさんに聞いてみよう」  ミコトが首を傾げている。多分、なんの話かよく分からなかったのだろう。後で教えてあげよう。  でも、ミコトだったら、|恋愛の女神《アーノウズ》様の巫女なんだから、その内に神聖魔法が使えるようになる気がするけれど。 「……あ、そうそう。そんなことより、ちょっと着替えなきゃ」 「そうか」 「ヴァン?」 「ん?」  ミコトに両目を抑えられた。 「そうか、じゃ、ありません。お姉さまのお着換えだから、ヴァンは、あっち向いてて」  おれは強制的に回れ右させられた。 【 同日 11:08 七聖学院 厨房 】  厨房は、妙に静かだった。  出入口には仮面の男が二人。俺達は監視されていた。  鍋の中では残り野菜のスープが煮えている。備蓄のパスタは短く折って茹でた。 「ウォルター・ヒギンズ。鍋を見なさい。底が焦げないように」 「は、はい」  キャサリンさんの指示に、ウォールが長い木べらを両手で握って、大鍋の中身をかき混ぜている。  俺は小麦粉の袋を動かすふりをして、作業台の下を見た。  包丁と、鉄串。それから料理鋏。  どれも武器ではない。だが、使い方次第では武器になる。全部まとめて大ざるに入れて、邪魔にならない位置、目立たない位置へ少しずつ寄せた。だが目標とする数には足りない。  オーレリアが横目で見た。何も言わない。  俺が文字を書き込んで、作業台の端に置いた紙。オーレリアが手に取り、そっと開いて中を見る。 「これは大変なことのよぅ」  紙を閉じると、エインの方へと差し出した。 「……花火の時も、こんな風だったのね」  続けてミシェル先輩。 「これは、命懸けだぞ」  ウォールだけが首を傾げている。 「それ、何を書いてるの?」 「献立だ」 「和語で?」 「和之国料理だからな」 「そういうものなの?」 「そういうものだ」  その時、見張りの一人が近付いて来た。 「おい。何をしている」  男が紙を覗き込む。  和語で書かれた献立。材料。手順。分量。そう見えるはずのもの。 「読めねぇぞ」  キャサリンさんが、一歩前へ出た。 「本来、本日は和之国に伝わる料理を振る舞う予定でした。これは、その献立と手順でございます」 「和之国?」 「はい。異国料理は、分量と順序を間違えると味が崩れますので」  男は紙を睨んだ。 「だったら、そこのガキは何で読めねぇんだ」  ウォールが指された。 「え。ぼく?」 「おまえ、読めねぇんだろ」 「読めません」  事実だ。 「ぼくは和語の成績は悪くて……。料理実技はできますけど、和語はできません」  オーレリアの肩が、ほんの少し震えた。  笑うな。 「……妙な真似はするなよ」 「もちろんでございます」  キャサリンさんは、眉ひとつ動かさなかった。いつもなら、授業中に手紙なんて回していようものなら、見つかって廊下に立たされるか、掃除当番の罰を受けているだろう。  男が戻る。  キャサリンさんは改めてレシピの紙を見て、中身をじっと読んだ。 [ 本日の献立 ]  俺の方を一瞥した。視線を戻した。 [ 包丁、麺棒、火掻き棒、油瓶、鉄串、肉叩き、料理用鋏を作業台下へ。 ]  キャサリンさんは、作業台の下を確認した。視線を戻した。 [ 敵の人数、武器、移動の間隔を記録。 ]  オーレリアを一瞥。視線を戻した。 [ 今は従う。絶対に先に動かない。 ]  俺はキャサリン先生をじっと見た。目が合う。ゆっくりと頷いてみせる。 「いいでしょう。私は認めます。……ですが、スープの仕込みには、味噌を使います。つばめ先生が皆さんに故郷の味をと、かつて寄贈してくれたものがあります。それを使ってください」  ウォール以外の全員が、笑顔になった。 【 同日 11:54 七聖学院 講堂 】  食事は皆に行き渡った。  ミソスープには、短く折ったパスタが入っている。それと小麦粉を練って焼いた薄いパン。  星級の小さい子達は、まだ不安そうにしながらも、木椀を両手で抱えていた。温かいものが胃に入るだけで、泣き声はずいぶん薄くなる。  だが、全員が落ち着いたわけではない。 「……嫌だ」  最初は、小さな声だった。  フェルトンが、木椀を持ったまま震えている。朝の時とは様子が違う。 「嫌だ。こんなところにいたくない。僕を帰せ。僕はブラスシルド家の人間だぞ。こんな場所に閉じ込めていいわけがないだろ」 「フェルトン、落ち着け。みっともないぞ」  ミシェル先輩が声を掛けた。 「嫌だ! 落ち着けるわけがないだろ! ここは危険だ。危険なんだよ! どうしてみんな分からないんだ!」  分かっている。  誰だって分かっている。  けれど、それを声に出さず、飲み込んでいるだけだ。 「帰せ! 今すぐ帰せ! 僕だけでもいい。金なら父上が払う。だから、僕を――」 「フェルトン・ブラスシルド」  ジークハルト先生の声が、講堂を裂いた。  フェルトンの肩が跳ねる。 「返事」 「……は、はい」 「食事中に立ち上がるな」 「で、でも」 「返事」 「……はい」  ジークハルト先生は、壁際に背を預けて座っていた。治療は受けたが、顔色は悪い。額の血は拭われ、傷も閉じている。それでも、全快には程遠い。なのに、声と気迫は少しも揺るがない。 「フェルトン。椀を置け」 「はい」 「ブラスシルド家と言ったな」 「はい」 「ならば、恐怖に命令権を渡すな」  フェルトンは俯いた。 「……はい」 「よろしい。食事を続けなさい」  講堂に、また静けさが戻った。  俺は、フェルトンを見た。情けない。確かに情けない。  だが、あいつの恐れは間違っていない。ここは危険だ。帰りたいと思うのも当然だ。騒がないだけで、俺だって同じことを考えている。  それにフェルトンは──。  その時、壇上の水晶が淡く光った。  十二時。  次の連絡の時間だ。  赤黒い魔道衣の男、ヴネオンが椅子に座り直す。術士幹部が|念話水晶《ゲダンク・スフィア》を調整し、淡い光が像を結んだ。  水晶の向こうに、天幕の中が映る。  エドワード少佐がいた。  姉さんの目が、その姿に向いた。  俺達でも、校長先生でもない。真っ直ぐに、水晶の向こうのエドワード少佐を見ている。  何かを言うわけではない。ただ、少しだけ指先が動いた。少佐との関係性を、敵に悟られてはいけないと、そう考えているに違いない。 『マディアラス・ヴネオン』  エドワード少佐の声が届く。 『期限について、再度交渉したい。金貨三十万枚と、要求された三つの|皇宝具《インペリアル・レガシー》。いずれも正午までに用意できるものではない』 「では一部だけでも先ずは差し出せ。誠意を見せろ」 『そう思って、少しは準備した。一部の保護者から打診が来ている』  ヴネオンは笑った。 「相変わらず話が早いな、海兵隊」 『身代金を支払う。だから、自分の子だけでも先に解放してほしい、というものだ』  講堂の空気が、わずかに変わった。  誰の親だ。  誰が解放される。  自分はどうなる。  そんな考えが、声にならないまま広がっていく。  ヴネオンは、ゆっくりと生徒達を見渡した。 「なるほど。親というものは、どこの家も自分の子が可愛いらしい」 『返答は?』 「考えておこう」 『負傷者の追加治療は継続させろ』 「それも考慮する」 『人質全員の安否確認も、定時で継続させてもらう』 「要求が多いな」 『人質を生かして交渉材料にする気があるなら、当然の確認だ』  ヴネオンは、しばらく黙った。  それから、袖の中へ手を入れた。 「では、こちらからも一つ、確認しておこう」  取り出されたのは、小さな|魔導具《マギテク》だった。  黒く細長い小さな箱。細い溝。赤い石のようなもの。中央には、小さな押し込み式の突起。  何なのかは分からない。  だが、分からないからこそ、胸の奥が冷えた。 「これが何か分かるか?」  水晶の向こうで、エドワード少佐の表情が消えた。  ヴネオンは楽しそうに微笑む。 「起爆装置だ」  誰かが、息を呑んだ。 「この学院のあちこちに、爆弾を仕掛けた」  フェルトンの木椀が、かた、と鳴った。  ヴネオンは赤い石の上に指を置く。 「誰かが逃げる。誰かが忍び込む。誰かが余計な真似をする。おまえ達が突入する。その時は――」  そこで一度、言葉を切った。  講堂の誰もが、その指を見ていた。 「学院ごと、吹き飛ばす」  フェルトンの恐れは、正しかった。  誰も、もう笑えなかった。  俺達は、計画の変更を余儀なくされた。

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