ふみの世界樹 / 第124話

第九十話  真実

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 6:15 七聖学院西側 本部天幕 】 「あの噂とは?」 「二十年前、学生時代の噂ですよ。……星見の塔」 「星見の塔、あの事件ですか……」 「はい。ハンナ・エードラ。……そして、シェリーヌ・ロダン」  クィジルは目を伏せて、哀悼の意を示した。 「あの時、|月級《モント・クラス》だった我々は、先輩達の事をよく知りません」 「知っているはずですよ。ハンナは自殺、シェリーヌは失踪。……噂の通りです」 「クィジル先生、それはみんな聞いています。……ですが、学院内で失踪だなんて有り得ない。その先を教えて下さい」 「それを知ってどうしますか」 「結論から尋ねます。シェリーヌ先輩が失踪したのは、秘密の抜け道。……その中に閉じ込められた。違いますか?」  クィジルは沈黙した。深く、長く息を吐いた。 「そうですね。……おそらくあれは、餓死していました」 「去年、子供達が発見した|死者の日記《デッドマンズ・バイブル》、あれの仕業ですか?」 「確証はありません。ですが、私個人の見解としては、シェリーヌ・ロダンはハンナに復讐されたと見ています。……しかし、よくそこまで辿り着いたものですね」 「同窓生が、三人も学院で働いているものですから」 「あぁ、彼等か……、なるほど、合点がいった。分かりました。今更、過去の不祥事を隠した所で意味はない。……抜け道があれば、そこから内部に侵入できます。今回の事件に役立てた方がいい。そういう事ですね?」 「はい。出入口は何処にありますか?」 「星見の塔一階。螺旋階段の裏側に、地下へ通じる隠し階段があります」 「その先は?」 「北側の森、そのどこかです。しかし残念ながら、土砂崩れで埋まってしまっているので、今は使えません」 「位置は分かりますか?」 「うろ覚えで良ければ、案内はできます。ですが……」 「問題ありません。我々で掘削を行います」 【 同日 6:45 七聖学院 講堂 】  |魔法遮断場《アンチマギーフェルト》の領域から外れた場所。  体育用のマットが敷かれ、傍らには治療を終えたジークハルト先生と、ローティがそこで横になっている。  その傍らには、ハリエットが|跪《ひざまず》いていた。 「|大自然神《ネイジャス》の娘にして、生命の守護者──|豊穣の姫神《ナジカ》よ」  祈りの言葉が紡がれる。 「生まれたばかりの苗を守る御手よ」  その両脇に仮面の男達が立ち、ハリエットの一挙手一投足を監視している。   「裂けた皮に若葉を、流れた血に春の息を、痛みの奥に、ふたたび巡る命を」  校長先生と他の生徒達は、領域境界線の内側で見守っている。 「この者の傷を、森が折れた枝を包むように癒やしたまえ」  柔らかな光に包まれたハリエットの手が、ローティの頭を優しく包む。   「──|軽傷治癒《キュア・クライナー》」  流れ出た血は乾いたまま、戻ることは無い。切れた皮膚と血管が、微細に何度も何度も動く光の糸で、縫合するかのように結ばれていく。  それで意識の揺れまで消えるわけではない。けれど、流れ続けていた血だけは、ようやく止まった。 「治療は終わりましたか? 用が済んだなら、さっさと領域内に戻ってください」  術士幹部が、イラつきを隠さずに急かした。  ハリエットは落ち着いて答える。 「いいえ、まだ患部の血を拭き取って、それから……、栄養を与える必要があります。それに小さい子達も、みんなお腹が空いてます。そろそろ朝食にして貰えませんか?」 「あぁん? メシだぁ? 贅沢なんか言ってんじゃねぇぞ」  戦士幹部が凄む。  ハリエットは、壇上の椅子に座る男、ヴネオンへと視線を向ける。 「また泣きだされても困る。メシぐらい食わせてやれ」  ほっと息を吐いて、ハリエットは頭を下げた。   「おい、そこの飯炊き女。何人か女生徒を連れて、全員分の飯を用意しろ」  指名されたキャサリンは、毅然と立ち上がった。 「お言葉ですが、食事の用意を女性だけがするという考え方は、当学院では教えておりません」  ヴネオンは目を細めた 「……特に、家庭科の授業においては、男女の分け隔てなく、掃除、料理、洗濯、裁縫、身の周りの最低限の事を行えるように指導して参りました」  キャサリンは、寝間着の袖を一度だけ握り、それから離した。 「従って、家庭科の成績。特に料理実技の成績が良かった上位5名を連れて行きますが、宜しいでしょうか?」 「いいだろう。メシが用意できるなら何でもいい」 「ご配慮、ありがとうございます。……では、五位から呼び上げます」  キャサリンは生徒達に向き直った。 「ミシェル・シルヴァード」 「はい!」  生徒会長を務めるミシェル。誰もが当然の人選だと納得した。直ぐ隣で、マリアンナが両手を胸の前で組み、瞳を輝かせて見上げている。 「ハリス・ヤクトブレオ」 「俺か……、はい」  学年一位の秀才だ。これも誰もが納得した。ハリエットが、うなずいた。 「エイン・カローナ」 「……はい」  髪色は目立つのに、言動の目立たない娘が注目を浴びた。隣でイネヴェアが小さく拍手をしている。 「オーレリア・キルシュ」 「はいなのよぅ」  学年二位の記録魔として有名な娘だ。あれこれ手先が器用だと噂されている。これも皆が納得した。 「ウォルター・ヒギンズ」 「……え?」  まさか、という声が上がった。ウォールが、自分を指差した。 「お返事」 「……は、はい!」 「以上、五名を連れて、厨房へと向かわせて貰います」  キャサリンは寝間着姿のまま、優雅な淑女の礼をやってみせた。 【 同日 7:03 七聖学院 星見の塔 】  星見の塔。  上階の石床は、冷えていた。  石壁は夜の冷たさを抱いたまま、窓の外には、朝になりきれない空が薄く広がっている。遠くで人の声がしたような気もするけれど、ここまで届く頃には、風の音と区別がつかなくなっていた。  わたし達は、壁際に身を寄せて座っていた。何とか監視の目を掻い潜って、塔の上までやって来たけれど、徹夜で動き回っていたから、もうへとへとに疲れていた。  ルナはヴァンの膝の上で丸くなっている。時々、耳だけをぴくりと動かすけれど、鳴かない。賢い子だ。今、声を出してはいけないことを、ちゃんと分かっている。 「ゴーンズさんは、あのまま置いて来て良かったのでしょうか」 「師匠なら大丈夫だ」  ヴァンは短く言った。 「ちゃんと、あいつは縛った。口布もした。箱にも入れた」  あの箱は、ちょっと可哀想だった気もする。 「それに、師匠はうまくやる」 「信じてるんですね」 「信じてる」  ヴァンは強く言い切った。息が白くなった。  ここは学院よりも古い建物で、最新の暖房設備がない。ボイラー室から流れて来る温かい空気も、ここまで届かない。 「寒くないか」  ヴァンが小さな声で聞いた。 「少しだけ」 「こっち」  ヴァンは迷わず、自分の外套の端をわたしの肩に掛けてくれた。 「あ、でもこれじゃ、ヴァンが寒くなっちゃいます」 「おれは平気」 「平気じゃない時も、きみはそう言います」 「じゃあ、少し寒い」  正直でよろしい。  そう思ったら、こんな状況なのに、少しだけ笑ってしまった。 「何だよ」 「いいえ。ヴァンらしいなと思って」 「おれらしいって、何だ」 「本当は優しいのに、素直じゃないところ」 「優しくなんか、ない」  ヴァンは、顔を背けた。  暗がりでも、耳が少し赤くなったのが分かった。  こんな時なのに、反応が可愛いなと思ってしまう。 「ふふ……、ツンですねえ」 「何だそれ。……というか、ミコトも変だ」 「わたしですか?」 「こんな時に笑う」 「思わず顔が……」 「怖くないのか」 「怖いです」  嘘はつけなかった。  怖い。怖くて、手の先が少し冷たい。外で何が起きているか分からないことも、ヴァンが怪我をして、血を流したことも、すべて。今の全部が怖い。 「でも、ヴァンがいるので」 「おれがいても、守れない時もある。さっきとか…」 「それでも、です」  ヴァンは膝の上のルナを撫でた。ルナは目を閉じたまま、喉の奥で小さく鳴った。 「冬の間、一緒に暮らしたの、楽しかったですね」 「急に何だ」 「思い出したんです。アルフォンス先生のお家」  暖炉。薪。灰。黒麦麺。ルナのお皿。つばめ先生のお茶。ヴァンが割った薪を運んで、わたしが暖炉にくべたこと。洗濯物を干す時、冷たい布で指先がかじかんだこと。朝、窓の外が白くなっていて、ルナが変な顔をしていたこと。  あの家は、わたしにとって、この世界で初めての冬の家だった。 「掃除も、洗濯も、料理も。薪をくべるのも、灰を集めるのも、ルナのお世話も。全部、楽しかったです」 「全部か」 「はい」 「薪割りは、そんなに楽しくない」 「でも、毎日やってくれました」 「必要だったから」 「それでも、嬉しかったです」  ヴァンは少しだけ顔を背けた。 「また、やりたいです」 「薪割りを?」 「それもです。掃除も、料理も、ルナのお世話も。また一緒にやりたいです」 「……普通のことばっかりだな」 「うん。普通のことがいいです」  戦うことでも、逃げることでも、誰かを助けるために走ることでもない。  朝起きて、火を入れて、食事を作って、勉強して、少し喧嘩して、また仲直りして、夜になったら眠る。そんな、何でもない一日。 「爺ちゃん……」 「ヴァン?」 「ううん、何でもない。ちょっと思い出しただけ……、おれの家族」 「家族? ヴァルクさん?」 「兄貴とはまた違う。その前の家族。……普通のことばっかりの、家族」 「家族……」 「ミコトの家族は、どうしてる?」 「わたしの家族は……」  女神様からは、元の世界には戻れないと聞いていた。  ヴァンの手を握りたくなったけれど、自分で自分の身体をぎゅっと抱きしめた。 「……もう会えません」 「そうか……」  それから少しの間、何も言わなかった。  わたしはヴァンの横顔を見た。煤や埃が少しついている。頬に薄い擦り傷もある。それでも、わたしにとっては、誰よりも見慣れた顔だった。 「ヴァン」 「何だ」 「わたし、ずっと思っていたんです」 「何を」  わたしは、ゆっくり息を吸った。  この世界に来た日。何も分からず、湖に落ちた日。  何も分からないまま、そのまま死にそうだった時。  「わたしを最初に見つけてくれたのが、ヴァンで良かったです。ありがとう、ヴァン」  ヴァンは、すぐには答えなかった。  ただ、わたしの肩に掛けられていた外套の端を、少しだけ握り直した。 「おれで、よかったのか」 「はい」 「本当に?」 「うん。大好きです」  ヴァンは真っ赤になって顔を伏せた。  膝の上のルナが、片目だけ開けて、ヴァンを見上げる。 「……なら、よかった」  声が、小さかった。  強くなろうとしている男の子が、今だけは迷子の子犬みたいに見えた。  わたしはそっと手を伸ばした。ヴァンの髪に触れる。少し乱れていた髪を、指先で整える。  ちょっと、ごわごわしてる。いつか髪を洗ってあげないと。 「子供扱いしてる」 「少しだけ」 「おれは子供じゃない」 「ふふ、そうですね。知っています」 「じゃあ、何で撫でる」 「撫でたくなりました」 「……そうか」  ヴァンは文句を言いかけたように見えた。  けれど、言わなかった。  むしろ、少しだけ頭をこちらへ預けてくる。  ああ。  やっぱり子犬だ。 「ミコト」  そう言って、ヴァンはさらに少し近付いた。  近い。  本当に近い。  肩と肩が触れて、膝の上のルナが少し迷惑そうに身じろぎした。ヴァンはわたしの顔を見て、それから目を逸らして、また見た。 「ミコト」 「はい」  ヴァンが、わたしの肩に頭を乗せた。 「ヴァン?」 「少し、目を閉じてもいいか?」  胸の奥が、静かに熱くなった。  外では、学院が襲われている。みんなが捕まっている。わたし達も、いつ見つかるか分からない。それに、まだちょっと恥ずかしい。  でも。 「いいですよ」  言ってしまった。 「怪我もしてるんです。少しは寝てください」 「じゃあ、少し寝るかもしれない」 「うん」  ルナが、ヴァンの膝から降りた。  床に前足をついて、伸びをして、それからなぜか、わたしの方へやって来る。 「ルナ?」  恐る恐る手を伸ばすと、ルナは逃げなかった。むしろ、頭をわたしの掌に押し付けてきた。  柔らかい。  温かい。 「……認められたな」 「え? 何に?」 「ルナに」  ヴァンが少しだけ得意そうに言った。  ルナは、わたしの膝に前足を掛け、当然のような顔で丸くなろうとする。ヴァンがその背を撫でると、ルナは小さく喉を鳴らした。  ゆっくりと時間が流れた。  どこかで朝の小鳥が鳴いていた。 「ヴァン、寝た?」 「ううん、起きてる」 「寝てください」 「眠れない」 「困りましたね。……何か、お話でもしましょうか」 「うん」  わたしは天窓の方を見上げた。  ゆっくりと太陽光の入って来る角度が変わって行く。  明る過ぎる空。星は見えない。 「……もし」 「もし?」 「わたしが、またどこかへ迷子になったら」  ヴァンの腕が、少しだけ強くなった。 「また、見つけてくれますか?」 「迷子にさせない」  わたしは笑った。 「もしもの話です。また、見つけてね」 「分かった。見つける」  わたしは、また笑った。  素直に嬉しかった。 「どこにいても?」 「どこにいても」 「本当に?」 「本当に」  わたしは、ヴァンの服を少しだけ握った。  ヴァンならきっと、いや、本当に見つけてくれる。 「約束ですよ」 「ああ」  その返事を聞いて、安心してしまったのだと思う。  緊張が少し緩んだ。  体の奥に溜まっていた疲れが、ゆっくりと浮かび上がってくる。ヴァンの腕は温かく、ルナの体も温かかった。  目を閉じる。  少しだけ。  ほんの少しだけ。  そう思った。  いつ眠ったのか、分からなかった。  ──────────。  ──────。  ────。  ──。  不穏な気配に、目が覚めた。  ヴァンが片膝立ちになって、わたしの口元を手で押さえていた。 「静かに。誰か来る」

運営おすすめ

週間ランキング

全ランキング

反応スコアランキング

もっと見る

PV・ブックマークランキング

もっと見る

更新された連載作品

すべて見る
読み込み中…

新着短編

すべて見る
読み込み中…

作品一覧

読み込み中…

作品ダッシュボード

作品全体の公開状況と、読者からの反応をひと目で確認できます。

作品パフォーマンス

選択期間のPVが多い順

上位5作品
ライブラリ

作品の公開状況と構成

最近の更新

最後に編集した作品

要チェック

公開前に確認したい項目

プレビュー
読者に表示される見た目

表示設定

文字サイズ
100%
背景色
縦書き表示
リッチモード
目次
読み込み中…

キーワードを入力して作品を探しましょう

アクセス解析
アクセス解析データは 5分おき に自動更新されます
読み込み中…
ランクイン記録
通知
通知はありません
地形ブラシ
25
スタンプ
ツール
装飾
表示
100%

世界地図

100%

REACTION SCORE

反応スコアの内訳