ひばり / 第67話

第6話 愛され委員長のオシゴト②

 有力な情報を求めて時枝が向かったのは、あの場所だった。  屋上の給水塔の影、直射日光を避けるようにして、黒崎|聖《ひじり》は難解そうな専門書を熟読していた。  ページをめくる指の動きに合わせて、耳にかけた黒髪がさらりとこぼれ落ち、陶器のような白い首筋をかすめる。 「……僕の読書を邪魔しに来たのか?」 「そう言うなよ。……例の、|シミュラクラ《シム》を襲うノイズが俺の所にもきてさ」  時枝が切り出すと、黒崎はページを捲る指を止めることなく、さも当然のように口を開いた。 「僕のところにも来たぞ」 「……あいつ、お前にも手を出したのか」  時枝は驚きを隠せなかった。あの先日見た圧倒的なハッカーである黒崎に喧嘩を売るとは。だが、黒崎は不遜な態度を崩さない。 「随分と用心深い|鼠《ノイズ》のようだ。僕に牙を剥く前に、身の程を知って逃げ出した」  黒崎はそこでようやく本を閉じ、冷めた目を時枝に向けた。 「学校のファイアウォールには、外部からの侵入痕跡はなかった。……つまり、この閉鎖空間内に接続している誰か。生徒か、あるいは教師ということだろうな」  時枝の分析に対し、黒崎はピクリとも反応せず、沈黙を貫く。その無反応は、時枝の思考など語るに足らないと言っているようだった。 「……前みたいに《《掃除》》はしないのか?」  時枝が問うと、黒崎は僅かに眉を寄せ、詮索されたことへの不快感を隠そうともせずに鼻で笑った。 「素人のやることにいちいち首を突っ込むほど、僕は暇じゃないんでね」 「じゃあ、この前のあれは何だったんだよ」  時枝が食い下がると、黒崎は気まずそうに視線を逸らし、本を抱え直した。 「……複数人でいれば、襲撃はまずされない。学校内では不用意に一人で接続は控えることだな。僕が言えるのはそれだけだ」 「おい、待てよ」 「……しつこいぞ。口止め料の効き目が、もう切れたのか?」  黒崎はそう言い捨て、それ以上の追及を拒絶するように背を向けた。  それは忠告というより、一種の警告のように聞こえた。  黒崎が素人と断じた犯人は、技術こそ未熟かもしれないが、執拗さだけは本物だ。間違いなく、今後も何か仕掛けてくるだろう。  今回は自分がもう少し動かないといけないらしいと肩を落とした。 ◆◆◆  放課後の誰もいない渡り廊下。千田は手すりに身を預け、夕焼けに目を細めている。 「えー、結局心配してくれてたの?時枝くんってば、素直じゃないんだから」 「勘違いするな。俺の平穏のためだ」  時枝は努めて冷淡に言い放ち、彼女の前に自分のリンカーをかざした。 「……悪いけど、協力してもらうぞ。犯人の目的は委員長だ。それが悪意なのか歪んだ好意なのかはわからないけど。だから、あんたの周辺……特に、ここ数日のリンカーのログを解析させてもらう。それが一番の近道だ」 「ええー。……それって、女の子のプライバシーを覗くってこと?いやらしいなぁ」  千田はわざとらしく口を尖らせ、頬を膨らませた。だが、その拒絶に真剣味はない。時枝が「委員長?」と低く念を押すと、彼女は「はいはい、わかりましたー」と、軽々しくコンソールの|共有《シェア》を許可した。  時枝はすぐさま解析を開始する。  網膜に投影された彼女のログは、驚くほど普通だった。  お堅く、やや過保護な両親との事務的なやり取り。優等生らしい学習スケジュールの数々。交友関係も広く浅く、どこにも綻びはない。 (……いや、待て)  深層レイヤーの隅に、二重にプロテクトがかかった不可解なデータの塊を見つける。 「あ、ちょっと待って。そこは……」 「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」  時枝は躊躇わずにそのプロテクトを弾いた。  同時に、展開された|視覚情報《ウィンドウ》が時枝の視界を埋め尽くす。 「……なんだ、これ」  そこにあったのは、無数のイラストデータだった。  黒髪で、鋭い三白眼を持ち、どこか浮世離れした美貌の少年。それは千田が昔から愛好しているらしい、ある古いアニメの《《推しキャラ》》の二次創作データだった。  だが、時枝を真に戦慄させたのは、その隣に並んでいた膨大な《《生写真》》だ。 「……これ、全部」  《《隠し撮りされた、黒崎聖。》》  教室で、廊下で、屋上で。視線が一度も合っていない、歪な記録の山。  イラストの少年と黒崎は、不気味なほどに酷似していた。  千田は悲鳴のような声を上げたが、それは恥じらいではなく、秘密を共有できた喜びを滲ませる奇妙な響きだった。 「……えへ。バレちゃった」  千田はいたずらが見つかった子供のように、頬を赤らめてはにかんだ。  だが、その背後に展開されたウィンドウの群れは、決して可愛げで済まされる量ではない。 「……ちょっと、委員長サン?ちょっと説明してもらえるかな」  時枝の指が、引きつったように空中のデータを指す。 「だって、黒崎くんって、この《《ルシフェル様》》に瓜二つなんだもの。三次元に顕現した推しを記録に残さないなんて、ファン失格だと思わない?」 「え?もしかして、この前、お前が『黒崎は犯人じゃない』って断言してたのって」 「そう。だって、私が亡霊に襲われた時に黒崎くんは図書室の三番目の棚の前で、戦時中の暗号化技術の本を読んでたの。私がずっと見てたから!」  千田は胸を張って言い切った。  あまりにも堂々としたストーカー宣言に、時枝は眩暈を覚えた。 「……なら、そう言えよ」 「言えるわけないでしょ!『私が二十四時間体制で黒崎くんを監視してるから彼はシロです』なんて言ったら、私の愛され委員長の地位が爆発四散しちゃうじゃない!」 「それどころか、犯罪だからな?」  時枝は天を仰いだ。  彼女が黒崎を庇っていたのは、正義感でも友情でもない。単に「自分の推し活をバラしたくなかったから」という、この上なく利己的でオタク的な理由だったのだ。  さらに、時枝はある事実に気づき、さらなる脱力感に襲われる。  ログの隅に保存されていた設定資料。そこに記されたキャラクターの台詞回しが、千田の普段の言動と完全に一致していた。 「……委員長。お前のその、ちょっとわざとらしい喋り方とか、おどけた態度……」 「あ、気づいちゃった?そう、ルシフェル様の契約者、ヒロインの『リリィ』をイメージしてるの。完璧でしょ?」 「……死ぬほど面倒臭い」  事件の核心に迫るどころか、周囲には言えないヤバすぎる趣味の深淵を覗いただけ。  彼女に抱いていた違和感は、ただの《《年季の入った推し活》》だった。 「でも、これでもう隠し事なしだね。時枝くん、これからも私の《《推し活》》、手伝ってくれてもいいんだよ?」 「誰がするか!というか、さっさとそのフォルダ閉じろ、目が腐る!」  結局、シミュラクラを襲う犯人については一歩も進展せず。 「……最悪だ」  本日何度目か分からない呟き。  夕闇が迫る教室で、時枝は机に突っ伏した。  亡霊よりも、ハッカーよりも、クラスの女子の本性の方がよっぽど恐ろしい。

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