夏木 花 / 第49話

第12話 どうしたら勇者になれるんですか

 椅子は、七つあった。  六つはもう卓の周りに並んでいて、書記官が七つ目を抱えて入ってくる。フェルドウィンは扉の内側で、その椅子の行き先を目で追った。卓の向こう側に据えられ、白髪を後ろで束ねた男が当たり前のように腰を下ろす。  もう一度数えた。増えない。  数えていた自分が、少し恥ずかしかった。 「そちらに」  ヴェッセルが示したのは、柱のあいだの何もない床だ。卓まで腕二本ぶん。遠くはない。部屋の外でもない。声だけが届く場所だった。  蝋の匂いが甘く、頭の芯が重くなる。トラマルがひと嗅ぎして、飽きたのか足元に伏せた。 「では、向こう半月のご予定を」  書記官が板を読み上げる。橋の普請の視察。貴族院の開院への臨席。大神殿の月の祈り。名前だけなら、どれも立派に聞こえた。 「待たれよ」  白髪の男が指を一本立てる。 「開院に臨席となれば、席次が要る。どこへお座りいただく」 「上座から三つ目あたりでは」 「爵位のない者を、卿がたの列に入れるのか」 「では、末席に」 「末席にも位はある」  言い合いが卓の上を行き来する。自分の話なのに、自分の名前が一度も出てこない。出るのは「器」「勇者殿」「第七代」ばかりだ。呼ばれている気がしないのに、呼ばれているらしい。 「ならば、先に爵位を」 「功は、まだ一つもない」 「これからで叙して、何もせずお帰りになったら、返していただくのか」  その通りだ、と思ってしまった。返すも何も、僕はまだ何もしていない。うなずきかけて、慌てて首を止める。 「勇者殿」  名を呼ばれたのだと気づくのに、半拍かかった。白髪の男が、初めてこちらへ顔を向けている。 「字は、お書きになるか」 「……少しなら」 「結構。名を記していただく欄がある」  それだけだった。男の顔はもう卓へ戻っている。今日この部屋で自分に向けられた問いは、たぶんこれで全部だ。訊かれたのは、書けるかどうかだった。座りたいかどうかではない。 「大神殿としては、いかがか」  それまで手を動かさなかった痩せた神官が、袖の中で指を組み直す。 「輪の中には、席次がございません」 「輪の外を訊いている」 「輪の外については……定めが、ございません」 「先の代はどうしていた」 「お調べしましたが、そのまた前の代まで、当たるものが出てまいりません」  卓の下で、トラマルが大きく息を吐く。 「……敷物を」  白髪の男が召使いに顎をしゃくった。 「犬が石の床では、見栄えがせぬ」  縁に房のついた厚い敷物が運ばれ、書記官が二人がかりで広げる。トラマルは端を嗅いでから、その上で丸くなった。  笑ってしまいそうになって、喉の途中で引っかかる。  誰も、こちらを見ない。立っているだけの用事は、歩くよりずっと疲れる。 「では、席次は保留とし、当日はお立ちいただく。それでよろしいか」  よろしいか、と訊かれたのは、卓に着いている者たちだった。  廊下に出る。石の冷えが靴の底から上がってきた。 「爵位、僕、いらないんですけど」 「そのお申し出をお受けする窓口が、ございません」 「じゃあ、誰に言えば」 「ご意向をうかがう手順が、定められておりません」  嘘をついている顔ではない。困っている顔でもない。 「手順って、誰が作るんですか」 「前例のあるものは、前例に従います」  前例のないものは。訊く前に、ヴェッセルは板に何か書き足しながら歩き出していた。 「今日は第三環の者が多く出ております。台の縁にはお寄りにならぬよう」 「だいさん……」 「外環です」  板に石を載せた、あの屋根の下の人たちだ。それが番号で数えられていて、数える側の廊下を、いま僕が歩いている。  午後の台は、昨日と同じ場所にあった。板を踏むと、まだ木の匂いがする。  台の脇に木槌の男がいた。目が合う。帽子を取りかけて、途中で手が止まった。 「……あんた、犬の係じゃなかったのか」 「犬の係です」 「勇者様じゃねえか」 「……それも、です」  男は帽子をかぶり直し、台の脚を蹴って具合を確かめた。  人が増えていく。外環から上がってくる者が多いらしく、粉と魚の匂いを連れている。肩から背中へ汗が流れた。 「平民から出たんだってよ!」 「なら、うちのせがれだって出られるじゃないか」  昨日の広間とは、沸き方が違う。遠巻きにしない。前へ前へ来る。伸びてきた手が、剣の鞘をかすめた。  台のすぐ下で、荷を担ぐ肩をした若い男が見上げている。 「あの、どうやったら、なれるんですか」  その声だけが、ほかの声の隙間にすとんと落ちた。 「……え」 「勇者です。何をすりゃ、なれるんで。俺、村の代表に名乗り出りゃいいですか」  からかっている顔ではない。目を細めて、返事を待っている。  なれません、と言えばいい。僕もなっていません、と。喉まで来て、そこで止まる。石畳にいた人はみんな、読み上げられた名を聞いている。 「……僕は、立ってただけです」  男は一瞬きょとんとして、それから破顔した。 「そういうもんか。なら、俺にもできるな!」  どっと沸いた。謙遜と取られたらしい。手を叩く音が広場いっぱいに膨らんでいく。笑い返しながら、今日いちばん遠くまで届いたのが、自分の一番嘘に近い言葉だったと気づいた。  宿舎に戻ると、ヴェッセルが板を一枚持って入ってきた。 「明日は、橋の普請をご覧いただきます」 「見るだけですか」 「ご覧いただくのが、お役目にございます」  扉が閉まる。  部屋には椅子が一つある。座る者が一人しかいないから、数えなくていい。  椅子を引かずに床へ座ると、トラマルが爪を鳴らして寄ってきて、膝の横に体を落とした。板は硬い。広間の敷物のほうがよほど柔らかかったはずなのに、迷いもしない。 「……いいよ。僕は、ここでいい」  言ってから、そういうことにしておこう、と思い直した。膝の裏は、まだ固いままだ。  それでも、あの男みたいに誰かがまっすぐ訊いてきたら、次はもう少しましな返事をしたい。何がましなのかは、まだ分からない。分からないまま、指が首輪の縄の結び目をほどいて、また結び直していた。
カクヨムにて先行公開しています。

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