井氷鹿 / 第10話

3.落花情あれども流水意なし3 The love is one-sided.

 ぼんやり仕事をしているうちに昼休みになり、いつもの社食のいつもの席へと向かう。  あれから一週間。もやもやは治まらない。  一方的に突き放されたのに、納得してる自分がなぁ、情けないよな。  多分、彼女の言い分は正しかったんだ。  好きだったけど、愛してたわけじゃないし、別れて正解だったんだろう、きっと。  僕も、清廉潔白なわけじゃないからなぁ、責められても仕方ないし。  はぁ~っ。  次は自分に夢中になってくれる相手を探すのかな、貴和さんも。  いや、それより問題は、あいつだ。  あの日からずっと、あの顔が頭から離れない。  高校生のまま、時間が止まったみたいだ。  今年、もう四年生だっけ。  文転したって聞いて驚いたけど、上手くやれてるんだろうか。  就職、大丈夫かな。  ……やばい。  大学生のあいつが全然想像できないよ。  僕、何してんだろ。  丼をかき込む音に気づいて顔を上げると、先輩が覗き込んでた。 「どうした。失恋でもしたのか。ため息ついて」  急に先輩に顔を覗き込まれた。  ビックリして瞬きしたら、涙がぼろぼろとこぼれてくる。  何? なぜ今涙が出るんだよっ。  慌てて拭い、顔洗ってきますと断って手洗いに駆け込んだ。  さっぱりして席に戻ったら、なぜか先輩がワクワク顔で待っているよ。   「なんだ、元気無いなぁ。俺でよけりゃ何時でも相談聞いてやるぞ」   そんなニコニコ顔で誘われたって、元気なんか出ませんよ。 「仕事も一段落ついたことだし、どうだ、今日は元気付けで飲みにでも行くか?」   そう言うと先輩は、昼飯の親子丼を食べ始めた。  僕が手を付けずにいた昼定食を箸で指し、「食べろ」というように促す。  「……いただきます」  ギリ二十代に見えなくもないこの先輩は、|平川亮《ひらかわとおる》という。  通産省出の元技官ってのが信じられないくらい、気さく過ぎる人だ。  正直チャラい。   院の研究室から紹介されたこのインターン先――海外プロジェクト推進室の主任だ。  このまま就職まで繋がったらいいな、なんて思ってる。  就職氷河期ど真ん中。この枠は僕の命綱なんだよな。  でも、同門の縁で気にかけてくれるのは、本当にありがたいのだ。  あー、何かの間違いで彼女がひょっこり現れる、なんてことは、絶対にねぇよな。  ちくしょうっ。  そうだ、今夜|崇直《たかお》が来るから話してみるか。    定時で仕事を上がり、とりあえず腹ごしらえしようということになった。  と言っても先輩は夜は殆ど食べないから、たいがい僕一人が食べることになる。  行き先は地下鉄で二駅ほど行った先、いつもの居酒屋だ。  電車内は適度に混んでいて、僕らは入口近くに場所を決めた。  降車駅に着くまで先輩に問われるまま、今までの彼女とのやり取りをざっと話したら、めちゃくちゃ食いついてきたよ。 「あの美人の彼女だろ」  そうだ。一度社屋前で貴和さんと鉢合わせたことがあったんだ。 「学生の分際で、年上の彼女ってだけでもウラヤマなのに」   この野郎と、持っていたカバンで僕を小突く。   何羨ましがってんですか。  そっちはヨリドリミドリのくせに。  こっちはただのセフレ扱いですよ。   「付き合ってたんだろう。いくつだっけ、その彼女」  「三十前後かな。見た目はもっと若いから実際は分からないっス。役職考えたらその辺じゃないかと……」  駅に着き、目的の店に向かう。  改札を出て、交差点を渡った先のアーケード街にその店はあった。  店に入ると威勢の良い店員の声が出迎えてくれた。  いつ来てもこの店は明るい雰囲気で、店員同様出される料理のネタも新鮮で活きが良い。  空いてる席にどうぞと案内される。  今日はどっちだと先輩が聞くから、電車と答えたら即座に店員に向かって「生を二つ」と告げ中央左手の座敷に席を決めた。  先輩が聞いたのは、たまにバイクで通勤することがあるからだ。  大学に顔を出して出勤する時は、バイクのほうが断然機動力が上がる。  愛車は、BMWのR1100RSだ。  選んだ席は、座敷と言ってもテーブル下に足を下ろせるスペースがある、いわゆる掘りごたつ式。  向かいに陣取った先輩を見たら、ニコちゃんで大ごきげんだよ。  愛想笑いを返し、店内を見回したら今日はアジがおすすめとあった。  タイミングを合わせたように、お通しと一緒にジョッキが運ばれてくる。  先輩は上着を脱ぎ、脇によけたブリーフケースの横に軽く丸めて置いた。  僕もジップアップパーカーを脱ぎ丸めて、下げてきたボディバッグを包む。   ビールを飲みながら前を見たら、先輩がさも美味そうに喉を鳴らしてビールを飲んでいた。  ついつられた僕も、一緒にグラスを空けてしまう。  喉が渇いていたから、たまらなく美味かった。思わず口から息が漏れるよ。  視線を戻すと、さあ続きを話し給えとでも言いたげな先輩と目が合ってしまう。 「日向さ、自分が女受け良いの、知らないだろう」  唐突に何を言うかと思ったら。 「僕がですか、まさか。先輩じゃあるまいし」   そうジャブを返したら、軽くスルーされる。 「けっこうな秋波送られてるの、気付いてないもんな」   それより、何ですかそれ。秋波というところで、両手の指をウニョウニョ動かしてキモチワルイ。 「最初の一杯は美味いっスね」   色目とか、マジ勘弁なんだが。  「そんなに嫌そうな顔をしなさんなって」   顔に出てました? と思ってたら先輩がお代わり頼むかとジョッキを掲げる。 「お代わりくださーい」   先輩がオーダーを叫ぶので、僕も合わせてお代わりを叫んだ。  「ウーロンハイ、ジョッキで」 「はーい、喜んで!」    お通しはナスの揚げ浸しで、味が程よくしみ美味かった。  食べ終わったら先輩が自分の分を僕の前に出してくれたので、遠慮なくそれも頂く。  僕がお通しを食べている間に、お代わりの生とウーロンハイ、串焼きの盛り合わせが届いた。  揚げ物はもう少し待ってくれという。先輩が適当に串をとりわけ、残りを器ごと僕の方に差し出した。  酒を呑む時、ほとんど食べない先輩は、酒にめっぽう強い。  空きっ腹にあの勢いでジョッキを空けても素面でいられるんだから、意味分からないよ。  僕はもう頬が火照ってきたというのに。  店内も満席状態になって、賑やかさを増してきた。  先輩は届いた生を、また美味そうに飲んでいる。  半分ほど空けたところで、なにか思いついたのか身を乗り出して聞いてきた。

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