井氷鹿 / 第53話
25.草狩る山路が笛の音3 Every step you take my eyes follow.
紅緒が付属の牛脂をすき焼き鍋に落とした。
良い音がした所で菜箸でそれを広げ、肉を焼く。
紅緒に何度も味見をさせられて作った割り下を、お玉で上からかけていく。
香ばしい匂いとともに湯気が舞い上がる。
火が強かったか。これって水で薄めなくて良いのか。
「白菜から水が出るから、入れちゃって」
そうなんだ。
切っておいた白菜を入れ、紅緒が箸で除けてくれた隙間にしらたきと玉ねぎを入れて。
お麩も忘れずに、焼き豆腐は、っと。
また紅緒が豆腐の場所を作ってくれた。
よし、できた。
最後にもう一度割り下を入れ、蓋をして、と。
「いい匂い、こりゃ美味そうだ」
崇直が僕と紅緒の間に割り込んできた。
そりゃとびきり美味いに決まってるさ。
あんなに真剣に紅緒が作ったんだから。
「崇ちゃん、こっちの野菜持っていってくれる。わーちゃんは鍋持ってって」
鍋を抱えた僕の後ろを、残りの肉と野菜を盛った皿を抱えて紅緒がついてきていた。
ダイニングテーブルに置かれたコンロへすき焼き鍋を乗せて、火にかける。
そのタイミングで、キッチンから炊飯器の電子音が聞こえてきた。
「あ、ご飯!」
わーちゃん、これ、と肉を盛った皿とネギと春菊に焼き豆腐にその他を盛った皿とを紅緒が僕に渡そうとした。
「じゃ、オレがご飯よそうよ」
もう腰を上げていた崇直はそう言うと、僕達と入れ替わりにキッチンへ向かう。
目敏いよなぁ、こういう所。
「崇ちゃんありがとー」
そう言うと、盛った皿をテーブルに置く。
「おう」
しゃもじを持った崇直が応じる。
「じゃあ、こっち仕上げちゃうね」
なんだか昔に戻ったみたいだな。
あの頃は、崇直の家で夕飯食べるか、こっちに崇直たちが来てたんだ。
おばちゃんが作ったおかずを持って、崇直と直樹、樹に紅緒。
だいたいいつも僕が待てなくて、神社の下まで迎えに行ってた。
紅緒の側にはいつも直樹が居たけど、それでも良かったんだ。
「ほい、ごはん」
崇直がカウンター越しに白米をよそった茶碗を差し出した。
「ありがとさん」
はい、わーちゃんの、と言いながら紅緒が僕の席に茶碗を置き、自分のも席に置いて。
崇直が自分の茶碗を持って席に戻ってきた。
「んじゃ」
「いただきまーす」
何年ぶりだろう。皆で食事するのは。
野菜と肉を取って、卵にくぐらせる。
「むちゃくちゃ美味いな」
「ホント?」
目を見開いて紅緒が上目遣いで訊いてきた。
ぐっ。胸が……。
なんだその破壊力は、ったく。
「家じゃママが味キメてくれるから安心だけど、一人で作ったこと無いから」
「う、美味いって。な、崇直」
心臓が痛ぇ。
「肉も野菜もサイコーだな。卵一個じゃ足ンねーぞ」
崇直も遠慮なく、バクバク食ってるよ。
うん。みんなで食べると美味しいよ。
次は樹と狭山も一緒に呼んで焼肉でもするか。
他愛もない話で盛り上がって、笑って。
横で紅緒が笑ってる。崇直も笑顔だ。
二人とも笑顔で、良かった。
やべぇ、また泣きそうだ。
こうやって一緒に暮らせたら良いのに。
どうして上手く行かないんだろう、なぁ。
大人になるって、面倒くせえなぁ。
直樹が居たら、また違ってたのかな。
久しぶりに皆で食べたせいか、すき焼きが美味すぎて箸が止まらない。
釜も空になったと、紅緒が最後にお代わりした僕の茶碗を持ってくる。
「ご飯五合炊いたんだけど、見事に食べちゃったね」
何だかんだと用意した野菜も肉も、全部食べきってしまった。
崇直も僕も大満足で、腹を擦っている。
もう何も入らんぞ。
暫く三人とも腹いっぱい過ぎて、ぼ~っとしてたと思う。
紅緒が皿をキッチンへ下げたのを合図に、のろのろと動き出して、惰性で食器を片付け、そのままリビングへ移動した。
「崇ちゃん、そんな格好してるとここの住人みたいだね」
起き抜けの格好のままの崇直を、紅緒が揶揄して言う。
頭は、まだ爆発したままだよ。
言われた崇直は大して気にした様子もなく、シワが寄ってよれよれのシャツの裾を引っ張って、そーかもななんて言ってるが。
実際、崇直は身だしなみに全く気を配らないのだ。
見てくれだけの僕以上に、彼は整った容姿だし、実際子供の頃からバカみたいにモテてたんだよな。
服装なんて、夏はTシャツにチノパンかジーンズが定番で、冬はそれにシャツを重ねるかパーカーを羽織るくらい。
何なら平気で同じ服を翌日も着てるようなやつだ。
少しくらいおしゃれすれば良いものを、全く興味がないらしい。
だから、未だ彼女がいないんじゃないかと僕は思っているが。