むかいぬこ(@mukainuko) / 第118話

第33話 デートの約束

土曜日の午後。 私は電研の部室で、パソコンに向かっていた。 昨日は親睦会だった。 帰宅したのも遅かったし、朝は少しくらい寝坊してもいいかなと思っていたのだけれど、目が覚めたら結局いつもと大して変わらない時間だった。 習慣とは恐ろしい。 それなら仕事でもしようと大学へ来て、昼までライティングの仕事を片づけ、そのあとは小説を書いている。 「花音先輩、今日も真面目っすねえ」 流留君が隣から覗き込んできた。 「流留君が不真面目なんじゃない?」 「俺、土曜日なのに大学来てますよ?」 「ゲームしてるだけじゃない」 「ゲームの研究っす」 便利な言葉だ。 私は流留君を無視して、原稿へ戻った。 紗栄子をどうするか。 最弱勇者マリリンから得たものは、思っていた以上に大きかった。 相変わらず、あのゲームを名作だとは思えない。 でも。 読者に登場人物を好きになってもらう。 嫌いでもいい。 応援したいでも、腹が立つでもいい。 何かを感じてもらう。 それを意識するだけで、紗栄子の見え方が少し変わった。 スマホが震えた。 美鈴からだった。 《カノン、今日の夜って空いてる?》 《空いてるけど、どうしたの?》 すぐに返事が来た。 《遥の彼氏が合コンやるんだけど、女の子が一人来られなくなったって》 合コン。 私はスマホを見たまま固まった。 昨日、親睦会があったばかりなのに。 今日も飲み会? それに――。 《ごめん。今月もうお金ない》 本当にない。 親睦会だって、私にとっては決して安い出費ではなかった。 しばらくすると返信。 《高級イタリアン》 「…………」 続けてもう一通。 《女子タダ》 私は返信した。 《行く》 即答だった。 「花音先輩?」 「なに?」 「なんか、すげー決断早くなかったっすか?」 「人生には、迷ってはいけないときがあるの」 「何の話っすか?」 私は答えなかった。 高級イタリアン。 しかも、タダ。 行かない理由がない。 * 夕方まで電研で作業をして、私は美鈴たちとの待ち合わせ場所へ向かった。 そこで。 気づいた。 「あ」 自分の服を見る。 いつもの服。 大学へ来て、パソコンで仕事をするだけのつもりだったので、本当にいつもの服だ。 髪だって特に何もしていない。 化粧も最低限。 美鈴と遥は、ちゃんとしている。 「カノンちゃん、今日も可愛いよ」 遥が言ってくれた。 「それ、絶対フォローだよね」 「あはは」 否定しないんだ。 「大丈夫だって。カノンは素材がいいから」 美鈴まで言う。 「ミリン、それ褒めてる?」 「褒めてる、褒めてる」 二人を見る。 もう一度、自分を見る。 まあ。 食べに行くだけだし。 「ま、いっか」 「いいの?」 「だって、イタリアン食べに来ただけだから」 「カノン、合コンだからね?」 「分かってるよ」 たぶん。 * 結果から言えば。 高級イタリアンは、おいしかった。 ものすごく、おいしかった。 合コンは。 そうでもなかった。 「はあ~、最悪だったね~」 店を出るなり、遥が肩を落とした。 「ごめんね、カノンちゃん。急に呼んだのに」 「ううん。料理おいしかったから」 「そこ?」 「そこ」 実際、それだけで十分だった。 男性陣の話は、あまり覚えていない。 誰がどこの大学で、誰が何をやっていて。 一人はやたら自分の話をしていた気がする。 もう一人も、似たようなものだった。 ただ。 「でも、小机君はまともだったんじゃない?」 私が言うと、美鈴がこちらを見る。 「ああ、カノンの正面にいた人?」 「うん」 「確かに、あの中じゃ一番普通だったかも」 小机弁岳《こづくえべんがく》君。 同い年。 少し小柄で、やや丸みのある体形。 度の強そうな眼鏡に、きっちり分けた髪。 いかにも真面目そうな人だった。 合コンの間も、ほかの男子みたいに自分の話ばかりすることはなく、私の話をちゃんと聞いてくれた。 それだけで、かなり印象が違った。 「花音、小机君と結構喋ってたよね」 「たまたま向かいだったからだよ」 「ふーん」 美鈴が妙な笑い方をする。 「なに?」 「別にー」 やめてほしい。 私たちは新宿駅で別れた。 「今日は本当にごめんね」 遥がもう一度謝った。 「だから大丈夫だって」 「でも、急に呼んじゃったし」 「おいしかったから」 「カノンちゃん、それしか言ってないよ」 だって、本当にそれしかない。 私は二人に手を振り、京王線のホームへ向かった。 土曜日の夜。 ホームには、電車を待つ人の列ができている。 その横を歩いていると。 見覚えのある顔があった。 「あ」 さっきまで一緒にいた。 小机君だ。 どうしよう。 声をかける? 別に、かけなくてもいい。 でも。 せっかく一緒に食事をしたのに、知らないふりをするのも変な気がした。 「あの、小机君」 声をかけると、彼が振り返った。 「あ、綾瀬さん」 少し驚いたあと、すぐに笑った。 「さっきはどうも」 「こちらこそ。ごちそうさまでした」 「いえいえ。僕が払ったわけじゃないですけど」 「あ、そうだった」 二人で笑った。 「小机君って、聖蹟桜ヶ丘だっけ?」 「そうです。綾瀬さんは八王子でしたよね」 「うん」 ちょうど電車が入ってきた。 そのまま二人で乗る。 幸い、それほど混んでいなかった。 並んでつり革につかまる。 「そういえば、小机君の大学って日吉だよね?」 「はい」 「聖蹟桜ヶ丘からだと、かなり遠くない?」 「普段は電車じゃないんです」 「じゃあ車?」 「車のときもありますけど、最近は自転車が多いですね」 「自転車?」 頭の中に地図を広げる。 日吉。 聖蹟桜ヶ丘。 「……行けるの?」 「行けますよ」 「ママチャリで?」 小机君が笑った。 「ロードバイクです」 「ああ」 なんとなく分かった。 細いタイヤ。 変な形のハンドル。 そして、身体にぴったりした服。 私は小机君を見る。 想像する。 「……似合わない」 「え?」 「なんでもない」 危ない。 声に出ていた。 「でも、どうして聖蹟桜ヶ丘なの?」 一人暮らしだと聞いていたから、素直な疑問だった。 ところが。 「好きなんです」 小机君からは意外な答えが返ってきた。 「え?」 好き? 「僕――」 一瞬だけ。 心臓が跳ねた。 「『耳をすませば』が好きなんです」 「…………」 「映画の舞台が聖蹟桜ヶ丘なんですよ」 「ああ……」 びっくりした。 何を勘違いしているんだ、私は。 「主人公の女の子が好きで」 「へえ」 「読書が好きで、小説を書く女の子なんです」 「あれ?」 「どうしました?」 「わたしみたい」 言ってから、恥ずかしくなった。 自分で何を言っているのだ。 でも、小机君は笑わなかった。 「僕も思いました」 「え?」 「今日、綾瀬さんが小説を書いてるって聞いて」 そういえば合コンで、そんな話をした。 「なんとなく、雫が大学生になったら、綾瀬さんみたいな感じなのかなって」 「そんなことないよ」 「そうですか?」 「わたし、そんな主人公みたいな人じゃないし」 地味だし。 恋愛経験もないし。 官能小説を書いているし。 最後のは言えない。 「でも、今日話してて、いい人だなとは思いましたよ」 あまりにも普通に言うので、反応が遅れた。 「……え?」 「綾瀬さん」 「う、うん」 「話してる相手の話、ちゃんと聞くじゃないですか」 「普通じゃない?」 「今日のメンバー見てたら、そうでもなかったでしょ?」 それは。 ちょっと分かる。 「それに、小説を書いてる人って、僕は好きですよ」 「それは、わたしじゃなくてもいいんじゃない?」 「確かに」 あっさり認めた。 思わず笑ってしまった。 小机君も笑う。 なんだろう。 この人とは、話しやすい。 早川君とは違う。 流留君とも違う。 変に身構えなくても、向こうから会話を運んでくれる。 やがて電車は府中を過ぎ、席が空いたので並んで座った。 「綾瀬さん」 「ん?」 「来週の土曜日、空いてます?」 唐突だった。 「土曜日?」 「はい」 「今のところは……」 「じゃあ、ドライブ行きません?」 「え?」 あまりにも自然に言われたので、一瞬意味が分からなかった。 「奥多摩の方。車で」 「わたしと?」 「ほかに誰がいるんですか」 小机君が笑う。 「嫌なら全然いいですけど」 「嫌じゃないけど……」 「じゃあ、行きましょう」 決まった。 早い。 「八王子まで迎えに行きますよ」 「いいよ、そんなの。遠いでしょ」 「聖蹟からなら大した距離じゃないです」 そう言ってスマホを出す。 「連絡先、交換しません?」 「あ、うん」 流れるように話が進んでいく。 私は言われるままに連絡先を交換した。 「あと」 「なに?」 「同い年だし、敬語やめましょう」 「あ」 私はタメ口だった。 「そうだね。なんか堅苦しいし」 「じゃあ、花音ちゃんって呼んでもいい?」 「僕の事は『弁岳君』とでも呼んで」 「うん」 早い。 この人、見た目よりずっと早い。 「あ、次、聖蹟桜ヶ丘じゃない?」 「本当だ」 小机君――弁岳君が立ち上がる。 「じゃあ、詳しいことはあとで送るね」 「うん」 電車が止まった。 ドアが開く。 「またね、花音ちゃん」 「またね、弁岳君」 ホームへ降りた弁岳君が振り返る。 私もドアの前まで行って、軽く手を振った。 やがてドアが閉まる。 電車が動き出した。 ホームに立つ弁岳君が、少しずつ遠ざかっていく。 私は閉じたドアの向こうを、しばらく眺めていた。 走り出した電車が、弁岳君を小さくする……。 その姿がホームの人混みに紛れて見えなくなってから、私は席へ戻った。 そして。 「…………」 今さらながら、とんでもないことに気づいた。 私、デートの約束をした? それも、男の子と二人きりでドライブ。 しかも。 「弁岳君……」 名前で呼んでる。 さっきまで小机君だったのに。 同い年だから敬語をやめようと言われて、花音ちゃんと呼ばれて、私も弁岳君と呼んだ。 その間、ほとんど迷わなかった。 「…………」 おかしい。 以前の私なら、こんなに簡単に男の子との距離を縮められただろうか。 流留君は違う。 あの子は最初から、私の中では『年下の男の子』だった。 妙に馴れ馴れしいし、距離も近いけれど、なぜか緊張しない。 もし弟がいたら、こんな感じなのかなと思ったくらいだ。 でも。 弁岳君は違う。 同い年の男の子。 今日会ったばかり。 それなのに私は、その男の子からドライブに誘われて、あっさり「うん」と答えてしまった。 なんなら、ちょっと楽しみでもある。 「……わたし、どうしたんだろ」 窓に映った自分を見る。 別に、弁岳君を好きになったわけじゃない。 そんなはずはない。 だって。 好きな人なら、もういる。 その人と話すだけで、今は余計なことまで考えてしまう。 隣に誰かが座れば気になる。 別の女の人と親しそうにしていれば、もっと気になる。 なのに。 弁岳君とは普通に話せた。 普通に笑えた。 そして、普通に誘いに乗った。 早川君を好きになってからの方が、早川君以外の男の子と普通に話せるようになっている。 なんだか、おかしな話だ。 もしかすると。 恋を知ったから、男の人がみんな『よく分からない怖いもの』ではなくなったのかもしれない。 好きな人と。 そうじゃない人。 少なくとも、その違いくらいは。 今の私にも、分かる。 「…………」 そこまで考えて。 もう一つ、気づいた。 来週の土曜日。 弁岳君とドライブ。 「早川君に……言う必要はないよね」 口に出してから、自分で首を傾げた。 どうして今、早川君が出てきたんだろう。 電車はそのまま、八王子へ向かって走っていった。
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