むかいぬこ(@mukainuko) / 第119話
第34話 ダブルデート
「海!」
渋谷のハチ公前。
待ち合わせ場所に着いた紗栄子は、人混みの向こうに海を見つけて、小走りに駆け寄った。
約束の時間は、五分ほど過ぎている。
わざとだった。
いつも梨花に待たされている紗栄子としては、一度くらい自分も待たせる側になってみたかったのだ。
しかも今日はデート。
女の子を待っている間、少しくらいそわそわしたり、時計を気にしたりしてくれてもいい。
そう思っていたのだけれど。
海はスマホを弄っていた。
「あ」
紗栄子に気づいて顔を上げる。
それだけだった。
「遅い。あと一分待って来なかったら帰ってた」
「早っ!」
十五分くらい待ってよ。
せめて十分。
「ごめん。電車が遅れてて」
「嘘つけ」
「…………」
バレている。
「行くぞ」
「あ、待ってよ」
海はさっさと歩き始める。
紗栄子は慌ててそのあとを追った。
これが。
二人にとって初めてのデートだった。
海とは、撮影のあと偶然再会した。
あのまま会えなくなると思っていたから、見つけた瞬間、考えるより先に身体が動いていた。
連絡先を聞いた。
そして、自分から誘った。
海は面倒そうな顔をしたけれど、それでも来てくれた。
だから今日は。
それだけで、かなり嬉しい。
「どこ行くの?」
「飯」
「それは聞いた。どこ?」
「着けば分かる」
「教えてくれてもいいじゃん」
「じゃあ、お前が決めろ」
「知らないから聞いてるんでしょ」
「うるさいな」
愛想がない。
せっかく女の子とデートしているのに。
もっと楽しそうにできないのだろうか。
でも。
そういう人なのだということも、少しずつ分かってきた。
二人で細い路地へ入る。
そのとき、後ろから車の音がした。
「おい」
肩を掴まれた。
「え?」
身体を引かれ、海と場所が入れ替わる。
直後、すぐ横を車が通り抜けた。
「危ないだろ」
海が道路側。
紗栄子が建物側。
「…………」
「なんだよ」
「別に」
「なら行くぞ」
また歩き出す。
紗栄子は、その背中を見た。
たぶん海は、何も考えていない。
格好をつけようとしたわけでもない。
自分を良く見せようとしたわけでもない。
ただ、車が来たから場所を替わった。
それだけ。
だから余計に。
胸の奥が、くすぐったくなった。
「あのさ、海」
「なんだ」
「私、海のこと好きかも」
海の足が止まった。
振り返る。
「……急になんだよ」
「今、分かった」
「知らねえよ」
また歩き出した。
「ちょっと! そこ、何かないの?」
「何かってなんだよ」
「私、好きって言ったんだけど!」
「聞こえた」
「じゃあ何か言ってよ!」
「腹減った」
「もう!」
紗栄子は頬を膨らませながら、そのあとを追った。
でも。
顔は笑っていた。
好きだと気づいてしまった。
そうすると、前を歩いている海の背中まで、さっきとは違って見える。
早く追いつきたい。
隣を歩きたい。
そんなことを思った。
*
店は、細い路地の奥にあった。
外から見ただけではレストランだと分からない。
「こんなところ知ってるんだ」
「前に来たことある」
「女の子と?」
「なんでそうなる」
「気になるから」
海は答えなかった。
怪しい。
向かい合って座り、料理を食べる。
普段なら絶対に頼まないようなものばかりだったけれど、今日は少しくらい贅沢してもいい。
だってデートなのだから。
「お前」
「ん?」
「なんで仕事続けてるんだ?」
紗栄子の手が止まった。
「仕事?」
「最初は一回だけって言ってただろ」
「……うん」
「なのに続けてる」
紗栄子はフォークの先を見る。
理由はいくつかあった。
お金も必要だった。
一度始めたら、思っていたより簡単には割り切れないことも知った。
でも。
一番大きかったのは。
「海に会えるかもしれないと思ったから」
「は?」
「連絡先、知らなかったし」
あのときは。
「もう一回、会いたかった」
海が黙った。
「だから、もしかしたらって」
「馬鹿じゃないのか」
「また馬鹿って言った!」
「そんな理由で続ける奴があるか」
「だって会えたじゃん」
「偶然だろ」
「でも会えた」
紗栄子は笑った。
海は呆れたようにため息をついた。
でも。
帰れとは言わない。
向かいに座ったまま、料理を食べている。
それでいい。
今日は仕事じゃない。
カメラもない。
スタッフもいない。
演技もしなくていい。
ただ。
好きな人と一緒にいる。
それだけで、こんなに楽しい。
紗栄子はテーブルの下で、靴のつま先を小さく揺らした。
*
土曜日。
私は朝から、台所に立っていた。
「……こんなものかな」
卵焼きを一つつまんで、口に入れる。
うん。
悪くない。
今日は弁岳君と出かける。
先にお弁当を作ろうかとメッセージを送ったら、
《早起きさせるのは悪いから、無理しなくていいよ》
と返ってきた。
そのあとに、
《でも、作ってくれたら嬉しい》
とも書いてあった。
なんだか、うまい。
作らなくてもいい。
でも、作ったら嬉しい。
そんなふうに言われたら、作りたくなってしまう。
流留君なら、たぶん最初から、
《マジっすか! 絶対お願いします!》
くらい言う。
同じ年下でも、ずいぶん違う。
いや。
弁岳君は年下じゃない。
同い年だ。
どうも流留君と続けて知り合ったせいで、頭の中の分類がおかしくなっている。
お弁当を詰め終える。
時計を見る。
まだ余裕がある。
シャワーを浴びて、髪を乾かし、クローゼットの前に立った。
「…………」
何を着ていこう。
弁岳君からは、少し歩くから動きやすい格好で、と言われている。
だったらスニーカー。
服も、それに合わせればいい。
そこまでは簡単なのだけれど。
私は何着か取り出して、鏡の前で合わせた。
違う。
これも違う。
「……なんでわたし、こんなに悩んでるんだろ」
デートだから?
そう考えて。
少しだけ手が止まった。
デート。
先週、自分でそう認識したばかりなのに、改めて考えると落ち着かない。
男の子と二人で出かける。
車で。
お弁当まで作って。
これだけ並べると、かなりデートっぽい。
いや。
デートなんだけど。
「…………」
ふと。
早川君の顔が浮かんだ。
私は慌てて、手に持っていた服を戻した。
関係ない。
今日は弁岳君と出かけるのだ。
早川君は関係ない。
結局、動きやすい服を選んだ。
少しだけメイクもする。
髪も整える。
最後に鏡を見る。
「……まあ、こんなものかな」
別に気合いを入れたわけじゃない。
人と出かけるのだから、これくらい普通だ。
鞄にお弁当を入れて、家を出た。
*
京王八王子駅。
約束の十分前に着いた。
まだ少し早い。
そう思って周囲を見回す。
「……え?」
赤い車が停まっていた。
低い。
ものすごく低い。
車に詳しくない私でも、普通の車ではないことくらい分かる。
その横に立っている男の人を見て。
さらに驚いた。
「……弁岳君?」
「おはよう、花音ちゃん」
手を上げる。
弁岳君だった。
でも。
合コンで会ったときとは、まるで雰囲気が違う。
眼鏡をかけていない。
きっちり分けられていた髪も、今日は自然に崩してある。
服装もずっと軽い。
「どうしたの?」
「え?」
「すごい見てるから」
「あ、ごめん」
私は慌てて視線を逸らした。
「この前と、全然違うなって」
「ああ」
弁岳君は自分の髪に触れた。
「休日はいつもこんな感じだよ」
「そうなんだ」
同じ人なのに。
ずいぶん印象が違う。
それから車を見る。
「これ、弁岳君の?」
「うん」
「すごいね」
「マツダのロードスター」
言われても分からない。
たぶん、それが顔に出た。
弁岳君が笑う。
「花音ちゃん、車詳しくないでしょ」
「はい。まったく分かりません」
「正直だね」
弁岳君が助手席側へ回った。
ドアを開ける。
「どうぞ」
「……ありがとう」
自然だ。
あまりにも自然なので、こっちが戸惑う。
「座席低いから気をつけて」
「うん」
言われた通り足を入れて、身体を沈める。
「わっ」
思っていたよりずっと低い。
道路に直接座っているみたいだ。
「大丈夫?」
「大丈夫。びっくりしただけ」
弁岳君が笑ってドアを閉めた。
それから運転席へ回り、乗り込んでくる。
車内には小さな音で音楽が流れていた。
ジャズだろうか。
「シートベルト大丈夫?」
「うん」
弁岳君もベルトを締める。
エンジンがかかった。
低い音と一緒に、座席へ細かな振動が伝わってくる。
「今日はまず都民の森。それから奥多摩の方へ回って、夕方くらいには戻ってくる予定」
「うん。お任せします」
「じゃあ、行こうか」
車がゆっくり動き始める。
駅前の景色が後ろへ流れていく。
「うわ……低い」
「そこ?」
「だって、すごいよ。地面すれすれを走ってるみたい」
弁岳君が笑った。
私は窓の外を見る。
初めてのドライブ。
初めて、男の子と二人きりで車に乗って出かける。
少し前の私だったら。
こんなこと、想像できただろうか。
そう考えているうちに、車は八王子の街を抜けていった。