むかいぬこ(@mukainuko) / 第121話
第36話 好きな人いるでしょ
土曜日。
電研の部室でパソコンを借りるようになってから、何度目の土曜日だろう。
画面に表示された原稿を最初から読み返し、気になったところを少し直す。
また読む。
直す。
「……うん」
もう、大きく書き直すところはない。
まだ完成ではない。
でも、最後までの道筋は見えている。
紗栄子がどうなるのか。
海との関係をどう終わらせるのか。
少し前まで、書いては止まり、止まっては早川君に相談していた小説が、今は自分の力で最後まで進もうとしている。
嬉しい。
でも。
ほんの少しだけ、寂しい。
私は原稿を保存した。
図書館のパソコンも、来週には使えるようになるらしい。
そうなれば、毎日のようにここへ来る必要もなくなる。
「花音先輩」
「なに?」
「最近、冷たくないっすか?」
いた。
私の隣に。
今日も。
「なんで?」
「さっきから俺、三回くらい話しかけてるんすけど」
「小説書いてるから」
「俺より小説が大事なんすか?」
「比べるまでもないかな」
「ひどっ」
流留君が胸を押さえる。
大げさだ。
でも。
このやり取りにも、すっかり慣れてしまった。
最初は馴れ馴れしい子だと思った。
人のパソコンを覗き込むし。
すぐ隣に座るし。
聞いてもいないことまで喋る。
それなのに。
不思議と嫌ではなかった。
「そういえば」
流留君が、またこちらを見る。
「先週の土曜日、花音先輩いなかったっすよね」
「うん」
「何してたんすか?」
「出かけてた」
「どこへ?」
「奥多摩」
「誰と?」
「…………」
面倒くさい。
「友達」
「男?」
どうして分かる。
私は流留君を見る。
にやにやしている。
「そうだけど」
「マジっすか!」
声が大きい。
「静かにして」
「デート?」
「……まあ」
「マジで!?」
もっと大きくなった。
向島先輩がこちらを向きかけ――。
やっぱり向かなかった。
「誰っすか?」
「流留君の知らない人」
「大学の人?」
「違う」
「年上?」
「同い年」
「どこ行ったんすか?」
「だから奥多摩」
「何したんすか?」
「ドライブ」
「車持ってるんすか?」
「持ってる」
「金持ち?」
「たぶん」
「イケメン?」
「……今日はやけに食いつくね」
「そりゃ食いつきますよ!」
何が「そりゃ」なのか分からない。
「楽しかったっすか?」
その質問だけ。
少し声が違った。
私は流留君を見る。
「うん」
嘘をつく理由はない。
「楽しかったよ」
「……そっか」
流留君が笑った。
いつもの顔だった。
でも。
ほんの少しだけ、間があった。
気がした。
「じゃあ、俺ともデートしてくださいよ」
「なんでそうなるの」
「そいつとはデートしたんでしょ?」
「そいつって言わない」
「じゃあ俺とも」
「嫌」
「即答!」
流留君が机に突っ伏した。
「花音先輩、差別っす」
「差別じゃないよ」
「じゃあデート」
「それは違う」
「何が違うんすか」
何が。
そう聞かれると、説明が難しい。
弁岳君とは、デートだった。
流留君と二人で出かけても。
たぶん私は、それをデートだとは思わない。
「流留君は……流留君だから」
「一番傷つくやつ!」
「なんでよ」
顔を上げた流留君は、笑っていた。
だから私も笑った。
「でもさ」
私はパソコンを見る。
「もうすぐ、これも完成するから」
「小説?」
「うん。それに図書館のパソコンも、来週くらいには使えるようになるみたい」
「ああ……」
「だから、ここでパソコン借りることも減ると思う」
言ってから。
なんとなく部室を見回した。
最初に来たときは、変なところだと思った。
女の人とまともに話せない向島先輩。
ゲームばかりしている部員たち。
そして、やたら馴れ馴れしい流留君。
でも。
ここでパソコンを貸してもらった。
小説のヒントももらった。
随分助けてもらった。
「そうだ」
私は流留君を見る。
「今までのお礼に、何か付き合ってあげようか」
「マジっすか?」
食いつきが早い。
「映画とか。ご飯とか。行きたいところある?」
「何でも?」
「できる範囲でね。高いところは無理」
「じゃあ――」
流留君が考える。
映画。
遊園地。
どこかへ遊びに行く。
そんな答えが来ると思った。
「花音先輩のご飯、食べたい」
「……ご飯?」
「作ってください」
「わたしが?」
「はい」
「どこで?」
「俺んち」
「…………」
そう来たか。
「何食べたいの?」
「カレー」
「カレー?」
「はい」
思わず笑ってしまった。
何でもいいと言ったのに。
カレー。
「もっと手の込んだものでも作れるよ?」
「カレーがいいっす」
「なんで?」
「初めて好きな女の子が家に来て、ご飯作ってくれるなら、カレーって決まってるじゃないっすか」
「…………」
私は流留君を見る。
今。
なんて言った?
「好きな女の子?」
「あ」
流留君が笑った。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「じゃあ今言いました」
あまりにも軽い。
「俺、花音先輩のこと好きっすよ」
「…………」
どう反応すればいいのだろう。
驚いた。
でも。
早川君に好きな人がいると聞いたときのように、胸がざわつくことはない。
弁岳君から「また会いたい」と言われたときのような、くすぐったさとも違う。
ただ。
流留君らしいと思った。
「でも」
流留君が続ける。
「花音先輩、好きな人いるでしょ」
今度こそ。
私は固まった。
「……なんで?」
「分かりますよ」
「言ったことないよね?」
「言ってないっす」
「じゃあ、なんで」
流留君は椅子の背にもたれた。
「俺といるときと違うから」
「何が?」
「その人のこと考えてるとき」
私は何も言えなかった。
「この前も、たまにそういう顔してたし」
「どんな顔?」
「知らないっす」
「知らないの?」
「説明できない。でも、俺に向ける顔じゃない」
流留君は笑った。
少しだけ。
いつもより静かに。
「だから、俺が恋愛対象じゃないのも分かってます」
「流留君……」
「でも、好きなのは俺の勝手でしょ?」
さらっと言う。
まるで、今日の昼ご飯を何にするかというくらいの調子で。
私は少し困った。
そして。
少しだけ、胸が痛んだ。
「ごめん」
「なんで謝るんすか」
「だって」
「俺、振られてないっすよ」
「え?」
「まだ付き合ってくださいって言ってないし」
屁理屈だ。
「そのうち言うかもしれないけど」
「言うんだ」
「チャンスがあったら」
「ないと思うよ」
「ひどっ!」
いつもの流留君に戻った。
私も笑った。
でも。
さっきの言葉は、消えなかった。
――俺といるときと違うから。
弁岳君も、似たようなことを言っていた。
私が時々、遠くへ行く、と。
もしかして。
そんなに分かりやすいのだろうか。
私。
「で」
流留君が言う。
「カレー」
「……はいはい」
「作ってくれるんすか?」
「いいよ」
「やった!」
両手を上げて喜んでいる。
私は思わず笑った。
好きな女の子が家に来るというのに。
望むものはカレー。
「ちょろっ」
「今なんて言いました?」
「なんでもない」