むかいぬこ(@mukainuko) / 第122話
第37話 傷つくのが怖いの?
京浜東北線は、もうすぐ赤羽駅へ着こうとしていた。
私はスマホで時間を確認した。
九時四十八分。
待ち合わせは十時。
ちょうどいい。
昨日、流留君に、
《じゃあ明日、十時に赤羽駅ね》
と送ったら、
《了解っす! 腹空かせて待ってます!》
と返ってきた。
いや。
待ち合わせるのだから、待っているのはおかしい。
そんなことを思いながら電車を降り、改札へ向かった。
待ち合わせ場所は、改札を出たところにあるドーナツ屋の前。
九時五十二分。
当然、流留君はいない。
まあ、まだ八分ある。
私は壁際に立って待った。
十時。
来ない。
十時五分。
来ない。
十時十分。
……来ない。
十時十五分。
私はスマホを取り出した。
電話をかける。
何度か呼び出し音が鳴って。
『ふぁ~い』
「…………」
寝てる。
絶対寝てる。
「流留君」
『はい?』
「今、どこ?」
『…………』
沈黙。
そして。
『うわあああ!』
スマホを耳から離した。
『すみません! すぐ行きます! マジですぐ!』
「十分以内」
『え?』
「十分以内に来なかったら帰る」
『無理っす!』
「じゃあ帰る」
『待って待って待って!』
電話を切った。
昨日。
好きな女の子が家に来て料理を作ってくれる、と言っていた男が。
寝坊した。
どういう神経をしているのだろう。
弁岳君なら、たぶん約束の十分前には来ている。
早川君だって遅刻はしない。
そう考えて。
なんで私は、男の人を比べているのだろう。
*
結局。
流留君が現れたのは十時半だった。
「すみませーん!」
走ってくる。
よれよれのTシャツ。
適当なジーンズ。
サンダル。
髪は寝癖だらけ。
「…………」
「いやあ、昨日ちょっと寝つけなくて」
「なんで?」
「遠足前の小学生みたいになっちゃって」
「は?」
「花音先輩が家に来ると思ったら」
「…………」
そういうことを。
この子は。
本当に普通に言う。
「顔、洗った?」
「洗いましたよ!」
「歯は?」
「磨いた!」
「髪は?」
「これは仕様っす」
「寝癖でしょ」
「仕様っす」
もういい。
「スーパーどこ?」
「あっちっす」
流留君が歩き出す。
私はため息をついて、そのあとを追った。
でも。
少し笑ってしまった。
まあ。
流留君だから仕方ない。
*
スーパーで材料を買った。
玉ねぎ。
じゃがいも。
にんじん。
肉。
カレールー。
「本当に普通のカレーでいいの?」
「普通がいいっす」
「もっと何か作れるよ」
「カレーがいい」
「子供みたい」
「男はみんなカレー好きなんすよ」
「偏見」
「花音先輩の手作りなら何でも好きっすけど」
「…………」
また。
私は買い物かごへ玉ねぎを入れた。
「そういうこと、恥ずかしくないの?」
「何が?」
「だから……そういうこと」
「好きって言うこと?」
「…………」
どうして、この子は。
こちらが避けようとした言葉を、わざわざ拾ってくるのだろう。
「別に恥ずかしくないっすよ」
「そう」
「好きなんだから仕方ないじゃないっすか」
「はいはい」
「流した」
「カレールー選んで」
「辛口」
「却下」
「なんで聞いたんすか!」
*
流留君の部屋は、駅から十分ほど歩いたところにあった。
アパートというより、小さなマンション。
階段を上がり、流留君が鍵を開ける。
「どうぞ」
「お邪魔します」
玄関へ入る。
靴を脱ぎながら、少しだけ思った。
男の子の一人暮らしの部屋。
以前の私だったら。
きっと、この時点でかなり緊張していた。
「花音先輩」
「なに?」
「緊張してます?」
「してないけど」
「またまた」
「本当にしてない」
「男の部屋っすよ?」
「知ってる」
「二人きりっすよ?」
「それも知ってる」
「俺、一応花音先輩のこと好きなんすけど」
「それは昨日聞いた」
流留君が少し不満そうな顔をした。
「なんか反応薄くないっすか?」
「だって」
私は靴を揃えた。
「男の子の一人暮らしの部屋、初めてじゃないし」
「…………」
流留君が止まった。
「え?」
「初めてじゃない」
「ちょっと待って」
「なに?」
「誰んち?」
「友達」
「男?」
「男の子の部屋って言ってるでしょ」
「何回?」
「何回って……」
数えたことはない。
「結構」
「結構!?」
「うるさい」
「泊まったことは?」
「…………」
しまった。
「あるんすか!?」
食いついた。
ものすごく食いついた。
「一回だけ」
「マジで!?」
「終電なくなったから!」
「何もなかった?」
「何もない!」
「ホントに?」
「本当に!」
私は買い物袋を流留君に押しつけた。
「もう帰ろうかな」
「すみません! もう聞きません!」
「絶対?」
「たぶん」
「帰る」
「絶対! 絶対聞きません!」
まったく。
*
部屋は、思っていたより普通だった。
散らかってはいる。
でも、足の踏み場がないほどではない。
パソコン。
ゲーム機。
本。
漫画。
脱ぎっぱなしの服。
「これ片づけて」
「あとで」
「今」
「はい」
流留君が床の服を拾う。
私はキッチンへ向かった。
狭い。
一口のコンロ。
小さなシンク。
調理器具も最低限しかない。
「包丁ある?」
「あります」
「まな板」
「あります」
「鍋」
「たぶん」
「たぶん?」
「探します」
よくこれでカレーを作ってくれと言ったものだ。
流留君が戸棚を漁っている間に、私は買ってきたものを並べた。
「花音先輩」
「なに?」
「エプロン持ってきたんすか?」
「服汚したくないから」
「いいっすね」
「何が?」
「彼女感」
「…………」
振り返る。
「カレー食べたくない?」
「食べたいっす」
「じゃあ黙る」
「はい」
*
材料を切って。
炒めて。
水を入れる。
煮込む。
やること自体は、いつもの料理と変わらない。
流留君も、最初こそ手伝おうとしていた。
玉ねぎを切らせたら、大きさが全部違った。
にんじんを頼んだら、なぜか皮を半分残した。
邪魔なので追い出した。
「花音先輩」
「なに?」
流留君はキッチンの外から、こちらを見ている。
「暇なんだけど」
「ゲームでもしてれば?」
「せっかく花音先輩いるのに?」
「じゃあ話してれば」
「いいんすか?」
嫌な予感がした。
「……変なことじゃなければ」
「好きな人って、どんな人なんすか?」
いきなり土足で来た。
「変なことって言ったでしょ」
「変じゃないっすよ」
「変」
「年上?」
「言わない」
「同い年?」
「言わない」
「大学の人?」
「言わない」
「俺の知ってる人?」
「流留君」
「はい」
「玉ねぎ、もう一個切る?」
「黙ります」
勝った。
鍋を混ぜる。
しばらく静かになった。
でも。
五分ともたなかった。
「告白しないんすか?」
手が止まった。
「…………」
「好きな人に」
私は鍋を見る。
「しないよ」
「なんで?」
「なんでって」
「好きなんでしょ?」
「そうだけど」
言ってから。
気づいた。
初めて。
流留君に認めてしまった。
「ほら、やっぱりいるじゃないっすか」
「……昨日から分かってたんでしょ」
「まあ」
「じゃあ聞かないで」
「で、なんで告白しないんすか?」
「だから……」
鍋を混ぜる。
ルーはまだ入れていない。
野菜が煮えるのを待つだけ。
なのに。
私はずっと、お玉を動かしていた。
「その人には、好きな人がいるから」
「へえ」
「だから言っても困らせるだけでしょ」
「そうっすかね」
「そうだよ」
「でも、花音先輩」
「なに?」
「俺も花音先輩に好きな人いるって分かってるけど、言いましたよ」
「…………」
痛いところを突く。
「流留君とわたしは違うの」
「何が?」
「性格」
「便利な言葉っすね」
「うるさいな」
「それに」
流留君が言った。
「昨日のデートの人も、花音先輩のこと好きなんでしょ?」
また手が止まった。
「……なんで分かるの?」
「分かるでしょ。男と二人でドライブして、次の約束までしてるんだから」
「次の約束したなんて言ってない」
「あ」
しまった。
「したんだ」
「…………」
流留君がにやっとする。
「花音先輩、モテるじゃないっすか」
「違うから」
「何が?」
「弁岳君は……」
名前まで言ってしまった。
もう嫌だ。
「弁岳君っていうんすね」
「忘れて」
「無理っす」
「カレーなし」
「忘れました」
早い。
私はルーの箱を開けた。
「でも」
まだ言う。
「その弁岳君って人も、ちゃんと花音先輩に伝えてるわけでしょ」
「好きとは言われてないよ」
「でも、分かるようにはしてる」
「…………」
それは。
そうかもしれない。
――また花音ちゃんに会いたいから。
あのとき。
弁岳君は、まっすぐ私を見て言った。
そして昨日。
流留君も。
――俺、花音先輩のこと好きっすよ。
二人とも。
言葉にしている。
伝わるように。
私は?
私は。
早川君に何を伝えただろう。
好きだと気づいて。
怖くなって。
互助関係まで終わらせた。
好きだから。
近くにいることが苦しくなって。
自分から離れた。
これでは。
伝わるわけがない。
むしろ。
反対のことを伝えている。
「花音先輩?」
「……なに?」
「焦げてない?」
「え?」
慌てて鍋を見る。
焦げてはいない。
「びっくりさせないで!」
「ずっと同じところ混ぜてるから」
「誰のせいよ!」
「俺?」
「そう!」
*
「うまっ!」
カレーを一口食べた流留君が叫んだ。
「普通のカレーだよ」
「花音先輩が作った時点で普通じゃないっす」
「大げさ」
「おかわりしていい?」
「もう?」
「はい」
早い。
私は笑いながら、流留君の皿を受け取った。
「ご飯も?」
「大盛りで」
「太るよ」
「成長期なんで」
「大学生でしょ」
皿にご飯を盛る。
カレーをかける。
流留君へ渡す。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
流留君は本当に嬉しそうに食べている。
なんだか。
子供にご飯を食べさせているみたいだ。
「花音先輩」
「今度はなに?」
「俺、結構いいと思うんすけどね」
「何が?」
「俺」
「…………」
「料理作ってくれたら毎回こんなに喜びますよ」
「そこ?」
「浮気もしないし」
「知らないよ」
「年下だし、可愛いし」
「自分で言う?」
「お買い得っすよ」
「通販みたい」
流留君が笑った。
私も笑った。
「でも」
流留君はスプーンを動かしながら言った。
「花音先輩がその人好きなら、仕方ないっす」
「…………」
「俺が好きだからって、花音先輩が俺を好きになるわけじゃないし」
あっさり。
本当にあっさり言う。
だけど。
たぶん。
この子は全部分かっている。
「流留君」
「はい?」
「ごめんね」
「だから、謝らなくていいっすよ」
「でも」
「その代わり」
流留君が皿を差し出した。
「もう一杯」
「まだ食べるの!?」
「失恋にはカレーっす」
「まだ振ってないでしょ」
「じゃあ希望ある?」
「ない」
「振られた!」
「自分から聞いたんでしょ!」
笑った。
流留君も笑っている。
でも。
その笑顔を見ながら。
私は少しだけ考えた。
弁岳君も。
流留君も。
やり方は全然違う。
弁岳君は、自然に。
流留君は、遠慮なく。
でも二人とも。
自分の気持ちを、私に届くところまで出している。
言わないと伝わらない。
弁岳君が言った。
流留君は、それをそのままやっている。
なのに私は。
好きな人に、好きだと伝えるどころか。
自分から離れてしまった。
早川君には好きな人がいる。
だから。
言っても仕方がない。
そう思っていた。
今だって、そう思っている。
だけど――。
本当に、それだけなのだろうか。
私はただ。
傷つくのが怖いだけじゃないのだろうか。
「花音先輩」
「なに?」
「カレー」
「はいはい」
私は立ち上がった。
今は。
答えなんて出ない。
それでも。
胸の奥にしまい込んでいたものが、少しだけ窮屈になった気がした。