ジ・エモン / 第25話

25 パーマー・エルドリッチ(1)

 二日後。  大規模な出現が、ふたたび起こった。  ようするに、タイミングだと思うのだ。  それと場所だった。  ゲンコは祈りながら、重装備をかついだ。  重装備、といって、それはエイブリーをたずさえて正面で駆除にあたるならしかるべき装備である。  ゲンコは接近戦をしかけても、あくまで姑息に怪物を切り刻めはする。  そのため、ただただ速度を重視することが多い。本来あるはずの装備を着ないで出る。  そんな人間は現場にはいらない。 (つまり、あなたはいないほうがいいんでは? ってことなんだけど……)  ゲンコは現場に出た。 「今回はちゃんと着てきたな。よしよし、でかした」  ラドックスが調子づいた声をかけてくる。  ゲンコは鼻息を吹くようにした。が、ラドックスはいっこだにしない。両の拳に彼の所有するエイブリーが装着されている。  格闘戦用の、ピーキーなものである。たしか呼称はガスライター。  前任の所有者がふたり短期間に現場をしりぞいているという、いわくつきのものだ。  ひとりは重傷。  もうひとりは食中毒。  ラドックスが言っているが、どこまで本当かはわからない。 「お嬢さんたちとよろしくやれよ」 「いや、彼女たちはお嬢さんではありません」  ラドックスは軽口を言って、拳をうちつけてきた。ゲンコは拳をあわせてかえした。 (前回は……航空機事故? なら、今回もなんとかなるわね)  気楽に考えつつ、車をおりて路地を走る。  いたるところを見て、内心舌を巻いた。  視界一面くらいに、おぞましい肉の塊がうごめいている。すべて通常サイズか、あるいはやや小型、またやや大きい。  その中を三体ほど、巨大なのが屹立している。  ストーンヘンジのようだ。  路地をぬけた通りひとつ。  道路がつづいたさきに、そんな光景だ。  銃声がひらめき、爆発とロケット弾の発光。この密度なら、おそらく撃てば当たる。  見ながらも、レシーバーの誘導にしたがって群れのひとつにあたる。ざっと八体はいる。  包囲班の連携で、このおびただしい群れがなんとか分断されている。銃撃とはかりあって、ゲンコは近接した。 (でかいのはいい的、と)  しかし、前回を考えれば優先して当たるべきだ。包囲班がなんとかしてあれをかわせる、とは思われない。人員を損なえば、それだけはやく包囲がくずれる。  言うほど、現場作業にあたる人間がやわというわけではないが。  またたくまに三体を斬り落とすと、ゲンコは大型への攻撃の敢行を伝えた。二秒ほど、許可が出るまでラグがある。  すぐちかくの二体をひっかくように斬りつけて、ゲンコは弦をひいた。  ぴたりと大型の一体に照準している。周囲の空気が、刹那に密度を増して体内反応以外がおそく見えるような感覚をうむ。  射撃。  光の剣のような穂先が、二十メートルさきの怪物の頭部に刺さった。刺さった瞬間、肉が膨張するように爆発をおこす。  そのときには二撃めの弦を引いて、発射準備も照準も終わっている。  射撃する。  体感と時間がずれる。ゲンコのほうが早く動いている。咳がこみあげたような感覚をこらえ、折っていたアンプルを口にくわえ、ついでに引いていた弦が、誘導のグラフを二体目にすえている。  射撃。次の矢をつがえながら走っている。  空になったアンプルの容器は、しかたなく落としていく。 『オブライアン、三発です!』 「了解、三体め、絞ります!」  ゲンコは返して威力を絞った。注意をひく。稲妻のはしるような軌跡が、横這いの蛇(サイド・ワインダー)をえがく。  位置を変えてはなった矢に、体液をとびちらせた大型の怒りの目がむいた。大きな目と小さな眼点めいたもので構成される視覚。   一体めに二発。二体めに一発。連射で三発めまで放つと、とたんに体に負担がのしかかる。負荷といってもいい。  そのため間をおかず撃ちつづけてはいけない。わずかな時間か、二分も三分も越えるのか、ゲンコにしか間隔はわからないが間をとって撃たなければならない。  だが、負担はくるとわかっていれば耐えられる。なので、ゲンコ自身の判断で撃つか撃たないかを決めればいい。  精巧なものではないが、記録映像で自分の射撃はみたことがある。目が青から濃灰色にぼんやりと光をはなつ。  どれだけ撃ったかは、可能なかぎり現場オペレーターが数えている。 (二体、……来たか)  遠距離からの投射に注意しつつ、倒しきった一体め、注意をひいた二体め、三体めの視界を横にまわりこむように走る。  ゲンコに気をとられた二体めに、ミサイルとロケット弾があびせかけられ、手負いの巨体がくずれおちる。  ゲンコは進路をふさぐ通常サイズに斬りつけつつ、一気に走った。走りだした頭ごろから同じ区域内の大型がこちらにやってきていた。 (発光してる。いいから走れ!)  回転させる左の脚が、装備の下でぼんやり光っている。見えないが感じる。 「了解」    ゲルトヒーデルがこちらに回った、とオペレーターの報せがある。要するに、彼女に任せればここはもつ。 「はあ――」  口にはいった血に内心苦く思いつつ、通常サイズを何体か斬りつけて、区画の移動にはいる。  現場作業内は、車を回しにくいため足かないし距離があるばあい、原付バイクをまわす。フランスでは自転車を使ったという話も聞いた。  移動する直前、包囲班のひとりがハンカチを渡してきた。現場では清潔な布の無駄づかいはしないし、トチ狂ってちょっとよごれたのをさしだすこともない。周囲の環境が最悪だからだ。  オペレーター側が気をまわしたらしい。ゲンコは鼻をおさえつつ、重装備の職員が運転する原付バイクのうしろに乗った。 「了解です」  レシーバーに返答する。  観測されているのは七区画。 (ここだけで二十体以上はいるな)  例のフランス南部の事例をやや思わせる。あのときは大型の頻度がもっと大きく、通常サイズの動きがもっと敏捷だった。 (経験しないとわからないことね)  話自体は問題ではない。  グリニザ本部は、とっくに報告を受け、分析を布いてさっさと今回にも対応した布陣をしくくらいには仕上げている。  あとはゲンコは仕事をすればいい。 「ありがとう!」  短く原付のオペレーターに礼を言ってとびだす。時間にして一分するかしないか。  しかし、状況は一分一秒だ。 「現場到着しました、入ります」  現場は街中である。  レシーバーから、嫌な情報が入る。了解をかえして、ゲンコは走りこんだ。開けた視界へ出る瞬間に、背筋がさむけをおぼえる。  俊敏な大型。  ゲンコは瞬時に把握した。  道路を走った通りにそいつはいる。包囲班によって、あるていどは誘導されたのだろう。かろうじて首に縄をかけられてあばれている。  そんな比喩がおもいうかぶ。  体躯は十メートルもあるだろうか。二本の牙が口を模したらしいところからのびていて、異様に長い。腕のような部分が一本あって、その先に指のない肉塊がついている。  ゲンコは位置どって矢をつがえた。一発め。  頭と思われる箇所にたたきこむ。反応をなんとか見る。周囲の建物のあいだでせま苦しそうにしていた巨体が、ゲンコに一瞬で気をむける。進路の包囲班は、動きを予測して開けている。  ゲンコは射撃をつづけた。ゲンコに向きなおった口らしき部分をめがけて、たてつづけに二発はなつ。命中する。  気をそらした大型の後方に、待機した射手が破壊力のある爆発物を撃ちこむ。  が、それよりはやく目標が動いた。 (直線に逃げる)  大型との距離、というより間合いは十六メートルほど。射撃で出たグラフから読みとっている。  そして予想よりはるかに機敏に大型は、間合いをつめてきた。跳躍するように疾駆する。そう見えるほどの動きで、ゲンコに襲いかかる。 「ひゅっ……」  ゲンコは目一杯にひろがった巨体を目をこらして見た。あるいは見るひまさえない。  進路。質量。計算式。  息をつまらせて横にとぶ。重装備では、そんなに俊敏な反応はのぞめない。転がってあちこち打ちながら、うまいこと体を起こす。   糸をはじく。  巨体は、いっせいに傷口から体液をふきだした。肉の膜がこの巨体を動かす脚をおおいかくしていて、距離をおくとうまく狙えなかった。  急いではなれなければならない。やたらとのんきに考えがうかぶ。計算した軌道のすきまにもぐりこまなければ、突進にまきこまれて怪物の正面で肉塊になってつぶれていた。 (五、六、七……)  思考の中でだけ際限なく怪物の体に矢をうめこむ。  実際に放った矢は、一発が残った脚を破壊して、もう一発が至近距離から本体の側面を風船のようにはじけさせた。  矢の威力は、近距離であるほど破壊力が増す。大穴のような痕跡をかかえて、怪物の巨体がくずれ落ちる。  ゲンコは、すばやく巨体のようすを確認した。死んでいるのを確認してはなれる。  そもそも、ほかではべつの大型がさわぎを起こしている。 (アンプルで腹がふくれそうだな)  くっととりだしたアンプルの頭を折って、口をつける。  空の容器をポシェットにしまいこみながら、ゲンコは走った。通常サイズの敵が進路にいたのに、斬りつけて走る。  途中、ムチ状の穂先がべつの一群を相手にしているのを目にする。諒子だ。  思いながら、射程範囲ぎりぎりの大型めがけて、矢をひきしぼる。ぶしゃっと、鼻血がふきでる感覚。  現実にはそんな勢いではない。無視して誘導のグラフにあわせてぶっ放す。  命中。ただ、負担で脈拍がつぶれそうな動作になり、口に血の味がにじむ。 (ふー)  つづけてべつの大型にむけて、ひきしぼって放つ。七発め。八発め。  当たりどころがよく、二発で大型がしずむ。このあたりでやめておく、と思いつつ、ゲンコは近接攻撃にきりかえた。 『オブライアン、ナインが入ります。一旦退がってください』 「了解」  包囲班の前進で、通常サイズの個体が、集中的な連射をあびる。この規模なら爆発物が使える。  ゲンコは後退して、休憩に入っている人員に混じった。  コーヒーを飲んで座っていると、諒子がやってくるのが見える。せまいスペースであるから、ゲンコの顔はすぐに目に入ったようだ。  スペースに入ってきてすぐ、オペレーターの一人と話していたのに、こちらに顔をむけてぎょっとする。 「おつかれさまです。ゲンコさん、それ」 「ああ」  ゲンコは鼻血でべとべとの顔をちょっと気にする動作をした。ただ、聞かれたからであって、本当に気にしたわけではない。 「大丈夫大丈夫。ちょっとハンカチがまにあってなくて」  じつのところは、連射の負担で体のようすは大丈夫どころではない。  だが、かるいものだ。負担に耐えて動ける、あるいは治まるものである。 (貧血みたいなものよね)  たとえとしては、どうかと思うが、本当に動けないほどのことが起こるばあいは、耐えられたものではない。 (乾燥して取れないのは困る)  気にしながら、紙コップをくしゃりとやった。くず箱に捨てながら、ふうー、と、息をつめて整える。  行かなくては。 「了解。はいります」  スペースから出て、ゲンコはレシーバーに返した。  移動用の原付バイクが待っている。その運転手が特徴的だった。背中に西洋式の大剣、としか見えない、その実そのままのものを装着している。  カーキ色の原付の車体に軍用ブーツ、ゲンコも着ている黒い重装備服、短めのやや垂れるくらいのライトブラウンの髪。  がっしりとした背の高い肉体。よく鍛えられた手足。 「カドワラデル。来てたんですね」  ゲンコは話しかけた。そのうえでさっさと後ろに乗る。 「おう。行こうや」  気前よさそうに返事して、原付を走らせる。さすがに飛ばしてる最中に口をきく余裕はない。 (あいかわらずでかい剣だな)  幅広の刃に、本人の身の丈なみの長さは剣身と表現してさしつかえない。このためカドワラデル、またはカドワラデル・コーンウォールなのでコーンウォール。  そう呼ぶ以外にリトル・ジョン、陰ではドン・キホーテとも揶揄される。  人並外れた天性の膂力をもっており、この太い腕がばかげた大剣をふりまわして怪物をなぎ倒す。その光景は現実ばなれがはなはだしい。 「ありがとう」 「アンナが電話ねえって」 「あとでかけておきます」  かるく会話をかわして、ゲンコはおりた。カドワラデルはこのままべつの区画へ向かうらしい。 (大型が跋扈するかぎり、連射しつづける必要がある……発生箇所の増殖がみこまれるなかで)  鼻血のあとをたしかめて、つめこんだガーゼの具合をみる。  でてくるときにオペレーターの女性が手早く拭いてくれた。修羅場でもプロの神経は鋼鉄である。  であるなら、ゲンコも鋼鉄でないとならない。これは、ただの事実である。 (負傷者がでてる)  急ぐ理由にはならない。  しかし、速やかに片をつけなければならない。ゲンコは走るあいだに二度、間をおいて咳をした。こらえていないと、苦しさでくずれおちそうだ。 (諒子さんのは、顔色にも気づいたんだろうな)  ひらけた場所がみえる。銃声や爆発音の気配。ゲンコはとびだした。顔を出すと同時、大型と通常サイズの位置を視覚で把握する。 「射撃開始します」  レシーバーに言って、物陰をたてに弓を構える。  あのときと、同じことをやるとしてそれは何割ほどだろうか。 (二割で保つのか?)  視界のグラフの先で、爆発的な発光が確認された。先にいるラドックスだろう。  彼が相手どっている大型からそらして、もう二体の大型に射撃をかける。  一撃。命中。  二撃。命中した。  三撃めに手をかけたところで、目の光がさっと視界のはしをとらえる。たてにしていた車両。  道路。すぐ近くの店舗。屋根の上に動く肉塊。  そう思ったとたん、その場を動いた。  店舗の屋根にいた怪物が、速い動きで跳躍し、こちらに降りてきたからだ。降ってきたというのに近い。 (通常サイズ……やや小型。俊敏なやつ)  しかも、一体ではない。ばらばらとゲンコをめがけてふり、道路に着地しおそいかかる。 (三、四) 「こちら、出現しました」  ゲンコは四体の怪物に追われるかたちになったのを察した。レシーバーに状況を告げる。そのあいだにも走りながら、身をかがめ異形の触手や、のびてくる肉っぽい爪と刃に逃げをうつ。 (はあ――)  頭痛と冷や汗をこらえて動く。  耳の奥で幻聴がひびく。それは、アコーディオンの音に似ていた。  すれちがいざまに斬りかかってきた一体に糸をはじく。  斬撃で糸を引いたひげのような、粘着質な部位が胴体といっしょに切りとぶ。  相手は動きがある。まず脚を狙う。二体めに、二体めと三体めに牙のある腹のようなのをひらいていたやつを脚でけりとばす。  三体めにふたたび糸をはじく。連射速度が速い。二撃まとめて身体に決まる。ばしっと、飛んだ大きな肉片が四体めとともにとびかかってくる。ふせげるタイミングにない。  鎌にもなりそうな大きな刃がふたつ、俊敏な肉体から速いままはなたれた。ガットギターの本体をたたきつける。  軌道がぶれ、ゲンコの右脚のももを裂くことなく二本とも過ぎた。  ゲンコは地面に足をつけた。一体めに斬撃をあびたのは、動きを殺されている。  二撃うちこんだ三体めは動かない。残ったのはけりとばした二体めと、跳んですれちがった四体め。  弓を引く暇(いとま)はない。  ゲンコは咳をした。音がかき消される。  一体が視界から動いて外れかける。  ゲンコは動きかけた目をもどして、反対側にふった。まっすぐもう一体が跳躍してくる。軌道が悪く、蹴り足ではいなせない。  身をかがめて跳びすぎている肉塊の足に靴裏をあわせ、跳躍の軌道を変えながら、下をくぐる。視界をさらに思いきって振り、追うと、視界からはずれていったもう一体が目に映る。  ぶよぶよした身体が、鎌の刃をつっこませてきている。 (ちっ)  糸をはじき、鎌の先をねらって斬りつける。態勢がわるく、うまく狙いがつけられない。  そのとき、速射の影響でノイズが来ていた目が駆動した。応用する。鎌はふせいでも猛烈なバネでつっこんできた身体がある。  最悪当たってもいいが、範囲を固定して転がりこんでいた。  一瞬で怪物の肉体と、自分との空間がはじかれる。ガイドにしたがって糸をはじく。  着地したところへ斬撃がおそう。完全ではないが、一体がずたずたに裂けて地面をなめた。足を失ったのだ。  残った一体を真正面にとらえて蹴り足を見舞う。  運動方向からわりだした角度で、十分な力がかかり靴裏で牙と口、腹の一部が大きく陥没して肉っぽくつぶれた。おそらくは致命傷だ。  そのまま歩みよって、足を失った一体を着地するように踏みつけ破壊する。  ふうっと、肺が息をはきだした。  ゲンコはさっさと死体を確認した。どれもつぶれた虫のように、手足や触手が力なくゆすっている。レシーバーに状況の終了を伝えながら、どうにかこちらにまわってきた数人の包囲班に身ぶりで意識を伝える。  包囲班は、そのまま周囲の走査に散らばっていく。今ごろは包囲の外側からも、範囲からもれた個体がいないか、走査しているだろう。 (……)  ゲンコは音もなく、ふたたび出現が大きいほうへと走った。内心は、気のゆるみを若干自制している。  まったく動揺しない、というのは無理だがそれを少し無理、ていどまでは日頃のトレーニングですべて引きあげることができる。  二時間ほどあけて、ゲンコは三度めの後退にはいった。  そろそろ体のあちこちのくたびれがめだってきた。だいぶ斬ったせいで、肉片や体液のこびりつきもひどく、ブーツは足あとをひいている。 「やあ、お疲れ様」  声をかけてきた人物がある。二度めの後退で話したグィナビーではない。  ルーシー・グィナビーは現場内におけるサポート・オペレーターであり、後退した要員のあいだで必要な処理をおこなう。濡れ烏(青黒い黒色の一種)色とか形容される髪色の、ショート系の女性で、年齢は三十前後。  非常に身のこなしのすばやい、軍隊かスポーツのコーチ然としたきびしい女性である。  二児の母親ということで、若いゲンコは逆らってはいけない迫力を感じる。  が、声をかけてきたのは直近に見覚えのある人物だった。ヨハネである。  ヨハネは、ゲンコと同じ重装備の服に身をつつんでいる。だいぶやりあったあとらしく、全身がどろどろの状態である。  近接戦の証左だろう。 「すまないね。話しても?」  どうぞ、とゲンコは応じた。  応じながらも、さきほどグィナビーのことを連想した頭がぼんやり理解する。ヨハネの声には、グィナビーと似たよな、なんらかの経験を経た女性の調子がある。 (経験の差ってやつかなあ)  経歴についてウェルフにひそかに情報を送ってもらったところ、子供や家族はいないということだ。 「失礼しました。お疲れ様です」 「ドウモ。諒子ちゃんが気にしてたからさ。後退スペースでちょっと、心ここにあらずってかんじだったって」 「心配をかけて心苦しいです。すみません、わざわざ」  ゲンコは比較的素直に言った。 「やれてるんなら、いいことさ。それで、どうなの、実際?」 「その前に、どのくらい知っているんですか? 私のことなんて」  聞くと、ヨハネはふむ、と手にしたコーヒーに口をつけた。意外にもミルクを結構入れているのが、色で見てとれる。 「現場中に話すていどじゃあないかな」 「……」 「ごめん。なるほど、現場じゃ思ったよりぴりぴりしてんだ」 「しなくてどうするんですか」 「それもそうだ。エイブリーのことくらい、そうだなぁ。前任の騎士トリストラムと、それと、私の知ってることっていうのは、古いな」  ヨハネは眉間にかるくしわをよせた。  サングラスをはずして具合をみるようにする。メットとバイザーを使えばいいのに、と思う。  ヨハネはサングラスをかけ直した。やや薄みのかかった黒い目がかくれる。左眼の上にちらりと傷が見えた。 「あなたの不安定な話とかはよく知らない。予想はつくんだけど」 「じゃあ、お話はしますから……こっちへ」  ゲンコは人のいないほうへ、ヨハネを誘った。移動して、声の調子は落とす。 「私の持っている状態では、ガットギターというエイブリーは、半分以下の出力になります」 「そうか」 「一方で、タエコ・イソーテにはできなかったことはあります。それはあなたも知っているクルタナの影響によるものです。クルタナの機能というのは、脳に同時に埋めこんだ知覚の制御と拡張を行うマイクロマシン様の機器をふくみますので、これが正確な射撃を補助します」 「なるほど?」 「しかし、人間の体でふたつのエイブリーを使うのは処理能力の限界をはみだしています」 「そうらしいね」  ヨハネがあいづちをうつ。ゲンコは気にせずに言った。 「なので容量確保のために、クルタナが一部の機能をダウンさせ、生命維持が低下します。私の体というのは本来、まともに動けずベッドにつながれているものなので、クルタナはこれをだましているのです」  ヨハネは、納得したような声をもらした。 「クルタナの機能が低下すりゃ倒れてしまうとね。でも、ガットギターってのの出力が低い説明には、いまいちなってないんじゃないかしら」 「それは所有コードの影響です」 「ああ、例の不明な技術っていう」 「所有コードは、エイブリー由来の技術で、そのために発展や効果的な使用法が見いだせなかったものです。実験的にエイブリーの使用者などに投入されました」 「まあ、エイブリー所有者の慣例だね。クラーダ・オブライエンの比較研究などに被験させられるっていう」  大仰なことを言う、と、ゲンコは内心思った。本人の了解や検証がなければただの人体実験である。  本当に人体実験であれば、表ざたになっているわけがなく、無論、ゲンコもここで話さない。 「所有コードの機構は、エイブリーと紐づいて所有者のもとからの適性を固定し、使用感を最適化するというものです」 「ふんふん、それで?」 「同時に過度な出力についてはこれを最適化の妨げとしてカットします。他のエイブリーの機能と同様に、声紋認証、キーワードの組み合わせなどによりアンロックできます」 「ふうん。じゃあもとから使えない人間に使えるようにするってのはデマか。しかしそんならアンロックすればいいじゃないか。それで、出力が上がるんだから」 「できません。所有コードを切ったら私にはエイブリーの使用はできませんので」 「うん?」 「私は所有コードを埋めこみ、最適化することでようやくエイブリーを使用できます。もとからの適性がそれだけ弱いためです」 (もともと所有コードってのがそのために作られたものだし)  適正のない人間にエイブリーの使用を可能にできないか、というテーマ性のもと適性の弱いゲンコ・オブライアンという……そのときにはその名前でなかったが、人間を素体に研究実用がなされた。  その結果としての所有コードであり、エイブリーという存在に依る技術で過程、またはデータのひとつ。  成功例のひとつであり、同時に拡散性のない失敗でもある。 「失敗か。エイブリーにかかわるもんは、おしなべて失敗だが、どうだかな」  ヨハネはふくみのあることを言った。ゲンコは興味が失せるのを感じつつ、フム、と息を吐いた。 (そもそも、そんなテーマ性の研究なんて今の時代にならなくてもだれかがすすめて、できないとわかっているはずのものだ。できないとわかっているなら、やらない)  ゲンコは益体もない妄想を、さっさと捨てて言った。 「お話できることはそれくらいですけれど、なにかほかには」 「ないない。よくわかったよ。ありがとう」  ヨハネはあっさり言った。 「あとはなるべく近寄んないからさ。とにかく、諒子ちゃんのことはよろしくね。私が友達に申し訳たたないから」 「はい」  ゲンコは答えた。  コーヒーを飲みつつ、事態に目をむける。  悠長に休んでいる、わけでもないのだが、俊敏な個体の出現で、さすがに負傷者が拡大している。それ自体は予想内だが、想定内ではない。  仕事というのは、なんでもだろうが結果にむけてぜんぶが整えている。だから、動揺や焦りといったものは覚えないし、現状で実力以上を出そうとしても、ふくまれない。  それはわかっている、と妄言をかんがえて、おもむろにゲンコはスペースを出た。 (建前やプライドなんていうのが、私に必要なんだよな)  体をのばして、待っているバイクに乗る。「おねがいします」と、オペレーターに言う。  オペレーターは、フロムナインだった。なんのつもりだか、人間の姿への擬態をとっている。 (まだ事態が終わってないのに)  返事をしてバイクを出す。原付ではなく、中型のスポーツツアラーといわれるやつだった。見覚えがある、と、ゲンコが感じたのはかんちがいではなく、メェスの乗っているバイクではないか。 (あのひとなにやってんだろ)  ふと空を見たときに、気づいた。妙な雲間が、曇り空のはしにひろがっている。  それは黄金の雲間にみえる。  一瞬だったが、ゲンコの青い網膜に焼きついた。不吉。
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