ジ・エモン / 第27話
27 記録(5)
陰口をたたくことをいとうのならば。
ゲンコ・オブライアンという人物は。
悪人だ。
二度目の大規模な出現で、EMによる予測の精度があがった、と情報が流れてきた。
現場の危機感はうすれたと言っていいのだろうか。知った話ではないが。祖父が今日はいないと、事前に確認していた屋敷の裏口を入る。傘のはしから、激しくなった雨がゆっくりに見え、しとしとと私服の表面を湿気させてきている。
ゲルトヒーデルは顔をしかめた。べつに、不愉快なことがあったわけでなく、ついさっきまで通話していた相手をよぎらせたのだ。
ゲンコ・オブライアン。
最近できた知りあいと言える。
午(ひる)ごろに電話があって、今後のグリニザ本部の見通しを伝えてきた。彼からはなんの連絡もない。
あくまで自分は自分で、やれということだろう。もちろん、ゲンコとの話を伝えた時点で、了解はとってある。
自分はこのままゲンコ・オブライアンを利用するかたちで、グリニザ本部の監視下で行動する。
(……いい匂い)
かすかに昼食のなごりが香っている。祖父の意向で、それなりの人数の使用人が働いているが彼らの何人かが、すこしおくれて昼食をとる。その匂いだろう。
それ自体も今の時間には済んでいる。
傘をたたんで水気をかるく払う。暗くしめった雰囲気のある土間を上がる。
「撫子(なでしこ)お嬢さん。ようお帰りで」
使用人の若い女性が、出迎えにでてきた。
本来、正門をくぐったか、くぐる前に家人を出迎える。が、家つきの使用人である彼らにゲルトヒーデルがしないよう頼んでいる。
もっとも、雇用主のたんなる家族ということで、本来祖父を通さない話は使用人が聞く必要はない。
つまるとこ、好意に甘えている。
さいわい、ゲルトヒーデルに対してそれくらいは聞いてもいい、と言う善良だったり話がわかったり、という人たちばかりだ。
彼らはだいたい祖父との関係で、屋敷に長短とわず縁がある。そのことのほうが大きいのもある、だろう。
(人の仕事に口出しをする生意気な子供だ、と)
そんなものはいないほうがいい。
和室に入り、渡されたタオルでかるく服を当てる。すぐにお茶が運ばれてきた。
正座をしたまま、静かに湯呑みをすすった。適度な熱さが、冷たくなった雨にあてられた身体にしみこむ。
湯呑みを置いて、ゲルトヒーデルはすることもなしに待った。背筋を伸ばしたまま、両目を閉じる。
昨夜は遅くまで動き回っていた。
疲れの回った脳が、閉じたまぶたの裏で眠気を訴える。
ゲルトヒーデルは微動だにせず、それをこらえてまぶたを開いた。
(あれくらいで、こらえ性のない)
疲れたから、なんだというのか。
(いや、疲れは馬鹿にできない)
判断をにぶらせる。いつでも必要なことができるようではない。ただ、努力でどうにかできそうであるなら、やることが当然だ。
(当然のこともしないようなら、私になにができるのか)
なんの努力もなく、あたえられた便利な道具、それか才能でやっていく。
そんな人間はいない。
いや、いてもいい。少なくともそれにかぎりなく近い人間なら、ほかに知っているのだ。
(ゲンコ・オブライアン)
話にのぼらせる。彼女はどういう人間であるか。断片的で、表面的な理解を語れば悪質よりな人間だ。
人間はプライドと建前を必要とする。だから、悪人だと判断した人間を尊敬するのはむずかしいことだ。
「失礼をいたします」
ことわって、ふすまの向こうでなじみのある気配がした。ゲルトヒーデルは返事をした。入るようにうながすと、うやうやしくふすまを開け、白髪の男性が入る。
使用人の花園慎(はなぞの・まき)だ。
すこし口元をゆるめて、ゲルトヒーデルは挨拶を口にした。
「花園さん。御機嫌よう」
「御機嫌ようございます」
花園は言った。すらっとした上品さのある、年嵩の使用人然とした姿である。
羽前家の家つきの使用人で、十二年前から屋敷で働いている。ゲルトヒーデルが屋敷で暮らしはじめたのもちょうどそのころで、花園に聞いたかぎりでは偶然のことであるという。
年齢は六十四歳。すでにひ孫がいるらしい。弓道初段、剣道二段。古武術を修めている。
ゲルトヒーデルの体術の基礎を教えた人物でもある。十二年前から見た目はかわらず、そのころからゲルトヒーデルがよくなついていた。
「生活のほうはいかがですか」
おだやかに言った。ゲルトヒーデルは学校のことや成績のこと、友人関係、アルバイト先の喫茶店のことなど簡単に答えた。
花園は静かに聞いている。
これも、ゲルトヒーデルが小さいころから変わらない。
当時、さすがに祖父、左京への反発……あるいはたんなる反感をもっていなかったときからこの物静かな花園にあまりおだやかでない好感をいだいていた。
とはいえはっきりと思い出せるほどの年齢でもない。気がつくとそうだった。
そして、祖父への反感を自覚したころには、確実に半分以上依存するような感情をもっていた。
ゲルトヒーデルにとって、恥ずかしさでむずかゆくなる記憶ではあるが。
その後、彼に数年もきびしく鍛えられることでいくらかマシにはなった。
「剣はとっておりますか」
「生活がいそがしく、はずかしながら怠っております」
ゲルトヒーデルは頭を下げた。花園は品よく笑った。
「はは。おつとめは重要でございます。健勝でなによりだ」
言うのに、ゲルトヒーデルはかるくほほえんだ。
花園は、現在の話を聞いているのかどうか、いまいちわからない。
もともと祖父とともに、なんらかの形でグリニザ日本支部に協力していた、という。なのでゲルトヒーデルの事情も知っている。
現在では祖父よりすこし早くに、引退した身だ。
(この人を、私は祖父の代わりと思っていたのか)
ちらりと思う。
本来の、といえるゲルトヒーデルは、実際のところ祖父にはあこがれを持っていた。
祖父はゲルトヒーデルには厳格だった。それも幼いころの話である。すこし厳しすぎたとも言える。
クスノキの前の所有者であった、祖父は体術、剣術ともにすぐれていた。鋼のように堅く、岩のように重く、ばねのように速い。
そういう祖父の姿は、強さの象徴だった。
幼い時分には強さなどぼんやりとしかわからない。だが、自分もそのようになりたくてゲルトヒーデルは体術を学びたいとせがんだ。引き受けたのが花園だった。
祖父はそもそもゲルトヒーデルをそばに寄せつけなかったからだ。不器用とも読み取る人はいるだろうが、当人同士の感想であればあきらかに嫌われていた。
感傷的な言いかたをすれば、祖父に構われたかったのだろう。
(武術、体術というのは、身体の動きのコントロールを執るということ。効率的な動きをして、効率的な鍛錬を積んで、……結局は状況に左右されない自身を練りあげていくことになる)
十一歳になったころ、あれほど一生懸命にとりくんだ、とは思う鍛錬がいやになりほうり投げた。
そのころになって、なんのことはなく気がついたからだ。自分が祖父に好かれるためにやっている。
結局は才能がなかったのだと今になってわかる。
(そう、才能はなく、今も与えられた便利な道具と、義務感でやっている。私に努力なんてものはない……)
トレーニングは続けた。ほうり投げた鍛錬も、ふたたび継続した。
五年前、十二歳のときに祖父からクスノキを受けついで、役目を果たすために当然するべきことはしてきた。
それは当然のことであって、努力にはおよばない。
強くなる、認められたい。そういう中核を失った鍛錬も、トレーニングも術もあとは努力のうちにはいらないものでしかなくなってしまう。
(努力でどうにかできそうなら、やるのが当然。私にはその当然のことがまずできなかった)
かるく花園と世間話じみたやりとりをかわす。
それほど長くはつづかない。話が合わず、年嵩の男性にとっては基本的に退屈である事がゲルトヒーデルにもわかるからだ。
それでも愛着はもってくれているのか、花園はゲルトヒーデルとの時間をもってくれるところはある。
「それでは、これで失礼します」
「ええ。またぜひ」
正座で、折り目ただしい礼をしてゲルトヒーデルはたちあがった。
すこし喋りすぎてしまった。
(未熟だよな)
花園は、気を遣って祖父のことは口にしない。落ちついた人格のおかげか、露骨には感じないほどだ。
廊下を渡り、勝手口へまわる。
しずかな屋敷のなかは、ちょっと人がいないように感じるほどだ。
あまり、ここにいい思いはない。
母親のところをはなれて、ひとりで屋敷にやってきた。そのころは、厳しいだけの祖父のもと大人ばかりに囲まれた。
親類縁者に関しても、祖父に対しては畏れに似た感情がひろがっていた。
あるとき、陰口というほどでもない話を聞いた。
ときどき集まる親戚のなかに、子供のゲルトヒーデルに気の利く女性がいて、よくかまってくれた。その人が祖父に関しても、二言三言、ふきこんだのだ。
女性は親切心でやったのだし、口がすべっただけだ。悪口ではない。理解できないとも思ったのだろうし、実際できていない。
が、それがきっかけにはなって、祖父へのちいさい疑いは生まれた。
まわりの親戚の話が気になるようになった。でも、いずれはそうなっただろう。
「屋敷のかたたちにお変わりありませんか?」
先に歩く花園に聞く。はい、と、失礼でないていどに顔をむける。
「たまにはお顔を見せてください。撫子お嬢さんを気にしていますから」
「うん……」
気のないそぶりで答える。
使用人のなかには、花園以外にも古い人間はいる。祖父からの信用があり屋敷内の動きに気を配る役目の花園が、現在、屋敷からはなれているゲルトヒーデルに時々会うことをしている。
純粋に気にかかるのだろう。
もちろん、雇用主の家庭内のいざこざなど、働いている側からすればいい気分ではないこともある。
(子供なんだからな)
はた目には、経済面の話が気になることだろう。
現在のゲルトヒーデルはアパートで一人暮らしである。高校に通っていることも言ってあるし、聞いたほうとしては学費や生活費、それだけでちょっと信じがたい。
花園には、祖父が出しているというふうに言ってもらっているが、実際は……まあ、秘密だ。
ただ、突発的に出たのではなく、予定して準備していた。それもそれなりに前から。
高校も衝動的に決めたわけでもなく、前提して入念に用意をした。それだけだ。
「なるべくはやく、懸念ごとがなくなるようにします。では。今日はこれで」
「そう願っております。あなたが思うよりか、待っている方がおりますので」
花園は頭を下げて、見送った。ゲルトヒーデルは言われたことに、やや気にするようにした。屋敷をあとにする。
(……)
音をたてずに息をつく。
いまさらだろう。
ゲルトヒーデルにクスノキを持たせるころに、祖父は様子が変わった。
それまでの態度が軟化した、というか。
自分の孫に真摯にむきあうようすを見せた。あるいは、最初からずっと真摯ではあったということかもしれない。
そのせいで、か、そのせいもあって、結果としてゲルトヒーデルを嫌っていた。そして厳格すぎる対応をとっていた。
もっともそう思ったほうが楽というていどの話だとも思う。
(……)
雨が弱まり、止みそうである。アパートの部屋は遠い。組織の支援をうけて、いろいろ動くようになってからは現場付近に用意された部屋を使っていることが多い。
電話がかかってきた。ゲルトヒーデルは携帯電話をとりだした。
「もしもし」
『もしもし、先輩ですか?』
諒子である。ゲルトヒーデルはちょっと待つように言って、道ばたによけた。
「どうしたの?」
諒子からの用件は、こまかい確認だった。
まじめな彼女らしい。
数分ていど話して、ゲルトヒーデルは電話を切った。
ほんのわずかな時間だったが、雨が止んでいる。傘を下げて、ゲルトヒーデルは雨粒を確認した。
すでに空は晴れており、それでいて雨粒はまだかすかに残っている。傘をさすほどではない。水気をはらってたたむ。
通話履歴の番号をちらりと目にしたのを思い出す。諒子との通話が、用件だったのもあり、思考がもどってきた。
ゲンコ・オブライアン。考える。
(まったくどうやったらあんな甘ったれが育つんだか)
自分に甘く。自分に興味がなく。
わがままで、ひとりよがり。意固地で視野狭窄なところがあり、考えがあまい。責任感もうすく、ミスしたらだれかがなんとかしてくれるとどこかで絶対に思っている。
愛嬌もなく、口をひらけば生意気じみたことばかり言う。いいところはない。
(きっとまわりの人間があまやかしたのだ)
にがにがしく思う。しゃべればかわいげのないことを言う悪童だが、ゲンコ・オブライアンにはそのいっぽうでそういうへんな手に負えなさがある。
ゲルトヒーデルも初対面で感じたものだ。
青く宝石じみた目。暗がりを塗ったような深い黒髪。白皙の肌。それだけならなにも感じないが、そんなに長くもない手足、やせた肌、高くもない肢体。彼女の外面だけ見てとるなら、それは妙な庇護欲を感じさせるだろう。
おそらくはそのへんな魔性のようなものが、特定の種類の人間をひきつけ彼女を甘やかす。
特定の人間とは、おもに人を見る余裕のある人間か、それかゲンコと同類の人間であると思われる。
(ああいう人間だと判断できていれば)
諒子も会わせたりはしなかったのだが。
彼女は、善人でも悪人でもない。だがきっとほだされている。おかげでやりにくい。
(そうデザインされているのだから、しかたがないか)
ゲンコの母親であるタエコ・イソーテ。
彼女のように。
タエコ・イソーテ。
彼女もきっと、娘を甘やかしたのだろう。
あのふたりは、似たものであるのだから。
五年前に会った騎士トリストラム、とよばれた彼女を思いかえす。
(よく似ているわ)
聞いたとおりであるなら、ゲンコ・オブライアンがタエコ・イソーテの実の娘だと思っていただろう。
だが実際はそのクローンのひとりであり、デザイナーベビー、と定義される遺伝子を操作された存在があの今の黒髪の少女だそうだ。
そんなSFじみた話、実際に証拠をそろえてわかりやすく示されなければとても信じることはできない。頭の固いゲルトヒーデルは、そのように思っていた。
(でも、なんとなくはわかる。彼女はどこか人間ぽくないし)
そんな生まれだから、どう育つなどということでもない。
そういう薄情な感想をいだくこと自体、人でなしという話でもあるし。
(フィストやポーランド支部が、なんだってそこまで知っているのか……?)
グリニザ本部側の内通者がいた、というのが言われてはいるが、ゲルトヒーデルはくわしくは教えられていない。
(本当だとしたら……そんなの、クローンだなんだって、人体実験じゃない)
外にもらせる情報ではない。
五年前、最後に会った騎士トリストラム。あの彼女がその話に加担しているというのも、にわかには信じたくない。
ほんの数回ていど、時間をまたいで会ったことのある女性。祖父と面識があるということで、ゲルトヒーデルも一、二度は親しく話したりしたおぼえがある。
そのときの印象だけなら、倫理的に問題のある話にかかわるような、そんな女性でないと感想をいだくような人物だった。
はずだ。
(彼女はどこへ行ったのか)
死んでしまった、とは聞かされたが、どうもそうは思えない。それこそ、にわかには信じがたい。
そんな女性ではないだろう。
(だれよりも強いあの女性(ひと)が)
騎士の称号というのは、グリニザが勝手に設けたもので、とはいえ伊達というわけでもなかった。
その一人であるタエコ・イソーテの活躍や実績というのは、すばらしいものだったという。
もちろん、間近で見る機会はなかったが。
ふとスカートのポケットから、屋敷からもってきたものをとりだす。
とくに変わったものではない。キーホルダーである。ゲルトヒーデル自身も、よく知らない最近のアニメかなにかのキャラクターが商品化されている。
(やっぱり、部屋に忘れてたのか)
半眼になって、ちょっとのあいだ見やる。もとどおり、ポケットにしまいながら、ゲルトヒーデルはべつのことを考えた。
(フランス南部の話だって、本人以外にももし、彼女だったらとか、考えた人はいたんじゃないかな)
今日の夜も出現が予期されている。いかなければならないことを考える。
祖母の話。八年前。
決着をつけなければならない。
手にした力を社会に対して還元する。
それではじめて、自分は当然のことができるようになるだろう。