義井映日 / 第25話

第24話 灰の行方

第24話 灰の行方   焼け跡から、煙が立ち上っていた。焦げた木材の匂いが、鼻の奥に張り付く。夜通し燃え続けた熱気が、まだ地面から立ち昇っているようだった。  血の匂いが、しない。  悪魔が焼ければ、三日は残る。  大戦の後、天使の焼け跡を検分したことがある。あれは、光の匂いがした。  どちらでもない。 「これは、また」  ロノヴェが、焼け落ちた屋敷の前で、低く呻いた。 「デルフィン卿の姿は」 「見つかっておりません。使用魔たちも同様です。ただ」 「ただ、何だ」 「遺体も、一つも見つかっておりません」 「侯爵は」 「分かりません。ですが、この屋敷にいた者は、誰も」 「サイファー、何か拾えるものは」 「まだ探しております。ただ、火の回りが早すぎます。何者かが、油を撒いたような」 「どこから燃えた」  サイファーが、焦げた地面を指した。 「四隅から、同時に」  逃げ道を塞ぐ焼き方だ。 「計画的、ということか」 「その可能性が、高いかと」 「リオン。近隣で、何か見た者は」 「昨夜は、自分とノアで西の通りを回っていました。深夜のことで、目撃者は今のところ」 「引き続き当たってくれ」 「畏まりました」  焼けた柱に、手を当てた。まだ、熱い。  普通の火だ。  崩れた壁の際まで歩いた。  炭を払う。下地の石まで、そのままだ。  指先に、爪を伸ばした。  石が、抉れた。  火に囲まれれば、悪魔は壁を裂いて出る。  壁は、崩れ落ちただけだった。  逃げようとした者が、一匹もいない。  地面を見た。踏み荒らされている。消火に入った者の足跡で、その前が消えていた。  書斎の跡が、綺麗に片付いていた。 ◆  灰の中に、かろうじて形を保った何かが見えた。屋敷の中心だった辺りだ。  近づいて、拾い上げる。焼け焦げた、小さな首飾りだった。 「これは」 「エレナ様が、いつも身につけていたものです。夜会で、何度も見ました」  ゼンが、横から覗き込んで言った。  掌に、紫炎を灯す。近づけると、灰が飛んだ。  ただの金だ。羽根とは違う。  鎖は、途中で切れている。切り口は、溶けて丸まっていた。留め具は、無傷だった。  首から下げたまま、焼けた。  なら、なぜ灰の上にある。  そこから先は、根拠がない。 「陛下」  ゼンが、こちらを見ていた。 「いや。何でもない」  首飾りを、丁寧に布に包んだ。  中庭で、あの声を聞いた。あの時、首の飾りまでは、見ていない。 ◆  剣がぶつかり合う音が、詰所の中庭に響いていた。戻ると、ゼンとリオンが模擬剣を打ち合っている。 「団長、少しは息抜きも必要かと」  リオンが、こちらに気づいて笑った。 「ノアも、たまには打ち合ってみるか」  水を向けると、ノアが小さく首を振った。 「見ている方が、性に合っています」  ノアが答えると、笑い声が上がった。  部屋の隅で、キリアンが独り、稽古の輪から外れていた。 「傷の具合は」 「大事はありません」  差し出された書類を受け取る手が、右手だけだった。 「その伝手、今も生きているのか」  しばらく、返事がなかった。 「昔の、知り合いです。大戦中、共に潜り込んだ相手でした」 「今も、信用できるのか」 「分かりません。ただ、貸しがある相手でした」  それ以上は、聞かなかった。 「アークからは」 「まだ、何も」  アークは、まだ戻らない。 ◆  夕刻、もう一度、焼け跡を訪れた。かろうじて燃え残った離れに、警備の記録簿が残されていた。  埃を払い、頁を捲る。見慣れぬ印が、幾つも押されていた。 「サイファー、これは」 「紋章帳と、照らし合わせてみます」  数刻後、サイファーが戻ってきた。 「貴族院の、通行印でした。古い意匠のため、すぐには分かりませんでしたが、間違いありません」 「分家ごときが抱えられる規模の護衛ではない、ということか」 「間違いなく」 「貴族院、か」  古い家が、名だけで席を持つ場所だ。即位の折、真っ先に理由を問うてきたのも、そこだった。 「この印を持つ者を、洗い出せるか」 「時間は、かかるかと」 「構わん。急げ。ただし、名は上げるな。数だけでいい」 「数、ですか」 「何名が持っているかが分かれば、規模が読める」  名を追えば、また逃げられる。 ◆  その夜、首飾りをしまおうとして、執務室の引き出しを開けた。羽根が、そのままそこにある。  灯りに透ける。まだ、紫がかっている。あの夜から、何も変わっていない。  首飾りを、隣に置こうとして、やめた。  食事を終えたクロエを、露台に誘った。 「お誘いとは、珍しいですね」 「見せたいものがある」  布に包んだ首飾りを、差し出した。 「焼け跡で見つかった。エレナのものだ」 「では、あの方も、あそこに」 「いや」  首を振った。 「血の匂いがしなかった。壁にも、爪の跡がない」  クロエの手が、止まった。 「では、あそこで焼けたのは」 「屋敷だけかもしれない」  クロエが掌に載せ、じっと動かなかった。 「何か、分かるか」 「いえ」 「試したのか」 「……はい。何も」  指先が、切れた鎖をなぞる。 「これは、留め具が残っています。身につけたまま、焼けたということです」 「私も、そこで止まった」 「では、あの方はどこに」 「分からない。灰の上に載っていた」  クロエが顔を上げた。 「置かれたのですね」 「そう見ている」 「周りの灰は」 「乱れていなかった」 「では、置いた者は、地面を歩いていません」 「空から、か」 「あるいは」  クロエが布に戻した。 「自分と、同じものかもしれません」  風が、露台を吹き抜けた。 「この件は、思っていたより、根が深いのかもしれません」 「独りで、抱え込むな」  言ってから、自分に返ってきた。 「陛下」 「それに、お前が案じているのは、自分のことより、この件が私を危うくすることだろう。違うか」  クロエの目が、泳いだ。 「――否定は、できません」  しばらく、間があった。 「駒だったのは、自分と同じかもしれません」 「同じではない」 「そうでしょうか。自分は、まだ生きています。それだけの違いです」  肩に、そっと手を置いた。 「なら、今夜くらいは、それを忘れていい」  その上に、クロエの手が重なった。何も、言わなかった。  庭の灯りの向こう、遠くにまだ煙が見えた。  手の中に残った首飾りの感触だけが、妙に生々しかった。  羽根と同じ引き出しに、しまうことになるのだろう。

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